第7話 好きな人の好きな人
声もかけないし、進展も望まない。見てるだけだから……
弱くて、すぐに考えが変わる僕自身に嫌悪感もあった。自信を持つどころか自分のことは嫌いになる一方で、考えは悪い方向へ転がるばかりだった。
そんな弱い僕なりの固い誓いは半月すらもたなかった。再び熊のキーホルダーを手にしている。そこにもう、一度目の躊躇いなどはなかった。
彼女は基本的な生活リズムを確立しているため、僕は部屋へ行くタイミングを掴みやすかった。彼女が帰宅するであろう時間の二時間ほど前に部屋へ向かって帰りを待った。
待っている間は彼女の郵便物を見ることが多く、そこで名前などの情報を得ていた。
「堂本 雪菜…さん」
僕の名前が春真でお互い季節を感じられる名前であることに共通点を感じた。
保険の類の書類から、彼女は6月10日生まれで27歳だとわかった。彼女の誕生日は来月に控えている。今まで家に彼氏などを連れ込んでいる様子は一度も目にしなかったけど、もしいるのなら誕生日は必ず一緒に過ごすだろう。再び彼氏の存在を想像すると僕は吐き気がするほど気分が悪くなった。
いつもは戸棚にいる僕だったが、ずっと気になっていた寝室の押し入れを開けた。
こっちも戸棚同様、中にはあまり物がなかった。
僕は押し入れに入り、中を見渡すと見覚えのあるものを発見した。
「あれ? これって戸棚にもなかったっけ」
押し入れのトイレットペーパーとティッシュを手に取り、戸棚を開けた。
記憶していた通り、同じものが戸棚にも入っている。
片付けが苦手なのかな、最初に入った時も友達が来た後だったからかテーブルの上が結構散らかっていた。
僕は元あった場所にそれらを戻すと、今日は押し入れで待つことに決めてドアを閉めた。
「あ、その前にトイレ」
これから半日くらい押し入れにいるため、いつもは自宅で済ませてくるが今日は借りることにした。
「ん?」
用を足してトイレットペーパーを見ると綺麗に三角折されている。友達がよく来るからだと思うが、これを使ってしまうと僕も三角折しなくちゃいけないんだよな。次からはトイレットペーパーを持ってこよう、そう考えながら綺麗に元の状態に戻るように頑張った。
それから30分もしないうちに彼女は帰ってきた。
着替えを済ませ、少しゴロゴロしている様子が寝室の押し入れからはよく見える。
そのまま彼女はトイレに行き、出てくると戸棚を開けた。
僕の心臓は口から出るんじゃないかと怖くなるほど大きく弾んだ。
今日、いつも通りあっちの戸棚にいたら今頃は……急激に指先が冷えて手が震える。
彼女は何事もなかったかのように、戸棚を閉めてトイレットペーパーを交換しているようだった。
知らない男が自分の一人暮らしの部屋にいるなんて知ったら一生トラウマになるだろうな。
今の僕にはそれが一生覚えてて貰えることと同じことだと思えてしまった。
いつものように僕が戸棚の隙間から彼女のことを眺めているとインターホンが鳴った。彼女が不思議そうに、返事をしながらドアを開けると突然四人くらいの男女が彼女の部屋に押し入ってきた。彼女は驚いていたもののすぐにあきれ顔に変わった。
「ゆっきー、最近全然かまってくれないよねって話で遊びにきちゃいましたー!」
元気そうな女の子の発言を皮切りに、笑顔でお菓子やジュースを抱えた友達がおじゃましますと部屋に乗り込む。僕は彼女の家に他の人がいるなかで身を潜めているということがなかったので、とても緊張した。四人もいれば、誰かが僕の存在に気が付いてしまうんじゃないかという不安も僕の緊張感を高めた。
部屋に入るなり、テーブルの上にお菓子を広げて男の子がリュックからゲームを取り出した。さっきまでの静かなテレビの音とは逆にゲームと友達の声で騒がしい部屋になった。
彼女も疲れ顔ではあったものの、仕方ないなぁと一緒にゲームに参加していた。
「トイレ借りるね~」
女の子がそういってトイレに行った。
「ゆきな、トイレットペーパーの三角折うますぎじゃない?」
半笑いで出てきた友人はそう言った。
「あとさ、トイレットペーパーちょうど切れちゃいそうなんだよね、替えってどこにあるの?こっちの戸棚だっけ?」
僕は友達が自分のいる戸棚を指さして近づいてくるのを見て、もう逃げられないと悟った。
走り出して逃げたとしても他にも男の子が二人もいる。つかまえられて抑え込まれる可能性を考えればなす術など思いつかなかった。
その友達が戸棚に手をかけたところで、彼女は友達のところにトイレットペーパーを転がした。
「いやぁ、床に転がしたらさすがに汚いでしょ」
その友達は呆れたようにトイレットペーパーを拾った。いたずらっぽく笑う彼女はごめんごめんと平謝りしていた。
僕は人生の終わりを覚悟していただけに、全身から汗が噴き出していた。
もう絶対に見つかると思った、彼女がトイレットペーパーをあっちの押し入れにもしまっていてくれて本当に良かった。それから数時間は友人たちとどんちゃん騒ぎをして過ごしていたが、それも少し落ち着きなんとなく恋バナをする流れになっていた。
「雪菜ってさぁ、結局ずっと彼氏いないよね」
僕はとても興味深い話に聞き耳をたてた。
「うーん、たしかに」
「なんか好きな人がいるとかだったじゃん、あれってどうなったの?」
好きな人がいる、それが僕じゃないことだけは明らかだった。
ほんの少ししか話したことがない僕を好きになる理由がないし、話を聞いている限り昔から好きな人がいるんだろうな。
「どうにもなってないよ、まだ好き」
そう言い切った彼女の想いの強さがなんとなく伝わってきて、僕の心に深く刺さった。
男友達も恋バナを盛り上げるような声を出し、応援している様子だった。
「告白とかしないの?」
「うーん、本当に大切に思ってるから大事に進めたいの。まぁそう思ってるから結局進展していないんだけどね」
自虐っぽく言ってはいるものの、少し切なそうな表情が思いの丈を語っていた。
彼女にこんな風に好かれている人ってどんな人なんだろう。どんな人だったらこんな風に好きになってもらえるんだろう。僕じゃその人の穴を埋めることはできないのかな。
改めて、彼女の身辺情報は知っているけど恋愛に関することは全然知らないんだなぁと思った。
彼女の好きなタイプも恋愛遍歴も知らない。今の好きな人が誰かもわからないし、どうして好きになったのかもわからない。僕はこの恋愛において不利すぎる。
彼女との幸せな日常を描けば描くほど、その理想と現実がかけ離れていることがわかる。
それを近づける方法がわからない僕では、彼女のことをもっと理解している僕になれないと、この状況からもう一歩前に踏み出るのは厳しいだろう。
頭ではわかっていても、なかなか思いつかない打開策。二の足を踏むばかりで全く前進してないのが自分でも手に取るようにわかっていた。理想ばかりが高くなる、理想の自分は彼女と対等に話をして笑いあっているのに、実際の自分は暗い空間から彼女をただ眺めているだけ。いつまでもこうしていたくないのに。
彼女の隣に座るあの男の子のほうが僕よりは彼女に近い存在だ。それすらも羨ましい。
彼女もまた、僕のように悩みを抱えて前に踏み出せずにいるのかな。こんな苦しい気持ちを共感してくれるかな。そのまま、どうかこのまま彼女も僕のようにずっと二の足を踏んでいたらいいのに。僕がもう少し勇気を持てるようになるまで、その日が来るまで、彼女がその人のものになりませんように。
僕はただ暗闇でそんな風に願うことしかできなかった。
あの後、友達は夜の九時くらいには帰って、彼女は部屋の片づけをしていた。
その後にリンゴジュースを注いでゆっくりソファに寝転がり、ボーっとしていた。
「私だって、彼女になりたいよ」
小さく呟く声は悲しげに部屋に響くだけだった。
みんな色んな形で恋をしている。僕のこれも、形は歪でも恋に変わりない。
自分が自分でわからなくなったり、勢いで行動したりそれを後悔したり。
でもそんな一喜一憂も、一緒にやってくれる人がいないとこんなにも虚しい。
空を掴むような、なんの成果も期待できなさそうな現状と未来に理想を描くことしかできない自分。毎日繰り返す自問自答も答えがあやふやで全く身になってない。
僕と違って、彼女の可愛さならきっとうまくいくのに。
自分の見ている不安と、周りから見えている不安は異なる。どちらかに偏ると、うまく判断ができなくなる。僕は考えてばかりだ、人と話をあまりしないから前者の傾向がとても強い。こんな時にすぐに頼れる友達がいればなぁ、今までの行いや人間関係が全てにおいて関わってくるということも大人になってから学んだ。
僕はどこで道を間違えたんだろう、何を変えていれば人生をもっとちゃんとした道で歩くことができたんだろう。
これから先、こんなこともあったなって思える日が来るのかな。
結局、未来は今の自分に託されているんだから、今の自分がこんな状態じゃ未来も期待は持てないだろうな。
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