第12話 思い出
僕は実家に帰省することにした。どこに行っても彼女を探す僕ではすぐに自分の弱さに負けることなど目に見えていたからだ。一週間ほどの短い間だけど少しの着替えとスマートフォンの充電器など必需品をカバンに詰めて家を出た。僕の実家は一人暮らししている家から3時間くらいかかる。母さんは会社をやめてから帰ってくるように言ってくれたけど、僕は自宅から近い精神科に通っていたのと地元に帰って友達に会うのが嫌で断った。
症状が良くなるまでは母さんが僕の自宅に来て面倒を見てくれていた。ICカードで改札を抜け、ホームのベンチに座る。梅雨明けのじめっとした空気と曇り空が夏本番の始まりを知らせていた。
「久しぶりだな、こっち方面の電車に乗るの」
しばらく帰ってなかったことを改めて思い知らされる。
僕が実家に帰ることを伝えると電話越しでも少し嬉しそうにする母の声がした。
手土産は駅付近で買ったおやき、本当はもっと有名なお菓子屋さんのアソートとか買って帰れたらよかったんだけどな。電車は金切り声をあげながら予定時刻通りに僕の前に着いた。通勤ラッシュの朝方とは違い、昼前の車内は人も少なかったので僕は席に座ることができた。スマートフォンを取り出すと、母さんから何時に着くのかと連絡が来ていた。
「楽しみにしすぎだろ」
僕の母さんはせっかちな性格だ。なんでも白黒つけないと嫌な人で、うじうじする僕は数えきれないほど叱られてきた。でも叱った後は必ず優しくしてくれる。温かい愛情をたくさん受けてきたはずなのに、どうして僕にはそれができないんだろう。こうやってすぐに自分の至らないところを責める性格も母さんにはよく怒られたな。
『あんたねぇ、そんなこと考えてたってどうしようもないでしょ! もうやってしまったことは仕方ないの! 考えるだけで終わるんだったら誰でもできるんだよ、その間違いから何を変えるの? ちゃんとしなさい!』
これは僕が小学校の時から社会人になってもよく言われた言葉だ。小学校の時は友達関係が上手くいかず、気持ち悪がられてしまった僕が自分の部屋で毎日泣いていた時に突然母さんが入ってきて開口一番がこれだった。
考えてばかりで行動に移せない性格は結局全然直ってないな。僕がやってることは立派な犯罪だ。そして、弱い自分から逃げるために何度も繰り返してる。母さんがこのことを知ったら何て言うだろう。やめたいのにやめられないこの心はどうやったら元に戻るのかな。
次第にエスカレートしていく自分も抑えられない、母さんや父さんたちのことを考えてやっと踏みとどまれてる。僕の気持ちだけじゃもうどうにもならないこの衝動をいつか両親ですら止められなくなるんじゃないかと思うと僕の不安は増すばかりだった。
彼女を見つめていると三時間ってあっという間だけど、電車に乗って景色を見つめているだけだとやけに長く感じる。少しずつ見慣れた街が近づいてきている景色の中、曇り空だった空も光がところどころ射し始めていた。移動半ばというところで、一人の女性が乗ってきた。
「桜田くん?」
僕の顔を見るなり彼女はそう言った。
「あ、安田さん?」
彼女は大学時代、僕に告白してきて翌日に取り消した女の子の一人だった。
そのまま僕の隣の席に座り、久しぶりですねと笑って見せた。
「私は今この近くで、建築会社の事務やってるよ! 桜田君は?」
僕は言葉につまりながらも、本屋でアルバイトしてることを伝えた。
「そっか、あの会社ブラックだったんだ。 でも、桜田君が今元気そうでよかったよ!」
安田さんはあっけらかんとしていた。
「はは、でもこの歳でアルバイトってやばいよね」
自虐っぽく本音を吐露する僕を見て、彼女はきょとんとしていた。
「なんで?今時フリーターの人ってたくさんいるじゃん。派遣とか、契約社員とかそういうのって選択肢の一つであって優劣とかじゃないんじゃない?」
慰めというより、彼女の本心だということがなんとなく伝わってきた。
「それに、結婚とかも必ずするものじゃないし。逆に今は正社員とかにない自由な時間でやりたいことやったらいいんじゃない?大学の時も思ったけど、桜田君って人からの見られ方を気にしすぎだよ。いつも周りを見て、みんなが快適に過ごせるようにしてるのすごいなって同学年の女の子たちの間では結構好感度高かったのに」
初めて知る事実に僕は顔が熱くなった。
「ほら、そうやって褒めると顔が赤くなってもっと静かになるところも人気の一つだったんだよ!大丈夫、桜田君には他の人にできてなかったことができてたと思うよ。だから、私も桜田君のこと好きになったんだもん」
彼女はそう言うと少し恥ずかしそうに笑った。
「え、でも次の日になかったことにしてほしいって言いに来たよね?」
「あ、あれは本当は………」
そう言いかけて顔をあげた彼女は思い出したかのように顔を真っ青にした。
またすぐに俯き、手が震えていた。
「大丈夫?」
僕がそう聞くと、彼女は震えたまま俯いて床を見つめていた。
明らかに普通の状態じゃない彼女を見て心配することしかできなかったが、彼女は停車した途端に立ち上がり別れを惜しむことなく行ってしまった。
「大丈夫かなぁ」
彼女が階段をフラフラと上がる様子がなんとなく見えたが、走り出した電車の中からはすぐに見えなくなってしまった。
しっかり座り直し、しばらく景色を見ている間はさっきの安田さんの言葉が僕の胸を優しく包んだ。もう少し自信もっていいんだよと言われている気がして、気持ちが前向きになってきている。それから電車は何駅も通り過ぎて、途中で乗り継ぎを経てやっと目的地にたどりついた。
ずっと座りっぱなしには慣れていたと思ったけど、最近彼女の部屋に行ってなかったのもあって腰が痛かった。駅前には父さんの運転する車が停車している。
「おお、おかえり。遠かったろ」
父さんは口数も少なく、あまり自分の意見を口にしない。どちらかというと僕の性格は父さんに似ていると思う。
「うん、まぁ座ってるだけだったから少し腰が痛いかな」
「そうか。母さんが張り切って晩飯作ってくれていたぞ。結婚でもするのかと思ったよ」
僕が帰省するのは下手したら一年ぶりかもしれない。前に帰った時も祝い事かと思うほどテーブル一杯の料理を作ってくれていた。
「今日はおなかすいてるから、頑張って完食できるようにしたいな」
そう答えると父はふっと笑い、車を出した。
「仕事はうまくやってるのか?」
「うん、まぁ、アルバイトだからプレッシャーとかもないしね」
父さんも優しい性格で、僕に頻繁に連絡することはなくても会えばこうやって話を聞いてくれる。
「父さんも、そろそろ定年だからな。自由な時間が増えるだろう、今度釣りでも行くか?」
「釣りなんてやったことないよ」
「いいじゃないか、最近仕事仲間が息子と釣りにハマってるんだ」
「…羨ましいの?」
僕の問いに父は何も答えなかった。
車から窓の外を見ながら僕の性格が改めて父ゆずりであることを実感した。
「いいよ、わかんないから教えてね」
「あぁ、父さんも若い時はよく釣りに行っていた。なんでも教えてやる」
得意げな父がクロスワードの応募をして商品券を当てた話が始まったあたりで実家にはすぐに着いた。
車が帰ってきた音で気が付いたのか、母さんが玄関から出てきた。
「おかえりなさい!疲れたでしょ、夕飯たくさん作ってるのよ!」
母さんは弾けるような笑顔で僕を出迎えてくれた。父さんの話していた通り、食卓テーブルには乗り切らないほどの料理が準備されている。
「うーん、さすがに完食は無理かも」
小声でそう呟いた僕の背中を笑いながら父さんは軽くたたいた。
元々僕の部屋だったところは、いつ帰ってきてもいいようにとほとんど手が付けられていない。自分の荷物を床に置き、ベッドに腰を下ろした。
「まだ外も明るいし、座りっぱなしで腰も痛いから散歩に行こうかな」
僕はすぐに立ち上がり、散歩に行くことを両親に伝えて家を出た。
特に田舎というわけでもないのに、なぜか空気がおいしく感じる。
しばらく歩くと、高校時代によく寄っていたゲームセンターの前についた。
中に入って見渡すと、今もあの頃と変わらず高校生のたまり場になっている。
いつも買っていたアイスの自動販売機を見つけ、懐かしさもありお金を出したがさっき見た夕飯の量を考え買うのはやめた。
ゲーム音がこだまする店内は、新しいゲームは増えていたものの雰囲気はあの頃のままで制服を着た田口君がそこのゲーム機の陰から出てくるんじゃないかと思った。
「あの頃はお小遣いの大部分をここで消費していたな」
とはいえ、ひとりぼっちではゲームセンターで遊びにくかった僕はすぐにお店を出た。歩き出そうと踏み出したまま僕は動きを止めた。
向かいの歩道をやっと忘れかけていた堂本さんらしき人が歩いている。
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