第28話 視点④
あの男女の通う大学へ行った。女は私の存在に気が付き、すぐに距離をとってきた。男がどこの学部なのかわからなかったから仕方なくキャンパス内を探した。その間に男の方が私を先に見つけ、私に話しかけてきた。
「おい、いい加減にしろよ。大学までくるとか頭おか…」
「おせーんだよ」
私は男の耳障りな声を遮断するようにそれだけ言って歩き出した。男は私の顔を見て、はっと息をのんだ。安田とかいう女も、大学時代のアルバイトの女も、百瀬とかいうやつもみんな私の顔を見て言葉を失くす。私は、自分がどんな顔をしているのか想像がつかなかった。
遅くて使い物にならない男は放って、私はまた百瀬を探した。百瀬は友達といることが多かったので一人になるのを待ち続けた。やっと一人になったから、すぐに隣を歩いた。
彼女は声にならない一瞬の悲鳴をあげ、立ち止まった。
「あ、あなた、誰なんですか! 川下君じゃなくて桜田さんのことストーカーしていますよね!?」
他の人が気が付かなかったことに気が付いたことについては感心した。
私は堪えきれない笑みを、そのまま表現した。女は恐怖のあまり、次第に目に涙を浮かべる。
安田の時と同じように変声機を使う、邪魔なやつが震え慄いて、恐怖に征服されるこの感じがたまらない。私と桜田先輩の恋の進展を邪魔するやつは絶対に許さない。私は腸が煮えくりかえりそうな気持を抑えて、静かに答えた。
「そうだよ」
機械音が響く。
「やっぱり……、川下君が来る時間は桜田さんも出勤で、川下君が帰っても店にいるし、先輩がいつものシフトの時間じゃない日は来るまで長い時間待ってたから。こんなことして桜田先輩に迷惑だってわかんないんですか?」
女は耳障りな声で鼻につく言葉を私に向けて放つ。
「桜田さんは、あなたみたいなストーカー、絶対気持ち悪がるに決まってる!」
そう言った女の前髪を私は思いきり掴んだ。突然の出来事に虚勢をはっていた態度も崩れ、口元が震えているのがよく見える。私はそのまま自分のおでこを女のおでこにくっ
つけた。
「あんたに先輩の何がわかんの?こないだ先輩の好きな食べ物聞いたでしょ?先輩はね、カレーライスが大好きなの。 私はそのことをもう十年も前に知ってる。 しかも先輩は私の作ったカレー食べたの、おいしいって。 先輩が朝起きて最初にすることは何だと思う? うがいをして水を飲む。 寝る前にやることはストレッチ。 先輩はいつもコンビニで焼き肉弁当を買うの。 先輩は優しくて心も広いの、だからあんたみたいな女でも言い寄られるときつく断れない。 決してあんたを受け入れてるわけじゃない、先輩は仕方なくあんたを傷つけないように配慮してるだけ。 それなのにあんたは先輩の腕に抱き着くように触ったり、ご飯を一緒に食べて、先輩の彼女にしてほしい?はっはははあははっははははは……笑わせんな」
女の目に溜まっていた涙は溢れ、震えながら髪の毛を持つ私の手を離そうとした。
「ふざけないでよ、思い上がんないでよ。お前みたいな女が先輩の隣にいていいわけない。先輩の隣は私、私以外絶対だめなの。これ以上先輩に近づいたらこんなんじゃ済まさないから」
そう言うと、百瀬は震えながらも首を何度も縦に振った。
私は勢いよく髪の毛を離し、泣きじゃくる女を置き去りに家に帰った。
気持ちがせいせいするかと思ったけど、子供相手じゃなんにも張り合いがなくて逆に無性に腹が立つのを煽った。そこで私はもう一人、会うべき人物を思い出した。
「あぶないあぶない、忘れるところだった」
私はその足で思い立ったが吉日と電車に乗った。30分ほど電車に揺られ、目的地にたどりつく。
駅で待ち人が来るのをただずっと待っていた。そこにやってきた待ち人に気づかれないようにあとをつけ、家の付近までついていく。
「こんばんは」
私がそういうと女は振り返った。その瞬間、泡でも吹くんじゃないかと思うような表情で私を見た。
「ごめんなさい」
女はなんで私がここに来たのかを理解していた。
「違うの、何も言ってないじゃない」
女の声は風前の灯火で、風が吹けばかき消されそうなほど弱かった。
「久しぶりですね、安田さん」
私が変声機を使って喋り出すと安田は耳を塞いだ。呼吸も荒く、今にもおかしくなりそうだと表情も息遣いもすべてがそう言っていた。
百瀬と違って反抗する様子もないから手荒なことはしなかった。
でも、一回目にちゃんと許してあげたのに、二回目もただで許すのはもったいない。
私は、条件をつけて、震える安田を許すことにした。
「……わかった」
掠れたような声で返事をした安田は、耳を塞いだまま泣いていた。
その姿を見て、やっと少し自分の気持ちが晴れるのを感じた。
やっぱり素敵な人には悪い虫も寄ってきやすい。私が先輩のことを守ってあげないといけない。私の中にはそんな使命感が芽生えていた。そして、やっとそれらを排除して落ち着いたと思っていたのに、
先輩は好かれることが多いから、そろそろ距離をちゃんと縮めていかないとまた別の女が目をつけることも考えられた。
私は、化粧ポーチからチークを取り出して顔に塗る。いつもより濃く、全体的に。
少し髪を手で乱し、横断歩道に立った。先輩が後ろから来て、隣に立つ。
私はぼーっと前を見て、まだ赤信号の横断歩道を渡ろうとすると先輩が予想通りに助けてくれた。
どさくさに紛れて、先輩の方へ倒れ込んだら先輩はとても心配そうにこちらを見ていた。
そのまま肩を支えられ、部屋まで送ってもらうことができ、更に私が玄関で倒れたのを、先輩はお姫様だっこでベッドまで運んだ。王子様のお姫様抱っこなんて嬉しすぎてさすがに笑顔は抑えきれなかった。
先輩が私の上着を脱がせ、抱きしめてくれた時は先輩の肩に顔を埋めて声を出さないように笑いを噛み殺すので精一杯だった。
もっと抱きしめていてほしかったけど、先輩は私をまたベッドに寝かせた。
そのまま、ソファへ行ってしまったから、先輩の姿があまり見えなくなった。私はズボンのポケットに入っていたスマホを取り出して、テレビ台にあるカメラの映像を見ていた。
先輩が同じ部屋のすぐそこにいるのに、画面にも先輩がいるなんて私は幸せな気持ちに包まれた。そのまま二時間くらい横になって、私は起き上がった。
ドキドキしながら、知らない男の人が部屋にいると思った女の子の演技をした。先輩はすごく慌てて、すっかり騙されていてそんな純粋なところもとても可愛かった。
もう幾度となく見て、呟いてきた先輩の名前を聞き、私たちは初めて知り合ったかのような場面にいた。お互いに、最高の秘密を抱えた状態で。
抱きしめられた感覚が忘れらない私は、お礼と称して先輩をデートに誘うことができた。
楽しみで仕方なかったけど、先輩が家で洋服を着て楽しみにしてくれているのがわかるともうそろそろ一緒になる頃合いで間違いないなと確信が持てた。
先輩が思ったよりも早く家を出たので、私も慌ててその後を追うように家を出た。
何か考え込んでいるようにも見える先輩に話しかけ、私たちは約束していたお店に向かった。たくさんあるメニューを選ぶ先輩は真剣でとてもかっこよかった。ご飯を食べるだけではもったいないと思っていた私はこの後につなげるため、先輩が私の会社近くでよく食べていたナポリタンを話題に混ぜて帰りの買い物も行けるようにしていた。
ご飯も買い物も楽しい時間はすぐに過ぎ去り、もうお別れかと悲しい気持ちになっていると先輩はわらび餅シェイクを飲みに行こうと誘ってくれた。
私はよく神社に縁結びをお願いしにくる。来たことのない神社だったけど、こんな日がまた来るようにとお願いした。数時間だけだったけど、ずっと楽しい時間が過ぎた帰り道に先輩は突然ストーカーの話を始めた。
どうやら私は川下のストーカーをしていることになっていたようで、それに伴って百瀬が被害を受けたという話になっているようだった。 川下なんてどうでもよかったが上手くカモフラージュされていたことを知った。それに対して安心していると、百瀬が私の知らないところで先輩に接触し手紙を渡していたことがわかった。
しかも、先輩をストーカーしているということを書いて伝えたらしかった。
あんなにやってやったのに、まだわかってないあの女。 私は憎悪が顔に出るのを抑えることができず、顔を手で覆った。
その日、先輩と別れてすぐに私はネット販売で大量の蝉を購入した。
二日後には届いたので、まだ生きている蝉を串刺しにした。
どうしたらあの女が先輩に近づかなくなるのか、そのことを考えているとあっという間に蝉を串刺しにし終わってしまった。
私はあの女が一度目に教育した場所に来るのを待った。
すっかり暗くなった道で、女がゆっくりスマートフォンを見ながら歩いてくるのがわかった。
私はあの日と全く同じように、女の隣に立った。
あの日とは変わって、こちらを見ることなく前を向いたまま固まった女の横顔を見つめる。
この女の携帯には安田からの無言電話がずっと来ているはずだ。本当はこの蝉も安田にやってもらおうかと思ったけど、私は顔を見たいという気持ちもあったので自分でやることに決めた。
「なんですか?」
震えながら、百瀬はそう言った。
「桜田先輩から、あんたの好きな物聞いたよ」
「警察! 警察呼びますよ!」
あんなにやってやったのに、それでもここまで強気で出てこれる図太さには尊敬する。
全くこちらを見ないのであの日よりも簡単に女の髪の毛を掴むことができた。
女はスマートフォンでどこかに連絡しようとしていたので、私はスマートフォンの前に串刺しにした蝉を出した。
今まで聞いたこともない悲鳴が上がる。私はさすがに声が大きかったので、辺りを見回した。でも正しいことをしているのは私だからか、周りには誰もいなかった。
女は持っていたスマートフォンを落とし、顔を背けようとした。
私は女の髪を持っていたので、そのまま頬に蝉をあてた。
「いやああああああ!!!」
女は激しく抵抗し、私を突飛ばそうとした。
「蝉って、食べれるらしいよ」
髪を離さないまま私がそう言うと女の動きは止まった。そしてようやく私の方を見た。
女は何も言わなかった。ただ、悪魔を見るような目で呆然とこちらを見ていた。
逆に、恐怖に慄く姿は今までたくさん見てきたからこういう反応は新鮮に感じられた。
もうきっとあの女が先輩の前に現れることはないだろうけど私は次の邪魔者が入る前に、そろそろ一緒になるべきだと判断した。
田口先輩みたいに逃げられるのが怖かった私は、今までの全ての録画を保存していた。
これは私のお守りみたいなもので、私が女性であることをふまえて、男性が勝手に部屋に住んでいたことがわかれば先輩の未来は決して明るくないだろう。
何年も待ちに待ったこの瞬間、せっかくならと私はサプライズを考えた。実は昔に会ったことがあるなんてとても運命的じゃないかな?
朝、準備を終えてずっと隠していたアルバムを取り出した。それをテーブルに置いて、私は居間のドアを抜ける。
そのまま玄関のドアを開けて、外には出ずに閉めた。廊下に戻って、居間のドアからこぼれる光を見つめていた。どんな顔をするかな、きっと喜んでくれるだろう。
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