177話 カイルの過去(3)

  カイルがエトワールと出会ってから4年の月日が経った。



  再び領主を目指すことにしたカイルだったが、その気持ちを両親に伝えることはしなかった。


  自分は一度、その道にくじけ諦めてしまった身。

  弟であるヨハンが領主になりたがっているのだとしたら、自分が彼の夢を奪ってしまうかもしれない。


  心優しいカイルは弟のことを気にかけて自分の事は後回しにしていた。

  この行き過ぎた優しさはカイルの長所であり短所でもあった。


  もちろん、両親はカイルが領主を目指していることなんて知らないため、彼に家庭教師を付けることはなかった。

  屋敷の中では弟だけが領主になるための教育を日々受けている。



  だが、それでもカイルは構わなかった。

  それには二つの理由がある。



  一つは魔術学校に通うようになったということ。


  これにより、カイルは朝から夕方まで学校で勉強ができる。

  家庭教師から教わる基礎教養や魔法については魔術学校で学ぶことにしたのだ。


  それに、カイルはローレン領で一番優れている魔術学校に通い、成績も常に上位をキープしていた。

  首席にこそなれはしないが、それでも高等部に進学するときは一番優秀なAクラスに入れるだけの成績はとっていた。



  そして、もう一つはエトワールたちとの時間を過ごすということだ。


  エトワールたちはカイルのことが気に入ったということで、しばらくの間はローレン領で暮らすことにしたのだった。


  「エト! 今日は何を教えてくれるの?」


  そんなカイルは魔術学校では教えてもらえない領主としてのノウハウや知識をエトワールから教えてもらっていたのだった。


  そして、カイルもエトワールのことが気に入り、実の兄のように慕うようになっていた。


  「カイル、お前はおれに仕事されてくれない気か? おれたちはお前と違って働かなきゃ食べていけないんだぜ」


  エトワールは学校が終わるとすぐに家までやってくるカイルを見て微笑ましく笑う。


  エトワールとシシリアは魔法が使えるということで『何でも屋』を開いて領民たちが困っているのを助ける仕事をしていたのだった。


  そんな風に語るエトワールをハンナが指摘する。


  「でも、エトワール様ったらいつもカイル様が来るのを待っているじゃないですか〜」


  ハンナは魔術学校に通ってはいないので、カイルが学校でいない間はシシリアに可愛がってもらっていたのだ。


  「ちょっ! ハンナ、それは言うなよ〜」


  慌てて照れるエトワール。

  そんな彼を見て、みんなが笑顔になる。


  「でも、エトったらほんとカイルの事を待ってるのよ。弟ができたみたいに可愛がってちゃってね〜」


  クスクスと微笑ましくエトワールを見つめるシシリア。



  こうして、四人は充実した幸せな日々を送っていたのだった。




  ◇◇◇




  それからさらに月日が経ち、カイルの中等魔術学校卒業が決まった頃、ローレン家では一つの問題が浮かび上がっていた。


  それは、カイルの弟であるヨハンがカイルほど優秀でなかったということだ。


  教えてもらってきたことを何でも器用にこなしてきたカイル。

  それに対し、ヨハンは不器用で得意不得意が顕著に現れており、センスのないことはとことんダメだった。


  そんなヨハンに対し、両親はカイルに時と同様に厳しいと言葉をかけて奮い立たせようとした。

  だが、それが逆効果となりヨハンもストレスで追い詰められていくことになる。


  そして、ヨハンは領主になどなりたくない。

  カイルに任せたいと話すようになっていったのだった。


  そんなことが起きているとは知らないカイル。

  ある日、カイルは両親の部屋に一人呼ばれ、父親に問いかけられたのだった。


  「カイル、お前はまだ領主になりたいと思うか……?」


  カイルは生まれてから一度も領主になりたいなど二人に話したことはなかった。


  勝手に敷かれたレールを走らされ、失望され、そして身も心も壊された。


  それなのにカイルの両親はまるでカイルがずっと領主になるのを夢見てきたかのように語る。

  これには温厚なカイルも内心では不快に感じていた。


  だが、それは口に出さずにハッキリと自分の意思を語った。


  「私に務まるかはわかりませんが、それでも領主という役職を与えられる機会があるのならば、精一杯その役目を果たしたいと考えています!」


  自分が領民たちのために何かできるのならやってみたい!

  そのためにできることならばどんな努力だってする。


  これがローレン領のことを愛しく思う、心優しいカイルの本心だった。


  「そうか……。今の領地を最低限維持するくらいならお前でもできるだろう。今度から領主会には私と一緒に参加しなさい」


  カイルはあまり期待されていなかった。

  それでも、次期領主候補としては第一候補へと選ばれたのであった。


  「はい! 父上殿のような領主になれるよう、日々精進していきます!」


  カイルに道が開けた。

  多くの人の役に立てるという彼にぴったりの道が——。


  だが、逆に領主という役職は自身の自由を奪ってしまうものでもあったのだ。


  「そういえば、貴方は婚約者がまだいなかったわね。中等部では親しくなった地主の娘や、大商人の娘はいるのかしら?」


  母親であるヴァレンシアがカイルに尋ねる。


  これは領主として後継者を産むのは当然のこと。

  そのための相手は領地においての有力者か、同じ派閥の領主の家から嫁をもらってくるのが当然のこと。

  そんな認識のもとでの質問であった。


  「もしも、まだそういう子がいないのだったら、私たちが派閥内の領主様たちにかけあってあげるわ」


  カイルの中で胸が締め付けられる。


  自分が結婚……?


  そんなのはしたくない。

  だって、結婚なんてしたらハンナとはどうなるんだ?


  彼女はきっと、表面上は祝福してくれるだろう。

  だけど、心の中では悲しむに違いない。



  僕はハンナと、ハンナは僕といないとダメなんだ……。



  僕は生まれてからずっと孤独だった。

  両親は僕のことをしっかりと見てくれたことなんて一度もなかった。


  二人が見ているのはカイルの奥にある理想の息子の投影像。

  だからこそ、二人は僕が理想通りの息子にはならないと知ったとき、見限ったのだ。


  だけど、ハンナだけはありのままの僕を見てくれた。

  優秀でもなければ、将来有望でもない僕の側にいつもいてくれた。

  ハンナがいたから、今の僕がいるんだ。


  だから、これからもハンナとずっと一緒にいたい。

  結婚するのならハンナとしたい。



  カイルの中で彼女への想いが湧き上がる。



  エウレス共和国では一夫多妻は認められていない。

  ハンナと結ばれるにはここで言うしかない。


  そして、カイルは勇気を出して二人に告げた。



  「私はハンナと結婚したいです! 彼女以外の妻は考えられません!」



  二人はカイルの言葉に驚いたように目を開く。


  想定外の言葉。

  だがカイルは確かにそう言った。


  「ハンナというのは、使用人の娘で間違いないか?」


  使用人の娘と恋に落ちる。

  庶民同士のことならまだしも、領主の家系の者がそんなことを言うなんて普通では考えられなかった。


  「はい。そうです」


  間違いはないと言うカイル。

  そんなカイルに二人は反対する。


  「それはできないな。やはり、お前は領主には向いていない」


  「ハンナと結婚してメリットはあるの? 領地に関して何か得があるのかしら? 領主になりたいのならそういう考え方ができるようになりなさい」


  反対されることはカイルにもわかってはいた。

  しかし、実際に領主になる者として利益の生まれない結婚など認めてもらえないのだ。


  そして、二人は落ち込むカイルに声をかける。


  「まぁ、お前もまだ若い。段々と領主としての役目に気づいていくだろう。今の段階で婚約者を決める必要なんてないのだから、ゆっくり頭を冷やせ」


  「次にそんなことを言ってみなさい。ハンナの親の替えなんていくらでもいるんですからね」


  婚約者はじっくり選べという父親。

  そして、次に同じことを言ったらハンナの両親をクビにすると告げた母親。


  カイルは何も言うことができずに部屋を後にする。



  「クソッ!!」



  そして、自分の部屋に戻ったカイルは拳で壁を叩きつける。


  今の自分はちっぽけで何の力も持たない存在だ。

  そんな自分が無謀に両親に反抗したところでハンナとハンナの両親に迷惑をかけてしまう。



  そして、カイルは一人誓うのだった。



  いつか、自分を否定できないほど両親たちを認めさせてハンナを迎えにいこうと——。


  それからのカイルはハンナを想う一心で頑張った。


  魔術学校の高等部に進学したカイルは首席で卒業。

  さらに、多く同級生たちからの信頼も厚く、その中には将来カイルの下で共にローレン領のために働きたいという優秀な生徒たちもいた。


  父親に連れて行ってもらう領主たちの会合などでも、同派閥の領主たちからだけでなく、他の派閥の領主たちからも好印象をもたれることも多かった。


  カイルには知性や気品だけでなく、人に好かれるカリスマ性があったのだ。



  両親は期待以上のカイルの躍進っぷりに喜びを隠せなかった。

  このままカイルは無事に領主となって、ローレン領を繁栄させていく。


  それはカイルの両親だけでなく、ローレン領の領民たちや他の領主たちもそう思っていた。


  そして、そろそろカイルにも妻をどこからもらおう。

  そんな事を考えていたときだった。



  ハンナがカイルの子を身篭みごもった。

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