第15話 見えない物
「起きろー!」
父さんの大きな声が一階から響いた。
体は起きるタイミングがずれたのか、とても疲れていた。
「え?まだ、4時じゃん」
僕は外がまだ暗いのに星は見えなくなっていることに気が付いた。
仕方なく、階段をゆっくり降りて居間に入ると釣り人にしか見えない完璧な装備を整えた父さんが待っていた。
「いや、早すぎでしょ」
僕が薄目で父さんを見ていると、父さんは早く早くと僕を急かした。
服装は適当にデニムとパーカーで寒いかもしれないからと母さんは上着を貸してくれた。
母さんの見送りを経て、車が走り出すと聴いたことのある曲が車内に流れた。
「懐かしいね」
「あぁ、ちょっと遠い釣りスポットに行こうと思ってな。BGMが必要だろ?」
昭和の音楽が流れる車内は涼しいくらいで、上着はいらなかったかもと畳んで後部座席に置いた。
「どこに向かってるの?」
「海だよ、海釣りがアツいって仕事仲間がいうもんだから」
海なんてもう何年も行っていない。僕は自分が最後に海に行ったのがいつか思い出そうとしていた。
「でもなぁ、夜の海は怖いんだぞぉ」
父さんは釣りに行けているのが嬉しいのかテンションがおかしくなっていた。
「父さんって怖い話とか大丈夫な人だったっけ」
「何いってんだよ、父さんは男だぞ?20代の頃はよく心霊スポット巡りとかしてたんだからな」
急に武勇伝のように語り出すと、その後も家の前で撮った心霊写真や実体験まで話が及んだ。
「でもさ、こういう話してる時が一番幽霊って寄ってきやすいんでしょ?」
僕が父さんの反応を見ながらそう返すと、父さんは少し静かになった。
心霊番組になるとチャンネルを変えたり、ホラー映画が録画されていると勝手に消している父さんのことだ、ホラー系は苦手に決まっている。
僕はそこまで幽霊とかを信じてはいないけど、生きている人間の方が怖いっていうのには共感する。特に、自分の想定外の行動を平然とやってのけるタイプの人間には恐怖を覚えるものだろう。自分の部屋の戸棚に、少し面識のある異性が息を潜めていたら、それにどんな理由があったとしても恐怖以外の感情に置き換わることはないだろう。
第一、 今現在僕の行為がバレていないというのが奇跡に近い。
これで味をしめてしまえば、どんどん普通の道からそれていくんだろうな。
しばらく車を走らせると、目的地である海についた。波は穏やかなものの真夜中の海はすべてを飲み込んでしまいそうなほど真っ黒だった。僕の心もこんな色をしていたりして……。
父さんに渡された釣り竿にワームを付けることになった。
懐中電灯の明かりでその作業をしたが、虫がそんなに得意ではない僕には苦行に感じられる。やっとの思いでつけて、海に投げ込んだ。しばらく波に揺れる様子をながめ、父さんと仕事の話をした。
「父さんもな、今の会社をやめたいって思ったことがたくさんあるんだ」
初めて聞く話に僕は静かに耳を傾けた。
「母さんと春真がいたから、頑張れたんだよなぁ。母さんとは春真について話合うことが今までたくさんあった。入試とか就職とかで意見が対立したことも数えきれないほどあったけど結論で対立したことは一度もなかった。春真が自分で選んだ人生で歩んでいけるならそれがいいって絶対そこに落ち着いたんだよ」
潮風がたまに吹くと少し寒そうに肩を上げる父さんはこちらを向いた。
「春真の性格を、俺も母さんもわかってるつもりだ。だから先に言わせてもらうけど、生きていてくれたらそれだけでいい。変な風に考えるなよ、物質的なことなんてなんだっていい。 こうやって春真と過ごせる時間は形に残らなくても、俺たちにとって宝物なんだぞ」
両親が今回の帰省でこんなに思いを伝えてくるのは、しばらく帰っていなかったからだろうか。それとも僕が合わせる顔がないと実家に帰るのを躊躇っていたのがわかるからだろうか。
「父さん、母さんにもすごく今心配かけてると思う。入社してからも上手くいかないこと多くて、精神的に壊れかけた時にも助けてもらったこと感謝してるよ。今も、時々悩んで立ち止まったり考えがフラフラする。やり直そうとか頑張ろうって気持ちが長く続かなくて、自分が嫌いになるけど、今回実家帰ってきてすごい楽しい。またきっと何度も心が折れたりすると思うけど、自分のできることとかゆっくり探してみるよ」
ぽつりぽつりと言葉を繋げて話終えた僕の頭を父さんはわしゃわしゃと撫でた。
話の途中途中で父さんの釣り竿にヒットしたり、僕の釣り竿も大きくしなった。
思っている以上に魚を釣り上げるのって力がいるんだなと新しくわかることも多かった。
自分が思うやってはいけないこととやりたいことが対立した場合、多くの人はモラルや理性を優先して判断を下すことだろう。
僕の判断力はきっと他の人に比べてやわで、弱い。自分一人の力じゃ自分の闇にのみ込まれないようにするだけで精いっぱいだ。
年を重ねるに連れて、周りの人間に頼ろうとする気持ちは甘えだと思えたし自分をより一層情けなくさせた。男なのに、大人なのに、僕はそういう言わば見栄のようなものとか周りからの評価はしっかり気にするのにルールや最低限の常識を守らないことにはそこまで気が回っていない。今後恋愛をする度にこんな人間性を疑われることをしていていいなんて思わない。ずっとわかっていたことだ、僕もいつか絶対支えるから今は支えてもらえているこの状況を受け入れよう。
なんとなく遠のいていた家族の時間は僕の気持ちにすんなり入り込み、心の隙間を埋めていた。自分じゃ埋められないところを他の人が埋めてくれる。僕もまた、そんな風に他の人の心の隙間を埋められるような人でいたい。
次第に白んでいく空は少しずつ朝日に染まり、生まれて初めて海から上がる日の出を見た。
たくさん悩んでも、うまくいかなくても、あらゆるものが不平等で誰一人同じ境遇などない中で、一日というものだけは僕らに平等な気がした。
みんな同じ時間のなかを生きている。僕にしかできないことはなくても僕にもできることがあるはずだ。実家から帰ったら、まずは今やっているアルバイトの仕事をもう少し真剣にやってみようかな。みるみる上がる日の出を見ていると、潮風のつんとした冷たさも和らぎ、僕は父さんと一緒に片付けを始めた。
家に着くとまだ朝早いというのに、母さんは起きていた。
「おかえり、どうだった?」
待ち遠しいというように、僕の下げているケースを見ている。
「うん、結構釣れたよ」
僕は台所の前にケースを置いて、ふたをあけた。
「わぁ~、大きい!」
母さんは僕の釣り上げた大きめの魚をつつき、はしゃいでいる。
「一応持って帰ってきちゃったけど、母さんって魚さばけるの?」
「誰かさんが自分でさばけないのに、よく釣って帰ってきてたからね」
父さんは着替えながらあくびをして二階へあがって行ってしまった。
「あんたも疲れたでしょ、ちょっと眠ってきなさい」
僕は言われるがままに服を着替えて布団にもぐりこんだ。彼女は今頃起きてテレビをつけて、朝ごはんの準備をしているのかな。
ふと思い出すふわふわの髪、ふにゃりとした笑顔が今まではきつく胸をしめつけていたが僕はそのままゆっくり眠りにつくことができた。
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