第11話 最後の砦

 いつも通りに彼女の部屋に向かう前に電話が鳴った。画面には母さんと表示されている。

「もしもし」

「もしもし?あんた、最近実家に全然帰ってこないじゃない。元気にやってるの?」

母さんは勢いよく喋り出し、怒っているような感じだが心配してくれている時の喋り方だ。

「うん、大丈夫。もうアルバイトではベテランだし、元気にやってるよ」

「そう、こないだご近所さんから白菜をたくさん頂いたのよ、今度持って行くわね」

白菜を大量に漬物にしている話や父さんがクロスワードにハマっている話をするとまた電話をかけるからねと言って15分ほどで切れた。

僕は桜田家の一人息子だ。28歳になっても、母さんは僕のことをとても気にかけてくれている。昔から、人に迷惑かけないように恥ずかしい思いをしないようにと一生懸命育ててもらった覚えがある。両親への感謝と彼女への愛が僕の心の中で天秤にかかっていた。

ここまで落ちぶれた僕でも両親は見捨てずに、いつでも帰ってこられるように場所を作ってくれている。もしこんなことをしていることがわかって、逮捕なんてされたら……

母さんと父さんの悲しそうな顔が僕の胸をいっぱいにした。

自分の意志ではすぐに折れてしまった心も、いつも味方の存在が僕の心を強く支えた。

このタイミングで電話が来たのも、ひょっとしたら今引き返すべきってことなのかな。

でも、彼女への想いも揺るがなかった。眠っている表情、テレビに笑ったり泣いたりする姿、愛おしさはすぐに溢れかえった。

それでも、こんな最低な僕でもできることはせめて親を悲しませないことだとスマートフォンを強く握った。踵を返して自宅の鍵を開き、布団に寝ころんだ。

僕は自分の不甲斐ない人生や、やりきれない気持ちにのみ込まれている。そんな自覚は常にあった。大学に入学した時も就職したときも、今までずっと支えてくれている人のことを自分に焦点を当てすぎて忘れていた。家族という存在が僕を引き留める唯一の存在で間違いはない。今度実家に帰省しよう、窓から見える空はいつもより優しい色で、羊毛のような雲が僕を見下ろしていた。

僕はしばらくあのコンビニに行くのをやめた。アルバイト先近くのコンビニで用を済ませるようにして帰り道もあのコンビニの前を通るのはやめている。

もう忘れようと本当に必死だった。

アルバイトで仕事はそこまで入れられないと考えた僕は、時間を埋めるため久しぶりに高校の同級生に連絡を取った。

「おー、桜田から連絡してくるなんて珍しいじゃん」

人見知りしがちな僕が高校時代唯一仲良くしていた田口君は快く電話に出てくれた。

「あ、ごめん。忙しくなかった?」

急に電話をかけてしまった僕は慌てる。

「いや、ちょうど休みで暇してたよ。どうした?」

「本当?こないだ同窓会の連絡来てたから、どうしてるかなって」

テーブルの書類の下敷きになっている同窓会の便りを眺めながら答える。

「おお、なんか随分中途半端な時期なのにきてたよな。参加するのか?」

「いや、僕は田口君以外あまり話したことないし、たぶん行かないかな」

この歳にもなってアルバイトとか、彼女もできたことないなんて絶対馬鹿にされる。

既に欠席に丸をつけていた。

「ふーん、じゃあ二人で会おうぜ。今日暇なのか?」

僕は田口君のこういう気遣い上手なところを昔から尊敬していた。

話はとんとん拍子に進み、一時間後に駅前に集まる約束をして電話を切った。

「よお、久しぶり」

田口君は背も高くて顔も整っている。スポーツもできたし勉強もできたから学生時代はすごくモテて、友達も多かった。その姿と今もほとんど変わりないように見える。

「久しぶり、ごめんね、せっかくの休みなのに」

「いいって、じゃ、とりあえずそこのファミレスいこうぜ。 昼まで寝てたから何も食べてないんだ」

田口君は僕の返事を聞く前に歩き出してしまった。

「ハンバーグセット1つとフライドポテト、ドリンクバーつけてください。 桜田は?」

「あ、僕もハンバーグセットとドリンクバーで」

店員さんが持ってきたコップを持って僕らは席を立った。

「高校の時、よくドリンク色んなの混ぜて試したよな~」

「そうだね、基本的に田口君が考えるミックスジュースはあまりいい思い出なかったなぁ」

「いやいや、あったろ。覚えてないのか? 俺が生成した伝説のミックスジュースを」

「…あぁ、もしかして田口君がそれ以降気に入ってずっと飲み続けてたやつ?」

苦笑いする僕に、田口君はあの日と同じミックスジュースを注ぎ差し出した。

「俺だけ気に入ってたわけじゃないはず。1杯目はこれだな、乾杯しようぜ」

改めて飲んでもやっぱり冴えない味がする。ただ、これが田口君作成のミックスジュースの中では唯一飲めるものだったと僕は記憶していた。

それからは会社をやめた僕を気遣っているのか、田口君は自分の会社の愚痴を混ぜながらがら最近よく行くおしゃれなカフェがあることや部屋の模様替えをした話などを聞かせてくれた。

久しぶりに友達と話しているからか楽しくて仕方なかった。このままいけば彼女のことはきっと忘れられる、水を含んでいるように重かった心は明らかに軽くなった。

「あー、そうそう。 高校の時さ、下の学年にいたストーカー女覚えてる?」

「ん? そんなひといたっけ?」

僕はストーカーというワードに少し驚いた。意外と身近に同じように行動してしまっている人って多いんだなぁ。テレビなんかでは男性がストーカーをして女性を怖がらせていることが多いと思っていたけど意外と女性でもいるにはいるものなのか。

「いたじゃん、俺もそうだけど俺以外にもいろんなやつ被害にあってさ。執着心どうなってるのよって。本当ストーカーとかするやつの気が知れねぇわ。なんかさ、内気とか性格って色々あるもんだとは思うけど人の迷惑とか気持ちをもう全く考えてないよな」

「…そうだよね」

「恐怖でしかないわ。名前なんだったっけなー、当時はあんなに怖かったのにもう名前も思い出せないわ、でも写真ならあるぞ」

「田口君はモテるからね、仕方ないよ」

田口君がスマートフォンで写真を探している間、僕はまた無意識に彼女に似ている人の後ろ姿を見つけていた。ふわふわの髪が似てる、日常で彼女ばかり探している僕はすれ違う時に顔を見ては肩を落としていた。

「ほら、こいつ」

画面に映る女の子は確かになんとなく見覚えのある顔だった。

「桜田だって被害者だったろ。確か、この話しらないときに桜田がそいつに優しくしたとかなんだとかで。3年目の後半は桜田の周囲をウロウロしてたし」

「はは、そうだっけ…」

『恐怖でしかない』田口君の言葉は当然のように僕の心に冷たく響き渡った。でも、これが普通の人間の考え方なんだ。そして結局、想いの強さに何かが比例するわけでもなく、簡単に忘れ去られて、面白い話、気味の悪い話の一つとしてなんとなく残る。

僕の気持ちなんてそれ程度だ。どんなに強く胸を焦がしてもその程度の認識しかされない。この気持ちや僕がしたことを知ったら、田口君も彼女もとても気持ち悪がるだろうな。

そんなこともあったよねとまた数年後、どこかで誰かの暇をつぶす話題になる。

それがどれだけ真剣な気持ちでも、受け取る側によって無価値で迷惑でしかない気味の悪い存在になる。

なんて、僕もその女の子のことはほとんど覚えてないんだから、人のこと言えた口じゃないけど。

運ばれてきた熱々のハンバーグは高校時代に食べた時とは違って、やけに冷めていた。

気晴らしに友人とご飯に行ったはずが、僕の気持ちは鉛のように沈んでいた。

田口君はあの後も、高校時代の彼女の話や部活での失敗談で僕を笑わせてくれたけど、ずっと心は冷えているのを感じた。

『恐怖でしかないわ』

理解ができないといった表情で放たれたその言葉はその女の子に対して言った言葉のはずなのに、僕には痛いほどその言葉が突き刺さっていた。

ふと、車道が目に入る。このまま、車の前に飛び出せば死ねるかもしれないけど、運転手には迷惑がかかる。それに田口君も自分と会った後の事だからきっと気に病むだろうな。

僕の行動は人を不幸にする方向でしか、起こすことができないのか。

人生に迷ったり、間違っていることをしている自覚があるときに正しい方へ行く方法って何があるんだろう。会社を辞めた時も、今回のことをやめたこともどちらも親が関わってる。

自分のことを自分の意志で決められないなんて、こんな大人でいいのかな。

呆然と、行き交う車通りを眺めていると反対車線を歩く彼女の姿が見えた。

とても小さくだけど、前を向いてゆっくりと歩いている。

こんな時まで……なんでこんな時まで、彼女の姿を見つけるんだろう。

視界が潤むのを感じて、下を向いた。

腕時計を確認すると、彼女がいつもここを通る時間より一時間早かった。

想えば想うほど、考えれば考えるほど、自分のしていることはいけないことだと自分なんかじゃ絶対無理だと気付かされるのに。

ねじ曲がった愛は元の形を忘れて、歪になっていくのを自力で止めるのはとても難しかった。

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