第26話 視点②

 先輩に話しかけるタイミングは未だになかなかつかめなくて、いつしか撮りためていた先輩の写真も壁には貼り切れなくなった。お気に入りの写真はどれも捨てることはできなくて、一枚一枚丁寧にアルバムへしまうと、何十冊にもなった。

特にお気に入りの写真はいつも手帳に挟んでいる。ごはんを食べる先輩、楽しそうに笑う一瞬を捉えた写真、真剣に講義を聞く横顔。どの角度で撮っても先輩はかっこよく、精巧で王子様のようだった。

その間も想いは変わらなかったし、図書室で勉強する先輩の後ろ姿や食堂でご飯を食べる姿は毎日見ても飽きなかった。私がずっと見ていることに気が付いた人もいたけど、先輩は自己肯定感が低いからあまり信じてなく、排除はしないでおいてあげた。

ある日先輩のリュックの中にプレゼントを入れておいた。おそろいのブレスレットだった。

先輩が水色で、私はピンク色。私は既にずっとつけていたので先輩に早くつけてほしくてたまらなかった。

一生離れられないように、縁を結んでくれると有名なところでやっと買えたものだった。それを先輩のお母さんは知っていたようで、先輩の見てない内にゴミ袋に捨てたのを私は窓から見ていた。私が先輩の教科書やノートにたくさん想いを綴っていたのを見て、明らかに普通ではないと判断したのだろう。先輩の心が傷つかないようにと何も言わずに捨ててるところ見て先輩の優しい性格はお母さん譲りなのかなと思った。

「お母さんって勘が鋭いんだなぁ」

私は感心もしていた。ごみ捨て場までついて行って、その中から、無事だったブレスレットだけは取り返して持って帰った。

四年間もあったのに、私は高校の失敗を引きずり声をかけられなかった。失敗して、桜田先輩に拒絶されたら生きていけないと本気で思ったからだ。

また先に大学を卒業してしまった先輩は隣町に引っ越した。それに伴って私の大学生活は一気に面白みをなくした。大学が終わったあと、先輩の家が見える喫茶店でアイスティーを飲むのが楽しみに変わった。

でも、先輩は月を跨ぐごとに顔にくもりが出始めた。私が卒業する頃にはどこを見つめているのかわからないような虚ろな目で、踏切や車通りを見つめていることもあった。精神的に壊れていく様子は毎日眺めていると手に取るようにわかった。先輩がもしこのまま目の前の踏切に身を乗り出して死んだら、先輩の最後を見届けたのは私だ。私にはそれがとても尊いことのように思えた。愛する人の最後を見れるなんて素晴らしい、毎日ギリギリのところで持ちこたえる先輩の後ろ姿を見ていた。けれど、そのうちに先輩は会社をやめた。

私も大学を卒業する年となり、自分で出勤と退勤の時間を調整できる会社に勤めることができた。

社会人になってからも絶え間なく先輩を見つめて過ごす。先輩は数か月仕事をせずに過ごしていたけど本屋さんでアルバイトを始めた。

私はその本屋さんで時間をつぶすことが増え、立ち読みするフリをしてレジに立つ先輩を眺めているのが幸せだった。目立たないように注意を払いながら、先輩のレジで会計するのは私の一番の楽しみで、私の手のひらに先輩の指先が当たると思わずこぼれそうになる笑みを堪えた。帰ってからもその肌の感触や温もりを思い出しては幸せに浸る日々が続いた。

私も就職してから半年後くらいに先輩の家の前に引っ越した。

すぐに引っ越しをしたかったけど、前に住んでいた女をどかせるのに時間がかかった。

その女も精神を病んで、仕事をやめて田舎なのか実家に帰ったらしかった。

少し時間がかかったけど、無事に手に入れた新居は先輩の部屋と窓が対面していて先輩の様子が見えた。でも先輩はカーテンをすぐに閉めてしまうから、残念なことにあまり部屋での様子を見ることはできなかった。私は部屋での先輩の様子にとても興味があった。その興味を抑える必要はないと思ったし、わからないことがあるなら知りたいと思うのは普通のことだと思う。三階に住んでいるからか、先輩はとある夏の日、窓を開けたまま外出した。私は、前にテレビで見た排水管を上る方法で先輩の家の中に入った。

こんなに簡単に人の部屋に入れるものなんだなぁとずっと入ってみたかった空間に夢見心地で、私は初めて入る部屋の匂いにうっとりとした。

「先輩の匂い…」

私はそのまま布団に潜り込み、先輩の匂いを心ゆくまで堪能した。

先輩の部屋はクローゼットくらいしか隠れるところがなさそうだった。毎日着替えるだろうからここは開けるんじゃないかな。ベッドの下も収納で使われていて入る隙間がなさそうだった。ほとんど汚れていない台所を見て、私はシンク下を開いた。きれいな鍋やフライパンが置かれているだけで、少しだけスペースがあった。

「ここなら入れるかも?」

私は試しに入ってみると、150センチちょっとしかない自分の体はあっさり収納できた。

先輩はいつもコンビニでご飯を買っている。お弁当を買うことがほとんどだから、自炊をすることはないかなと考え、私はここで帰りをまった。

鍵の開く音がして、無言のまま先輩が帰宅した音がする。シンクの中は真っ暗で、しっかりとドアがしまってしまうため、姿は見えず、声もしないとなるとなんだかここにいる意味がないような気がする。

クローゼットを開ける音がして、浴室のドアが開き、シャワーを浴びるようだった。

水の音とボイラーの音がしたので私はシンク下から抜けだした。

先輩の脱いだTシャツに顔を埋めて、すりガラスに映るぼんやりした先輩を少しだけ眺めた。

シンクの下に戻ろうと思った時、テーブルの上に置いてある鍵が目に入った。

革のストラップがついた鍵を私は迷いなく手にして、外へ出る。

外から鍵をかけ、階段を降り、自宅に帰った。

「先輩の鍵! カギだ!! すごい! 合鍵!」

私は布団の中で喜びに身を震わせた。すぐに鍵屋へ持って行って、一週間もしないうちに鍵を作ってもらった。

先輩がドアのカギを変えている様子はなく、スペアの鍵で過ごしていることを予想していた。

先輩がアルバイトへ出かけている間、私はその鍵で部屋のドアを開いた。

再び私を包む香りは、体がジンジンとするほど自分を高揚させる。

私は、元々の先輩の鍵を落ちていたかのように、玄関に散乱する靴からのぞかせた。

そのまま、名残惜しい気持ちを残して自宅へ戻って普段の生活をつづけた。

若干警戒して数日は先輩の家に行くのを躊躇っていたけど、気が付いている様子もなかったので私は再び先輩の家に向かった。

シンクの下が私の居場所だったけど、そこからじゃ何も見えないから、先輩の部屋に一つだけカメラをつけることにした。居間が写るように電子レンジの後ろ側に取り付ける。

私は度々先輩の部屋に入ることはあったものの、それで十分先輩の様子を確認することができたので、回数は徐々に減っていった。

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