218話 カイルの過去(5)

  それはとても静かな夜の出来事。

  ローレン領にある領主直轄の大森林。



  そんな大森林の中で、一人の男は顔を隠すようにローブのフードを深くかぶり、静寂に包まれた暗闇を静かに駆け抜ける。


  そして、二十分ほど駆けていると急に男は立ち止まる。

  男は目的の場所へと無事にたどり着いたのであった。


  それから、男は辺りを見廻してある人物を探した。

  わざわざこんな夜ふけのこんな場所へと呼び出した人物を……。


  すると、男は不思議な物音に反応する。

  それは野生動物が立てるような音ではなく、明らかに人間が立てた音だった。


  そして、その音が段々と近づいてきて大きくなり、男の目の前には見覚えのある人物が現れるのであった。



  そこでフードをかぶっていた男は現れた人物を見てホッと息をつく。


  「申し訳ない、待たせてしまったようですね」


  そう言って、フードを下ろして顔を見せるカイル。

  彼は領主候補として姿を見られないようにと気をつけて、今夜大森林を訪れたのであった。


  そんなカイルに対して、目の前に現れた人物は謝りながら首を横に振る。


  「いえいえ、滅相めっそうもない! こちらこそ、こんな夜遅くカイル殿に来てもらって申し訳ないです」


  カイルをここに呼び出した人物。

  それは先日、エトワールが妻であるシシリアを救うために助けを乞うた人物、医師であるルークだった。


  残念ながら、彼はカイルと共にシシリアのもとへと向かったのだが、結果として彼女を救うことはできなかった。

  そのとき既にシシリアの容体はルークだけではどうしようもないほど悪化していたのだ。


  そして、カイルと共に救援を頼んだルークだったが、彼らが再びシシリアのもとを訪れたとき、そこにいたのは息絶えたシシリアと、その側を離れようとしない血走った目をしたエトワールだった。



  あの忌まわしい出来事から数日が経ったが、カイルは何かに取り憑かれたように領内を駆けまわるエトワールを見て、なかなか声がかけられないでいた。


  カイルはエトワールがシシリアとその子どもをどれだけ大切にしていたかを知っている。

  そして、それはハンナやこれから生まれてくる自分の子どもと重ねればより一層その苦しみがわかる。

  だからこそ、カイルはどう接してあげれば良いのかがわからなかったのだ。



  今、カイルの目の前にいるのはあの日に一緒にいたルーク先生。

  カイルはルークに問いかける。


  「それで……用件はいったい? ルーク先生がこんな時間、こんな場所に私を呼び出すなんて、何が……」


  突然の呼び出しに戸惑うカイル。

  もしかしたら、エトワールの事で何かがあったのではないかと心配になってくる。



  だが、ルークの口から語られたのはエトワールの事ではなかった。

  彼は難しそうな表情をしてカイルに語るのであった。


  「時間もありません……。単刀直入に言いましょう。ヴァレンシア殿が、生まれてくる赤児とハンナ様を殺そうとしてます……」



  「なんだって!?」


  静寂に響き渡るカイルの声。

  カイルはルークの口から語られた予想外の言葉に思わず叫んでしまったのだった。


  カイルの叫び声に驚いたのか、動物たちが目覚めて彼らのもとから散りさってゆく。


  その光景を目にして、カイルは自分が声を荒げていたことに気づいた。

  そして、謝罪する。


  「すみません、つい……」


  ルークに頭を下げて謝るカイル。

  そんなカイルを見て、ルークが反応する。


  「いいえ、カイル殿の反応は当然の事です。それもあって、わざわざこんな所まで来てもらったのです」


  優しく語るルーク先生。

  カイルは一度心を落ち着かせて、ルークに詳しい事情を聞くのであった。


  「ヴァレンシア殿としては、どうしてもカイル殿とハンナ殿が結ばれることを許せないようです。それで、ハンナ殿と赤児を……」


  重い表情でカイルに説明をするルーク。

  カイルはそれをしっかりと聞き、彼に疑問を投げかけるのだった。


  「それが本当だとして……どうして母上殿はルーク先生にそんなことを?」


  カイルからしたら、どうして母であるヴァレンシアがルークを利用してハンナたちを消そうとしているのかがわからない。


  政治的な戦略で他の領地からカイルの嫁を迎え入れたいのは納得ができる。

  そして、そのためにはハンナが邪魔であるということも……。


  ただ、カイルからしたらどうしてそれをルーク先生にやらせるのかが理解できなかった。



  そして、ルークは過去にあったヴァレンシアとの出来事をカイルに語る。


  「ハンナ殿の出産にあたり、ヴァレンシア殿が領地内から集めた医師たち……。当初はハンナ殿の妊婦生活をサポートし、出産を無事に行うためと説明させていましたが、あれは嘘です!」


  「あれは金や圧力によって、ヴァレンシア殿に屈する医師を見極め、ハンナ殿を亡き者にするためのものだったのです!!」


  悔しさからか、力強く語るルーク。

  カイルはその言葉を聞き、心の一部が崩れていくようだった。


  いったい、自分の母親は何を企てていたのだろうと……。


  「その証拠に、カイル殿に忠誠を誓う素振りを見せていた者たちは次の定例会から呼ばれなくなりました。特に私は目をつけられたようで、色々と質問を受けながらカイル殿への忠誠はなく、圧力に屈して金で動くと医師だと評価されたようでした」


  「そして、ヴァレンシア殿が私に直接命令を下したのです……。私が、本当は誰よりもカイル殿に忠誠を誓っているとも知らずにね」


  ルークはカイルの瞳をしっかりと見つめる。


  すると、カイルはどうしてルーク先生が自分にここまで話してくれているのかというのが自然に納得できた。



  かつて、カイルは途方に暮れて困り果てていたルーク先生を救っていたのだった。


  それはもう10年以上前の話、ルークの妻が珍しい病にかかったとき、彼は妻の病を治すために特別な薬草を探すことになったのだった。

  しかし、その病を治せる薬草は非常に稀少であり、ローレン領の市場では出回っておらず、ルークはあてもなく希望的観測を持って大森林でその薬草を探していた。


  そんなときに、ルークが大森林で出会ったのがまだ幼き頃のカイルとハンナだった。

  カイルは領民であるルークから事情を聞くと、すぐにその稀少性の高い薬草があるところまで大森林の中を案内してくれたのだった。


  これはカイルが豊富な知識を持っていたからだけではなく、こな自然と領民を愛していたからこそできた行動であった。



  ルークはそれ以来、心の中でカイルに生涯通して忠義を誓う事となる。

  しかし、当時の世論としてはローレン領の次期領主はカイルではなく、弟のヨハンであった。


  だからこそ、ルークもカイルへの忠誠は心の中だけにしまい、表面上は弟のヨハンを敬っているように振る舞って生きてきた。

  だが、逆にこの行動がヴァレンシアの目に留まり、彼女を騙してカイルたちを救うこととなる。

 

  「あの日から、私はカイル殿に感謝をせずに一日を過ごしたことなど一度もありません。私はヴァレンシア殿を裏切ろうと思います!」


  覚悟を決めたルークはまっすぐな瞳でカイルを見つめる。


  「しかし、それではルーク先生や家族が……」



  「もう既に、私の家族は逃してありますのでご心配はいりません! それに、私ならカイル殿とハンナ殿のために命を懸ける覚悟はできております!!」


  カイルの心配を他所に、ルークは揺らがぬ気持ちを表明する。

  そして、それは確かにカイルにも伝わったのだった。


  「わかりました。でも、ルーク先生のことも私は護りたい。僕にとって、領民のみんなはとても大切な存在なんです。だから、ルーク先生には死んで欲しくはないんです。それだけはわかってください」


  カイルは優しげな表情でルークに語る。

  それは、形だけの言葉ではなく心優しきカイルが心から思っている言葉なのであった。



  そして、カイルの表情がキリッと引き締まった。



  「それでは、詳しいことを聞いてもいいですか? いったい、母上殿がどんな計画を企んでいるのか。そして、ルーク先生に何を命じたのかということを……」



  そしてこの日、カイルは自身の母親であるヴァレンシアと決別する覚悟を決めるのであった。

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