176話 カイルの過去(2)

  「エトワール……?」



  カイルは男の名前を聞いて考える。


  それはどこかで聞いたことがある名前だった。

  そして、カイルは思い出す。


  「もしかして、ベルデン領の次期領主であるエトワール様ですか!?」


  エトワール=ベルデン。

  それはカイルがかつて英才教育を受けていた時に勉強したベルデン領の次期領主候補。


  とても優秀な男であり、両親や家庭教師からは絶対に対立するのは避けるようにと言われていた。


  ローレン領とベルデン領では圧倒的にベルデン領の方が豊かなのだ。

  人口、農業、商業、軍事と全てにおいてベルデン領が勝っている。


  この二つの領地は比較的に距離も近いということもあって、ローレン領の領主からしたらベルデン領とは揉めごとなく仲良くやっていきたかったのだ。


  すると、シシリアと紹介された女性がエトワールをからかう。

  彼女は色白い肌で純白のロングヘアーがよく似合う女性だった。


  「あら、エトったらローレン領にまで名前がとどろいているみたいね。まったく、どんな風に知られているのかしら」


  クスクスッと笑って微笑むシシリア。

  エトワールは照れながらも自分の事を知ってくれているという事実はまんざらでもなかったようだ。


  「おれのことを知っているのはありがたいんだが、おれはお前たちのことは知らないんだ。よかったら教えてくれないか?」


  茶色の短髪で平民のような薄着を羽織る男、エトワール。

  彼は細身ではあったがその腕には綺麗に筋肉がついていた。


  少しワイルドな一面もありつつも、エトワールはカイルたちに優しく振る舞う。

  そんなエトワールを見て、カイルも好意的に接する。


  それは両親たちに対立しないようにと言われているからではなく、自分がそうしたいと感じたからすることであった。


  「僕はローレン領、領主ベイルの息子であるカイル=ローレンです。それで、こちらは僕の大切な友だちのハンナです」


  カイルは自分とハンナのことを二人に紹介する。


  「あっ、あの……。よろしくお願いします!」


  ハンナは政治に関して無知ではあったが、一つの領地の領主候補であるということで二人が偉い人だということだけはわかった。


  「へぇ……。ここの領主の息子さんだったわけか。それにしても、まだ子どもなのにしっかりしてるんだな」


  エトワールはまだ幼いカイルを見て感心する。


  「王国にあるフォルステリア最高峰の魔術学校を首席で卒業した栄誉あるエトワール様にそう言ってもらえると、僕としても嬉しいです」


  エトワールは12歳で隣国のカルア王国に留学し、カルア魔術学校の中等部と高等部を主席で卒業していた。

  これはとても名誉あることであり、カイルにとっては遥か彼方にいる手の届かない存在であった。


  「あぁ、それでお前もおれを知っていたのか」


  なるほどなと納得するエトワール。


  そんな彼を見てシシリアがからかう。


  「もしかして、武闘会で一年生に負けちゃう首席ってことで知ってるのかもよ〜」


  「おいおい、それはもうやめてくれよ」


  勘弁してくれというようにシシリアに笑いかけるエトワール。


  カイルは武闘会でエトワールが負けたという事実は知らなかった。


  「エトワール様は武闘会で下級生に敗北してまったのですか?」


  無意識にも、エトワールの傷をえぐるような質問をしてしまうカイル。

  それに対してシシリアが答える。


  「そうなのよ! エトったら三年生のとき、入学してきたばっかのAクラスの子に負けちゃったのよ〜。まあ、クラスは2勝して優勝もしたんだけどね」


  「いや、あれはダリオスが強すぎたんだ! あいつは将来、絶対にいい国王になるぞ。そして、おれもあいつに負けない領主になるはず……だったんだけどな」


  ダリオスというのはカルア王国の王子だ。


  彼もエトワールに負けないほど優秀な人物だと両親には聞いてはいた。

  まさか、武闘会においてはダリオスの方が勝っていただなんてカイルには驚きだった。


  「それでも、エトワール様が素晴らしいお方だということには変わりませんよ!」


  戦闘に関する魔法が優れているからといって、その人物が立派だというわけではない。

  人間の価値は戦闘力で決まるわけではないのだ。


  だからこそ、カイルにとってエトワールはそれでも尊敬に値する存在であった。


  そんなカイルの言葉を聞いてエトワールの顔が明るくなる。


  「カイル、お前って本当にいいやつだな〜! エトワール様なんて呼ばないで『エト』って呼んでいいぞ!」


  エトワールはカイルが気に入ったようで愛称で呼ぶように言う。


  「そんな!? それは流石におこがましいにもほどがありますよ!」


  エトワールの提案を恐れおののくカイル。

  そんな彼にシシリアが声をかける。


  「大丈夫よ。エトは領主になるのを諦めて家を出てきたんだし、あなたの方が地位的には上なのよ」


  予想もしないようなシシリアの発言。


  エウレス共和国における若手最大のホープであるエトワールが領主になるのを諦めた?


  カイルはこの事が誠には信じられなかった。


  「まぁ、簡単にいうと両親とケンカしちまってな……」


  エトワールは神妙な顔つきでそう語る。


  「そうだ! おれたちは今日はローレン領に泊まろうと思ってたんだ。よかったら、案内してくれないか?」


  訳あって旅をしているであろうエトワールとシシリア。

  どうやら、それはエトワールの家出のようなものなのかもしれない。


  エトワールほどの者が家出などするのだろか?

  だが、それを深く追求するもの悪い。


  「それではうちに来ませんか? エトワール様たちを客人として迎え入れたいです!」


  カイルは自分の屋敷に来てくれないかと二人を誘う。

  だが、エトワールはそれを断った。


  「気持ちはありがたいんだが、それだけはやめておくよ。おれがローレン領の領主様に借りを作ったなんて実家に知られたらやっかいだからな。賢いお前ならわかるだろ?」


  カイルは政治的な詳しいことは知らない。

  領主間の駆け引きともなれば余計にわからない。

  ただ、ローレン領とベルデン領の領主はそれぞれ別の派閥に属しているのは知っていた。


  二つの領地間では食糧などの物流はあるが、それはお互いの利益があるからやっているだけ。

  友好関係があるわけではないので魔術学校の留学などの受け入れはしていないのだ。


  まだ幼いカイル一人の判断がこの二つの領地間の関係に影響をもたらせてしまうかもしれない。

  そう考えると急に怖くなった。


  「だから宿屋を紹介してくれないか? お前の気持ちはありがたく受け取っておくさ」



  こうして、カイルとハンナは二人を宿屋まで連れて行くことにしたのだった。




  ◇◇◇




  街中にある宿屋に向かうため、彼らは森の中を歩く。

  ただ歩くのも退屈なので、彼らはお互いの話をすることにした。


  「カイル、お前は王国への留学とかしないのか?」


  エトワールがカイルに尋ねる。


  カルア王国の魔術学校は、エウレス共和国からの優秀な子どもたちが来てくれることを喜んで受け入れてくれていた。

  王国内からの受験生より合格ラインは上がりはするが、通えないわけではなかった。


  だが、カイルは自分には才能がないと思っていた。

  王国への留学なんて自分には夢のまた夢だと……。


  「留学なんてとんでもない! 僕には才能がないんです……。何をやっても僕より優れた子たちがいるんです。だから、領主候補からも外されて……。領主もたぶん弟がなるんです」


  だんだんと声が小さくなっていくカイル。


  目の前にいる天才のエトワールとは対照的に、自分は凡人でしかないのだ。


  同じく領主の息子として生まれたのにこれほどまで差がある。

  カイルは惨めさを感じていた。


  だが、これを聞いたエトワールはカイルに怒る。


  「自分より優れたやつがいるから領主にはなれない……? そんなバカバカしい考え捨てしまえ!」


  カイルは突然声をあげたエトワールに少し驚く。

 

  そして、エトワールは自分の昔話をする。

  自分がかつて何を思っていたのか、そして王国に留学してそれがどう変わったのか。

 

  「おれだってな、昔は立派な領主を目指してたんだぜ! 領地の民たちはみんな良い人だし、おれの力で彼らを幸せにできたら最高だって思っていたんだ」


  「だけどな、カルア王国に留学してみてそれが変わったんだ! おれはなんて浅ましい考えの人間だったのかってな!」


  エトワールは自分の過去の夢を語る。

  まだ彼がベルデン領の領主となりたかった頃の話を。


  「王国の今の国王、ダリオスの親父さんだな。あの人が立派な人なんだよ! パッと見は何もしていないんだけどな」


  「大臣たちが全て仕事してる。あの人自身は無能で大臣たちに言われたことを下に指図しているだけように見える。だけど、違うんだ!」


  エトワールの言葉に熱が入る。

  それほどに彼は王国の現国王を尊敬しているようだった。


  「あの人は自分が無知で無力だと知っているからこそ、信頼できる者たちに全てを任せられるんだ! そして、彼らをまとめるカリスマ性がある!」


  エトワールはそう語る。


  「おれは幼い頃から様々なことを勉強してきた。それこそ、一日中勉強したことだってあったさ。そして、おれが一人で全てを極めて領民たちを幸せにしてやるって思ってたんだ」


  「だけどな、一人の人間があらゆる分野に精通するなんて一生かかっても無理なんだぜ? それをあの国王はわかっていたんだ!」


  エトワールは国王の本質を見抜き、その凄さを熱弁する。


  「だからこそ、何かしらに秀でているスペシャリストの貴族たちを巧く使って巨大な王国をまとめあげているんだ! 自分一人で考え、自分一人の判断で権限で使うことはしない」


  「あの人だってそれなりに優秀なはずなのに、自分より信頼できる者に全てを任せているんだ!」


  エトワールが話すカルア国王の話。


  カイルはそれを聞いていて自分にも突き刺さることがあった。


  「カイル、お前より優れたやつがいたっていいじゃないか。お前がそいつらをまとめて使いこなせ!」


  「領主に求められていることは全知全能のナンバーワンの人間になることじゃない! 結果として、領民たちを満足させて幸せにしてやれる人間だ!」


  エトワールの言葉にカイルの心が揺れ動く。


  「おれはお前なら立派な領主になれると思うぜ。まぁ、お前が領主になりたければの話だけどな。ハッハッハッ」


  カイルはもう一度自分の胸に問うてみる。

  自分は領主になりたかったのかどうなのかを。


  一度は諦めた領主という役職。

  だが、エトワールの言葉によってカイルは再び挑戦できそうな気がしてきた。


  「わたしはカイル様のことを応援しますよ!」


  隣を見れば、そう言って微笑んでいてくれるハンナがいた。


  そして、カイルは決意する。


  「もう一度、僕は挑戦してみようと思います! たとえ、それが無理でもやってみたいです!」


  こうして、カイルは再び領主になろうとする。


  それは、生まれながらにして押し付けられた義務ではなく、自分からやってみたいと能動的に決めた初めての挑戦だった。



  そして、その後も宿屋に着くまで彼らの話は続いた。

  その中にはエトワールが領主を諦めた話もでてきた。



  どうやら、エトワールは王国で留学中に出会った庶民であるシシリアと恋に落ちて結婚しようとしたらしい。


  しかし、エトワールは故郷に婚約者がいる身。

  王国の貴族ですらないシシリアと結ばれることはできなかった。


  そして実家で大喧嘩となり、勘当して家を飛び出してきたようだった。


  エトワールの話では、本当は領主にはなりたかったのだが自分たちの幸せを優先して決断したらしい。


  それに、エトワールが領主にならなくとも、ベルデン領は既に豊かで自分がすべき使命がそれほどなかったということもあるらしい。


  カイルはこの話を聞いて思うことがあった。


  自分ならどちらを選ぶのだろうと。


  愛する人を選ぶのか、領主という地位を選ぶのか。

  そんなことを考えていたのであった。

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