185話 カイルの過去(4)
カイルの子をハンナが身篭った。
この事はカイルの父親でありローレン領の領主でもあるベイルの耳にはもちろん、あっという間に屋敷内にまで広まった。
カイルは既に領内での評価はもちろん、エウレス共和国の主要な人物たちからの評価も高まり出し、これからローレン領を導くリーダーとなる存在だと期待されていた。
そんなカイルと自分の娘や姪を婚姻させたいという領主たちは数多くいたのだ。
それぞれの領主たちは自らの親戚たちを使い、他の領主と婚姻関係を結ばせることによって、有力な領地との繋がりを保とうとしている。
そして、ベイルやヴァレンシアもローレン領の地位を少しでも上げるため、カイルを使ってどこの領地との関係を深めるかということを考えていた。
これは現領主であるベイルが自分の従姉妹であるヴァレンシアと結婚してしまったために、他の領地との関係性を深めることができなかったことも大きな要因である。
ローレン領が派閥内での地位拡大を狙うのならルシス領やブレイブ領から妻をもらうべきだ。
また、他の派閥との関係を重視していくのならばテスラ領から妻をもらうのも良いかもしれない。
二人はローレン領の繁栄のためにカイルの妻候補を必死に絞っている最中だった。
そんな中、突然告げられたハンナの妊娠。
使用人の娘であるハンナとの間に子どもができるなど、ベイルたちには到底許されていいはずがなかった。
これから妻を迎え入れる必要があるのに、既に子どもがいる。
しかも、男の子でも生まれようものならカイルの後継者を決める際にトラブルになるのは目に見えている。
エウレス共和国では男性しか領主になれないというわけではなかったが、それでも男性が継承者として優位であるという雰囲気はある。
ハンナの子どもが男の子であった場合はもちろん、女の子であったとしても、これから迎え入れる妻との間に出来た子どもまで女の子だったら……?
これでは他の領地との関係を強めるどころか、関係を悪化させてしまう。
自分の娘、姪との間にできた子どもは次期領主にならないのかと……。
しかも、カイルの評価が爆上がりしている中でこの騒動。
カイルはもちろん、ローレン領自体の評価も地に落ちるだろう。
これではカイルと婚姻を結んでくれる者など現れるはずがない。
ベイルとヴァレンシアのローレン領の地位を高める計画が狂ってしまう。
それだけは何としてでも止めなくてはならない。
そこで、二人は圧倒的に邪魔な存在であるハンナとその子どもをどうするか考えた。
そして……。
◇◇◇
カイルとハンナは直々に領主ベイルと話すこととなった。
ベイルの部屋に呼ばれた二人は彼の部屋へとたどり着く。
扉の前にはいつもいるはずの侍女の姿はなかった。
これは中での会話が絶対に聞かれてはいけないこと。
または中で起きる事が絶対に気づかれてはいけないということだ。
カイルたちは意を決して扉を開き、ベイルの部屋へと入室した。
そこで待っていたのは父親であるベイルに母親であるヴァレンシア。
そして、ハンナの父親である料理人と母親である侍女だった。
まさか、ハンナの両親まで呼ばれているとは思わなかったカイルたち。
ハンナは驚きにより、目を見開く。
そんな中、ハンナはベイルから言葉をかけられる。
「ハンナよ、そういえば子を身篭ったそうじゃないか。おめでとう」
入室してからいきなり言われた言葉。
彼らは特にここに呼んだ理由もハンナの両親がこの場にいる理由も説明はしてくれなかった。
そして、そんなベイルの言葉に答えるハンナ。
「ありがとうございます、ベイルさま……」
ハンナは動揺を隠しきれない。
これから何を言われるのかと思うとびくびくとしていた。
そんな彼女を見て、カイルはハンナの肩に手をそっと乗せた。
そして、ハンナの震えが止まるのを待った。
言葉には出さなかったが、自分が側にいるから安心して欲しいとカイルは伝えようとしたのだ。
それをハンナも理解する。
そして、カイルと目を合わせて安心するのであった。
「あらあら、貴方たちって本当に仲が良いのね……」
この様子を見ていたヴァレンシアが二人に声をかける。
そして……。
「そういえばハンナ、聞いてなかったね。いったい、それは誰の子どもなのかしら……?」
ヴァレンシアはハンナを鋭い目つきで見つめて尋ねる。
彼女のこの言葉にハンナの両親は震えていた。
これを見てカイルは気づく。
ヴァレンシアは最初から答えを知っていて質問していると。
そして、ハンナの両親に対し何か脅しているのだろうと……。
「貴女の両親には長年ここで働いてもらっていてね、本当に感謝しているのよ。それこそ、高い給与と住むところまで与えてあげるほどね」
「そんな二人の娘である貴女が、誰の子どもを授かったか教えてくれないかしら……?」
ヴァレンシアはハンナに尋ねる。
ヴァレンシアとしては、ハンナからカイルの子どもでないという
女であるハンナに、これはカイルの子どもではないと発言させることに意味があった。
しかも、ハンナの両親までここに呼び、あの怯えよう。
これはハンナを含め、彼女の両親を脅しているに違いない。
おそらく、ハンナがお腹にいるのはカイルの子どもだと言おうものなら、彼女の両親に危害を加えるということで間違いはないだろう。
少なくとも職を奪い、ローレン領では働けないような制裁が二人には待っているに違いない。
それをハンナもわかっているからこそ、ヴァレンシアの質問に答えられない。
そんなハンナをヴァレンシアはさらに追い詰める。
「あら、どうしたの? もしかして、どこの誰ともわからぬ男との子なのしから? それとも、ふしだらな行いをして誰の子かわからないとでもいうの?」
ニタニタと笑ってハンナを侮辱するヴァレンシア。
このままハンナは不名誉なレッテルを貼られて追い出されるかに思えた。
だが、ここでカイルが声をあげる。
「私との子です……」
それはこの場にいる者、全員に聞こえるには充分な声量。
カイルは確かにそう言った。
だが……。
「聞こえなかったな……。カイル、お前は次期領主になる男なんだ。よく考えてもの申せ」
カイルの父親であるベイルはあごひげを撫でながらそう忠告する。
一時の過ちは忘れ、前に進めと。
だが、カイルはこれを無視する。
「ハンナのお腹にいるのは私との子どもです!!」
カイルは声を張り上げてこの場にいる者たちにハッキリと宣言した。
「私とハンナは愛し合っています。これでも何か問題ありますか……?」
カイルは父親に尋ねる。
自分はこう決意したのだと。
「カイル!
ベイルが怒鳴りつける。
「お前はそんな下人と人生を添い遂げる気か! お前はこのローレン領の領主となり、エウレス共和国を導いていく存在になるのだろ!」
「お前は昔、確か私たちに誓ったな! 領主になりたいと。その役目を果たしたいと。ならば、その女は諦めろ! 自らを高める者との関係を大事にするんだ」
ベイルの叫びが辺りに響く。
廊下に侍女を置いておかなかったのは正解だろうとカイルは考える。
屋敷に仕える者の娘を下人呼ばわりする領主など、カイルからしても恥でしかない。
「えぇ、確かに二人に誓いました。私は領主となり、その役目を果たしたいと……」
「しかし……それが愛する人や、ご恩をいただいた相手を切り捨てることでしかなれない地位だとするならば、僕は領主になんてなりたくない!!」
「そんな人間になるくらいなら、僕は領主になんて
カイルは初めて両親の前に感情をあらわにする。
この反論は、今だからできたこと。
これまでカイルが努力を積み重ねてきたからこそ、意味を持つ意思表示だった。
「領主になるつもりがない……だと?」
カイルの言葉にベイルとヴァレンシアは衝撃を受ける。
これまで、カイルが次期領主となることを見据えて物事を進めてきた。
他の領主との付き合いや領内での活動なども含め、カイルが領主となることは領内外でアピールしてきた。
そして、カイルの魅力と実力によりそれは確実となるものだった。
今さら弟であるヨハンを領主に立てられるか?
そんなの無理に決まっている。
領民はもちろん、同じ派閥の領主たちだってカイルに期待しているし、カイルがいるから父親であるベイルへの評価も上がってきたのだ。
ローレン領、次期領主との婚姻ということで、既に多くの領地の者たちを巻き込んでいる。
ハンナが子どもを産めば地獄。
ヨハンを領主にしても地獄。
どうしてこんな事になってしまったのか、ベイルとヴァレンシアは理解できず、言葉がでなかった。
そして、ヴァレンシアがカイルをにらんでわめき散らす。
「恩を返すというのなら、私たちに返すのが筋でしょう! 貴方を産んだ親に対して、何て態度なの!?」
カイルはこれを聞き、あきれてしまう。
この言葉を本気で言っているのかと。
「産んでもらったことは感謝しています。教育してもらったことも感謝しています。しかし、それだけです」
「貴方たちが育てたかったのは私ではなく、理想どおりの優秀な領主の息子でしたよね? 私は既に、二人に感謝していた分だけ優秀な領主の息子を演じきりました。10年も演じましたし、それで恩は返したと思います」
淡々と語るカイル。
初めて自分のコントロール下を離れた事に、ヴァレンシアもいらつき、どうにかして言うことを聞かせようとする。
「バカなことを言うな! この、恩知らずが!」
しかし、感情的になってしまい過ぎて単調なことしか話せない。
「私が一番苦しんでいるとき、側で私を支えてくれたのはここにいるハンナでした」
カイルは隣にいるハンナを抱き寄せ、語る。
「生きる価値がないと思い、音も味も消えた世界で、ハンナだけはこんな私を必要としてくれました。この手を取って光のある世界へと導いてくれました」
「ハンナはもう一度私に生きる意味を教えてくれたんです。私は、一生かかっても彼女に恩を返し切らないと思っています……」
ハンナの瞳から涙が溢れ落ちる。
カイルがかつていた暗い世界。
苦しんでいた彼を支えてくれた少女は、自分の過去を思い出して涙する。
本当に、あのときカイルの側にいようと思えてよかったと。
「失礼ですが母上、私は貴女がおっしゃるほど自分を恩知らずではないと思っていますよ」
カイルの言葉に眉をつり上げるヴァレンシア。
さらに、カイルは追撃をかける。
「いや、仮にこれが恩知らずというのなら、私は恩知らずで構いません。ただ、それなら貴女に返せるような恩を私は持ち合わせていませんし、この家を出て行こうと思います!」
カイルの暴走は止まらない。
ベイルもヴァレンシアも唖然とする。
「御二人とも、これまで我が家に勤めてもらい本当にありがとうございました。よかったら、私たちと一緒に王国にでも行きませんか?」
カイルはハンナの両親に話しかける。
「魔術学校で、私になら一生ついて行ってもいいと言ってくれる仲間たちに何人も出会いましたし、この屋敷内にも何人もいます」
「最初は厳しいかもしれませんが、直ぐに御二人を養えるくらいの稼ぎを作ってみせます。それに御二人も私たちと共に、かわいい孫の成長を見守りたいとは思いませんか?」
勝手に話を進めるカイル。
このままではハンナの両親だけでなく、ローレン領各地、そして屋敷から優秀な人材がカイルと共に出て行ってしまう。
その話し合いが、いま目の前で行われている最中であるのだ。
そして、ベイルが折れた——。
「わかった……。カイル、今はお前の好きにしていい。だから、次の領主になってくれないか……?」
この発言にヴァレンシアは反対する。
「ちょっと!」
しかし、ベイルはこれを黙らせた。
そして、カイルは答える。
「ハンナはもちろん、御二人にも手出ししないと誓いますか?」
カイルはハンナと子どもだけでなく、ハンナの両親のことも心配していた。
だからこそ、二人のこともしっかりと守ろうとしたのだった。
「もちろんだ。今回の件、私たちが悪かった……」
もちろん、簡単にベイルやヴァレンシアが諦めてくれるわけではないだろう。
しかし、少なくとも今回の件である程度カイルが有利になるような条件を得ることができた。
これがカイルが長年我慢して努力してきた結果。
ハンナを想っていたからこそ手に入れられた大きな成果だった。
「これはあれ……。ベンデン家の坊ちゃんの
ヴァレンシアも悔しそうな表情でカイルに尋ねる。
今回の件はエトワールから指示されたことなのかと。
「エトは関係ないです。あくまでも私の意思ですよ。ただ、エトの生き方に影響はされましたけどね……」
こうして、カイルはハンナたちの事を守ることができたのであった。
そして、あとはハンナが無事に出産できることを願うだけ。
だが、このとき……ヴァレンシアが復讐の闘志を燃やしていることに気づくことができなかった。
カイルはこれを生涯後悔することになるのであった。
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