第13話 永遠の愛

「別人だ……」

僕はいつも彼女の姿を探していた。アルバイトでも、彼女に似た髪型の人や背丈の人、服装の人とかを頻繁に見つけた。その度に、もしかしてなんて期待して当然そんなはずもなくて。

ここに来るまでだってそうだ、電車の中にも車の窓から見えたバス停に並ぶ人もどことなく似てる人を見つけている。

たぶん、他の人が見たらどこが似てるのかわからないほど別人だったりするんだろうな。

いつになったら忘れられるかな、また彼女の顔を見たり声を聞いたら僕はすぐに同じ場所に戻ってきてしまうだろう。そんな予想が自分の中では概ね確実に感じられた。

僕は深く溜息をついたあと、少し遠回りをして実家に帰った。

「ただいま」

久しぶりに口にしたこの言葉に、両親は当然のようにおかえりと返してくれた。

自分の部屋へ戻り、少しほこりをかぶった机に近づいた。

「あ、このノート」

大学の教科書たちの間に挟まったノートを取り出す。

目的のページを探して見つけた僕は開いたまま机の上に置いた。そのページには少し丸っこい字体で、『好きです、付き合ってください』と安田という名前が記されていた。

今日、あのタイミングで安田さんに会えたのは良かった。アルバイトという選択でできた自由な時間を何か有意義に使えないものか。

僕は彼女の言葉で幾分前向きに物事をとらえ始めていた。

「結局、どうして翌日告白が取り消されたのかはわからずじまいだったな」

僕は文字をなぞり、こんな風に想いをちゃんと言葉にできたらと考えていた。

一度声をかけてしまって以降、彼女はコンビニに来なくなってしまった。コンビニを避けるように帰っているような気もするし、僕はこのまま諦めて今までの生活に戻るしかないと思ってた。そう言い聞かせるように心で呟いている間も、ふにゃりと笑う顔が思い返された。

恋は苦しい、改めてそう思いながら僕はベッドに倒れ込んで目を閉じた。

 翌日、いつもよりゆっくり眠ることができた僕は母の朝ごはんだよという大声で目が覚めた。そういえば大学まで毎日こんな感じだったなと懐かしく思いながら、小さく今行くと返事をする。

立ち上がって大きく伸びをすると体がパキパキと音を鳴らした。

一階へ降りて、食卓テーブルにつくとカレーライスが出てきた。

「はい、あと昨日の残りね」

さすがに昨日の晩御飯の量は七人分くらいあったと思う。完食できなかった唐揚げなども食卓に並べられた。

「父さんな、明日から連休だから釣りに行けるぞ。天気もいい」

テレビの天気予報を見ながら提案する父さんはそわそわしていた。

急だなぁと内心思いつつ、よっぽど仕事仲間が羨ましいのだろうと僕は察した。

「まぁ、特に予定もないしね、いいんじゃない」

「おう、物置から釣り竿出しておくからな」

父さんは明らかに嬉しそうにしているのがわかった。母さんも釣りに行きたいと言ったが、父さんはだめだと頑なに拒んでいる。

「母さんは待てない性格だからな、釣りに向いてない」

その一言で母さんは静かになり、残念そうにポトフを食べていた。

父さんの出勤を見送って、居間のソファに座ると母さんもその隣に座った。

「あの人、もう何十年も前に一緒に釣りに行った時の事いまだにああやって言ってくるのよ。まだ若かったんだし、時効だと思わない?」

母さんはそう話ながらテーブルの上のおせんべいに手を伸ばしていた。

「うーん、母さんが待てない性格なのは今もあんまり変わってないんじゃない?」

そう返すと母さんはつまらさそうな顔をして、おせんべいを置き、お茶の準備を始めた。

平日の午前、特に面白い番組はやっていなかったので録画されている番組を再生する。

「将棋が録画されてるけど誰が見てるの?」

「それね、勝手に録画されるのよ」

「あぁ、前にこの時間帯のもの録画してたんじゃない?いらないなら消すよ?」

僕はほかにも観ていなさそうな番組を消去して、録画の容量を増やした。

母さんの準備した淹れたてのお茶を飲みながらゆっくりしていると母さんは食卓テーブルの椅子に座った。

「ねぇ、小学校の時あんたが好きだった女の子結婚したのよ」

「…そうなんだ、いつ?」

「二か月前くらいだったかしらね、ずっとこの地域に住んでたんだけど結婚を機に県外に行ったみたいよ」

当時はあんなに好きでたまらなかったのに、今ではもう明日には忘れてしまってるかもと思うほど興味がわかなかった。店長の言う通り、僕は一点集中型なんだろうな。

「春真は、将来の事なんか考えてるの?」

母さんからはどことなく、心配という気持ちと僕を追い詰めたりしないようにという配慮が感じられた。

「うーん、今も一応就職活動はしているよ。全然受からなくて面接受けれた会社もあまりないんだけど」

「そう、春真ならまたちゃんと会社に勤めたり自分のやりたいようにやっていけるわよ。 ちなみに、恋愛の方はどうなの?」

そういえば大分前だけど、近所の子が出産したって話も聞いたな。もしかして母さんも孫とか羨ましいのかな。

「それはめっきりだね。全く縁がないよ」

僕は堂本さんの話をすると色々言われそうな気がして、気になる人がいるとかそんな話はしなかった。それにもう諦めないといけないと思っているんだし。

「まぁ結婚が絶対じゃないからね」

なんとなく残念そうなのは伝わってきていた。

僕は両親にたくさん支えられて、応援されて生きているのに今考えてみるとあまり親孝行らしいことは何もできていない。理想を言えば、このまま就職して、堂本さんと結婚とかなんだろうけど、いまのところどちらも上手くいきそうもない。

なりたい自分が明確になるとなれない自分も明確になる。それが僕の気分の浮き沈みと直結していた。

「母さんは、なんで父さんと結婚したの?」

その質問に驚いたのか一瞬母さんは黙った。

「そうねぇ、 私がいないと生きていけないんじゃないかと思ったから、かしら」

本当にそう思っているのか聞きたくなるほど母さんは楽しそうに笑っている。

「あの人ね、言葉数が少ないでしょ。だから、人から誤解されることも多くってね。でも中身はとてもいいひとだったし、私のことを絶対大事にしてくれるって思ったのよ」

そういいながら、母さんは古そうなアルバムをサイドボードから取り出した。

居間のテーブルの上に広げると、写真は画質こそ悪かったがその当時の様子をしっかりと残していた。そこには楽しそうに笑う父さんや、はしゃぐ母さんもたくさん写っている。

アルバムを半分ほどめくったくらいで、母さんの腕の中には小さな赤ちゃんが抱かれている。言われなくてもそれが自分であることはわかっていた。嬉しそうに頬に触れている写真や、泣いているのをあやしている写真など、それ以降は赤ちゃんと写った写真が大半を占めている。

「当時はカメラだって結構高かったのよ?」

そんな昔話を混ぜながら、少しずつ成長していく僕がアルバムには何枚も収められていて、ページをめくるたびに懐かしいと母さんは呟いた。

「いいのよ、私たちはあなたの成長を見守るだけで幸せだから」

母さんは突然そう言った。少しずつ背が伸びて、制服も変わって、母さんの身長を抜かしたあと、父さんの身長も抜かした。それを嬉しそうに、でも少し名残惜しそうに見つめてくれたことが今までに何度もあった。僕はその度に愛されていることを自覚したし、将来自分の子供にも同じようにしていきたいと思っていた。

変わりたい、堂本さんと距離を置いた自分は少しずつ元の道を手探りでたどっている。

そしていつか自分の意志で自分の人生を決めて自信を持って進んでいけるようになりたい。アルバムの最後のページには、僕が赤ちゃんの時の手形が挟まっていた。

僕はその上に自分の手を重ねると、すっぽりと手形は隠れて見えなくなってしまった。

「赤ちゃんの手って、小さいけど握る力は結構強いのよ?春真が私の手を握る力もとても強くて、いつかこの手が幸せを掴むんだなと思うとそれまでのバトンを繋げるように私も頑張らないとって思ったわ」

色んな人の前向きな言葉が僕の背中を押し続けている。正社員という形にこだわらなくてもいいこと、自分で気づいていない長所があること、好きな人を守るためには相手にとっても自分が大切な人である必要があるということ。

「母さん、ありがとう」

僕はアルバムを閉じて、母さんの顔を見た。母さんは少し照れ臭そうに笑い、恥ずかしかったのか僕の肩を押した。

大事そうにアルバムをしまい、僕のコップにお茶のおかわりを注いだ。

「あ、植物に水をあげなくちゃ」

居間の大きな窓には花のない植物が飾られていた。よく見ると、堂本さんの玄関に飾られた植物と同じだった。

「それなんていうやつ?」

「アイビーよ。春真の同級生が結婚した時、ブーケに使ったみたいでね。永遠の愛っていう花言葉があるって聞いて素敵だったからその日に買っちゃった」

母さんはそんなに花を育てるタイプではないが、アイビーは長くツタを延ばして生き生きとしているのがわかった。

「ふーん、珍しいね。 母さんが葉っぱ育てるとか」

「葉っぱってあんたには感性ってものがないわね。それに、花もつけるのよ」

僕は自分のスマートフォンでアイビーのことを調べる。

「ふーん、小さいけど一応咲くみたいだね」

「家に植物があると、心が洗われるわよ。あんたもなんか飾ったらいいんじゃない?」

自分の食生活の維持もままならないのに、枯らす未来しか見えないなと僕は思った。

生きているだけで人の心を癒して、のびのびと育っていく植物が僕は少し羨ましかった。

永遠の愛、僕の気持ちもいつかそんな風に表現しても許される日が来るのかな。

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