219話 カイルの過去(6)

  カイルの質問により、ルークはヴァレンシアとの間にあった過去の話を語り出す。

  そしてそれは、カイルが想像していた以上の内容であった……。



  「ヴァレンシア殿は当初、ハンナ殿の食事に毒物を混入させるという事を考えていました。そのため、証拠が残らない毒薬を探すために医師である私に相談してきました……」


  「どうやら、他の領主たちへの世間体を気にしている部分もあったようで、明らかな毒死のように暗殺を疑われるような殺し方は避けたかったようなのです」



  ヴァレンシアがかつて立てていた計画を話す医師のルーク。

  この事をカイルは拳を握りしめながらも、ただ静かに聞いていた。


  ヴァレンシアがハンナを消したい理由はカイルを他の領主の娘と結婚させたいという願望からである。

  だからこそ、彼女はローレン家では暗殺が起きるといったような噂は極力避けたかったのだ。


  もしもそんな噂が広まってしまえば、気に入らない者や邪魔になった者は容赦なく殺されると認識されてしまい、どこの領主も大切な娘をカイルの嫁へと差し出してくれなくなってしまうからだ。

  だからこそ、ヴァレンシアは原因不明の病としてハンナを消すために、薬草や毒薬草に詳しい医師のルークを利用しようとしていたのだった。


  「しかし、私がそれを半ば強引に止めさせたのです!」


  ルークはカイルの様子を見て、すかさずに言葉を続けた。

  もちろん、そんな風にハンナの食事に毒薬を盛ったことなど一度もないと説明するために。


  『ハンナ殿は優秀な治癒術師。毒物ドクブツに関する知識もありますし、もしも異変に気づけば自らの治癒魔法で解毒されてしまうでしょう』


  「……っと、以前このようにヴァレンシア殿に進言したところ、どうやら一旦は諦めたようなのです」


  ルークの説明を聞き、一度は安心するカイル。

  子どもをみごもっているハンナにそんなことをさせてたまるものかと、母親に対して憎悪すら覚える。


  しかし、安心すると同時にそんなことを企てて実行しようとしていたヴァレンシアに抑えきれない怒りが込み上げてくる。

  そして、カイルは激しい怒りを持ちながら、母親の悪行を目の前のルークから聞くのであった……。


  「ただ……その代わりとして、ヴァレンシア殿は私に対して、出産時に無防備となるハンナ様を赤児あかごもろとも亡き者にしろと命令してきたのです……」


  言いにくそうにしてヴァレンシアからの命令を語るルーク。


  それもそのはずだ。

  数日以内に予定されているハンナの出産には、このルークが立ち会うことは確定しているのだ。


  「もちろん、先生は命令に従うつもりなどはないのですよね……?」


  カイルは目の前にいるルークに対して尋ねる。


  この時のカイルの声と瞳は、いつもの温厚な彼からでは想像もできないほどに鋭く圧があった。

  もしも、その気があるのならば例え誰でもあっても容赦はしないという強い意志がそこにはあったのだ。


  そして、これには思わずルークも怯んでしまう。


  「もっ、もちろんですとも! 命令に従うのであれば、そもそもカイル殿を呼び出して告発などしません」



  「そうですよね。ここまで話してくださったルーク先生に無礼なことを聞いてしまいました。すみません……」


  心の中では信じていたとはいえ、言葉として疑ってしまったことを謝罪するカイル。

  彼はこれからの事の考えるのであった。



  確かにいくらハンナが優秀な魔法使いであり治癒術師であったとしても、無防備な出産時ともなればその力は及ばない。

  もしもそのような状況に陥ってしまえば、様々な方法で命を奪う事ができるだろう。

  そして、その死を巧く偽装して領民たちを騙すことも……。


  暗殺などではなく、不慮の事故としてハンナが亡くなったのであれば、領民たちも心の支えを失ったカイルを心配して、新たな妻を娶ることにも反発なく受け入れるかもしれない。

  もしかしたら、ヴァレンシアはこのような民意を利用したいのかもしれない。



  そして、カイルは一人静かに決意するのであった……。



  「私自身、これから直接と話し合って問題を片付けてきます」


  「ルーク先生、教えてくださってありがとうございました。本当に……ありがとう」



  そう告げると、カイルはこの場を立ち去ろうとする。

  彼のこの言葉、そして様子が明らかに変化したことにルークは気づく。


  「ちょっと待ってください! カイル殿、今から行動なさるつもりですか!?」


  立ち去ろうとするカイルを引き留めようとするルーク。

  だが、カイルは立ち止まろうとはしなかった。



  カイルの中で、既に覚悟はできた。

  愛する者たちのためならば、ローレン家という権威のある実家を敵に回すことすらも厭わない。


  ルークがいなければ、ハンナはどうなっていたのかもわからない。

  だが、彼との間にあった信頼と信用がカイルの運命を変えたのだった。



  「待ってください! カイル殿、ヴァレンシア殿は何を考えているかわかりませんぞ!」


  「もしかしたら、私たち医師以外も利用しているかもしれません!」



  必死になってカイルを止めようとするルーク。

  しかし、カイルの決意は固く、彼が立ち止まることはなかった。

  もう、直接ヴァレンシアとかたをつけることでしか、この問題は解決できないと確信していたのだった。


  だが、そんなカイルの決意も、ルークのひと言で揺らぐことになる。


  「カイル殿、冷静になってください!! エトワール殿のように、家族を失ってからでは遅いのですよ!!」


  カイルの脳裏には、数日前に見た悪夢のような光景が甦る。

  大切な家族を目の前で失った親友のエトワール、そして失意の底に叩きつけられた彼のその後を思い返すのであった……。



  そして、カイルは歩みを止めてその場に立ち尽くす。



  確かに、ここまで用意周到に計画を企てているヴァレンシアのことだ。

  彼女が誰と手を組んで、何を企んでいるのかはハッキリとはわからない。

  それこそ、ルークたち医師以外にも何かを利用してハンナたちを陥れようとしているのかもしれない……。

  カイルには一つ、心当たりがあったのだ。



  一人で悩むカイルに対して、ルークが声をかける。



  「カイル殿、こんな事を言うのは無礼だとわかっています……。しかし、私からの切なる願いです!!」


  「どうか、ハンナ殿を連れてここから逃げ出してください!」



  真剣なまなざしでカイルを見つめるルーク。


  その言葉に、カイルの心は揺れ動く。



  カイルは一つだけ気がかりなことがあるのだった。

  数日前からこのローレン領内を何やら不穏な空気が包み込んでいる気がする。


  そうだ、思い出せばシシリアが亡くなったあの日からこの不気味な気配をカイルは感じるようになったのだった……。


  禍々しい者たちがこのローレン領に立ち入っているのだろうか。

  もしかしたら、ヴァレンシアがハンナの出産に合わせて……。


  「絶対に、ハンナ殿たちは私が守ってみせます! ですから、無事に出産が終わったあかつきには、ローレン領から逃げてください! ここは貴方たちには危険過ぎます!!」



  「でも……わたしには、次期領主としての役目が……」


  ヴァレンシアの企てて、そして禍々しい気配が漂うローレン領。

  ハンナたちのことを考えれば、今すぐにでもルークの言う通りここから逃げ出したいくらいだった。



  だが、カイルにとって領民たちは宝のような存在。

  彼らを見捨てて、自分たちだけが逃げ出すことなどしたくはない。


  権威の拡大と保持のためならばどんな手段をも使う領主とその妻、そして得体の知れない禍々しい存在。

  これらの前では、領民たちは無力でしかないだろう。


  だからこそ、カイルはどうにかしてローレン領に巣くらう巨悪に立ち向かえないかと考える。


  しかし、まだまだ未熟な自分に、実家を丸ごと敵に回して家族を守れるのだろうか。

  相手はどんな手を使ってもハンナと生まれてくる子どもを狙ってくる。


  いつも頼ってきたエトワールには今は頼れない。

  そんな中、本当に自分一人で大切なものを守れるのだろうか……。



  そして、カイルは苦渋の決断をするのであった。



  「わかりました……」



  「本当ですか!?」



  願いを聞き入れてもらったルークは喜びの表情を見せる。


  そんな彼に、カイルは強く宣言するのであった。



  「ただ、私はいつか戻ってきます。あんな人たちに領民たちを任せることなんてできない!」



  「はい! いつか、必ず帰ってきてください! お待ちしております」



  こうして、カイルはルーク先生協力のもと、ハンナを連れてローレン領から逃げる決意をしたのであった。


  そして、彼らは入念な打ち合わせをして、その日を迎えることとなる……。




  ◇◇◇




  ——それから数日後——




  ローレン領の屋敷内では、軽やかなステップで階段を降りてゆくヴァレンシアの姿があった。

  先ほどハンナの出産の知らせを聞き、一時的に造られた屋敷内の分娩室へと向かうのであった。



  自分の企てた計画がどうなったのかと確かめるために……。



  そして、階段を降りたヴァレンシアは何やら騒ぎが起きていることに気づく。

  どうやら、屋敷に仕える者たちが何やら慌てているようだった。


  ヴァレンシアの企てた計画は一部の者たちにしか知らされていない。

  だからこそ、屋敷の者たちが慌てふためいてるのは想定内の出来事だった。


  そして、ヴァレンシアは内心、この騒ぎはハンナたちが死んでくれたからだと思っていた。



  すると、ヴァレンシアのことを見かけた兵士たちが慌てて彼女のもとへとやってくる。

  その様子を、彼女は何事も動じないようにと心がけて見ていた。


  「大変です、ヴァレンシア様! ハンナ様が……ハンナ様が……」


  目の前で慌てる兵士たち。

  ヴァレンシアは計画が成功したことを確信する。


  だが、まだ驚いてはいけない。

  それに、喜んでもダメだ。


  しっかりと兵士からの報告を聞き、驚いたフリをする。

  そして、あとで自室で一人きりになったときに歓喜の舞を踊るのだ。



  だが、結果として彼女は演技ではなく、本当に心の底から驚くこととなる。


  「ハンナ様が、出産後に赤児を連れて逃亡したそうです! さらに、出産に立ち会った医師たちは一人残らず意識を失って倒れています!」



  「えっ……」


  兵士たちからの報告を聞き、思わず声が漏れるヴァレンシア。


  どうしてハンナが死んでいないのだ?


  既に始末した上で逃亡したという風に偽装したのであろうか……。


  いや、そんなこと打ち合わせでは一度すら案に上がったこともなかった。


  それに、出産に立ち会った医師が一人残らずやられているだと?


  何が……何が起きているのだ?



  ヴァレンシアの中で、様々な疑念が浮かび上がってくる。

  だが、兵士たちからの報告はこれだけでは終わらなかった。

 

  「それと、とても言いづらいのですが、カイル様のお姿もどこにも見当たりません……。おそらく、ハンナ様たちと一緒に逃亡したと思われます……」


  兵士からのこの報告に、ヴァレンシアの脳内処理システムは崩れ落ちる。



  「なんですってぇぇええ!!!!????」



  そして、ヴァレンシアの叫び声が屋敷に轟くのであった。




  ◇◇◇




  ——時は遡ること、数十分——




  ローレン家の屋敷に急遽造られた分娩室の中、領内から集められた優秀な医師たちが気を失って倒れていた。


  彼らは金と圧力でヴァレンシアに屈した者たち。

  そんな彼らは自らが裏切った次期領主候補であるカイルによって、意識を刈り取られていたのであった。


  ただ一人、気を失っているフリをしているルークという男だけを除いて……。



  「私が協力できるのはここまでです。これで、あの時の恩を少しは返せたでしょうか……」



  静かにそっとつぶやくルーク。

  彼は10年以上もの間、陰ながら見守ってきたカイルの成長を思い返し、涙を流すのであった。



  「カイル殿……。どうか、ご無事で」



  彼が最後に目にしたのは、守るべき大切な存在に囲まれた、かつて孤独だった一人の少年の未来の姿だった。

  そんな彼を見て、本当に立派になられたとルークは心の底から思うのであった。

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