第3話 幸せの居場所

「うわぁ、メニューもあの頃のままだ。」

僕は変わってしまった駅前に寂しさを感じた分、喫茶店は変わっていなかったことに安心した。

「すみません、ナポリタンセットください」

料理が来るまで外を眺めていると、男の人と目が合う。男の人はこちらを凝視していて、目が合った瞬間驚きの表情を浮かべていた。

窓越しに何か言っているようだったが、全く聞こえず困惑しているとその男の人は勢いよく店の中に入ってきた。向かいの席まで来るともう一度僕の顔を確認した。

「やっぱり…春真だよね?」

とりあえず、自分の名前だったので僕は、はいと返事をした。

「やっぱり! やっぱそうだ! 覚えてる?俺の事、澤館なんだけど…」

「…すみません、ちょっと思い出せないです」

僕が申し訳なさそうにすると、一旦落ち着いた澤館さんはそのまま席に座った。

「あ、そっか、いやさ、同期だったんだよ、俺ら」

そう言われて昔の会社の同期であることを察した。

「はは、覚えてないのも無理ないよな。あの会社じゃ仕事するのに精いっぱいでほかの事全くできなかったし」

澤館君はすれ違う店員にコーヒーを注文し、カバンを横に置いた。

「もしかしてまだあの会社にいるの?」

「ああ、やめようと何度も思ったけど蹴散らされてるほかの社員見るとどうも実行できなくてさ……でも春真が生きててよかった」

僕は突発的な彼の発言に首をかしげてしまった。

「いやいや、同期の話じゃ精神病んで自殺したみたいな話まで出てたから」

確かにあの頃の僕は精神科に通わなくちゃいけないくらい病んでいたけど、改めて噂というものが信憑性に欠けることを実感した。

「じゃあ、幽霊が喫茶店にいるように見えてたってこと?」

「おう、会社にいたときって春真笑ってるのに笑ってないっていうか……絶対精神的にはやばいんだろうなって思ってたからその噂信じてて……思わず二度見しちゃったよ」

笑いながらそう返す彼のコーヒーが来たタイミングで、僕のナポリタンも運ばれてきた。

「俺らの同期も、もう4人しか残ってないんだよな」

「僕は4人残ってるのがすごいと思うけどな」

「まぁ最近働き方なんとかで厳しくなったじゃん色いろと。それの影響もあって今は前よりは少し楽になったんだよな」

少し楽になったという割に話を聞いていると規制の合間を縫って社員に無理を強いる社風に変化はないようだった。

「まだこの先も仕事続けるなら、体調気を付けてね」

僕がそう話すと、彼の表情は思いついたような表情に変わった。

「そうそう!やめるよ! 俺、結婚するんだよね」

急に明るい表情でいっぱいになった彼の左手には指輪がはめられていた。

「彼女の家って会社やっててさ、息子がいないから跡継ぎにって感じで引き抜いてくれるみたいなんだ、やっとやめられる!」

彼からは喜びの気持ちがあふれ出ていた。僕自身も、あの会社にいると体を壊すのは時間の問題だからその結果には心から祝福の気持ちが湧き出た。

「結婚っていいぞ? 毎日好きな人の顔見て、ご飯食べて一緒に眠って……俺本当に幸せだもん、自分のやってきたこと間違いじゃなかったなぁって思えるくらい」

喜びに満ちたその表情を見ても、何も考えずのろけてしまうほど幸せであろうことはわかった。僕は気にしてない風を装っておめでとうと言うことしかできなかった。

「春真は彼女とかいるの?」

僕は食べていたナポリタンでむせた。急いで水を飲み、一呼吸おいていないよと冷静に答えた。

「えー、好きな人とかもいないの?」

修学旅行の学生のようなテンションで次々質問してくる澤館君は幸せのおすそ分けがしたくてたまらないようだった。

好きな人と聞かれて真っ先に思い浮かぶ人は決まり切っていた。

「気になってる人は……いる、かな」

「なーんでそんな自信なさげなんだよ! いいじゃん、何してる人?何で出会ったの?紹介?」

矢継ぎ早にくる質問、とりあえず落ち着くためもう一度水を飲んだ。

僕は彼女に初めて会った日の出来事を話した。続けて、家が向かいでコンビニではよく会うということも話すと澤館君は目を輝かせた。

「なにそれなにそれ! 運命なんじゃないの!」

僕と同じようなことを考えている澤館君はコーヒーをくるくるかき混ぜている。

「で? もうそろそろ話しかける頃合いじゃない?」

急にスプーンの手を止めて真剣な顔をする彼に、思わず僕もナポリタンを巻く手が止まる。

「いや、僕なんかに話しかけられても迷惑でしょ。それになんて声をかけたらいいのかもわからないし」

再びナポリタンを巻く僕の手を彼は素早くつかんだ。

「いいの? 誰かに取られても」

その手には指輪が光っている。

「俺さ、あの会社に勤めてからどんどん自己肯定感が失せてって、死のうかなって思ったこと数えきれないくらいある。し、実際に死にそうになったことも何度かある。きっと春真もこの気持ちには共感してくれると思うんだけど、その時支えてくれる人って家族とか恋人とか親友とか意外と限られてるもんなんだよね。というかそれ以外の人の言葉がおかしなことに聞こえないのよ。んで、自分がじゃなくて大切な人がそうなった時に助けるには、自分が相手にとって大切な人じゃないといけないじゃん。だからさ、あんまり自己評価下げないで話かけてみた方がいいと思う!」

パシッと僕の手を勢いよく叩き、彼はニッと笑った。

「あ、やばい、営業先にいくんだったわ! ごめん、お金置いてく、またな!」

嵐のようにバタバタと店から出て行った彼を見送り、僕はナポリタンを食べ進めた。

彼の言葉は自分も同じ境遇だった分、理解できたし、共感もできた。

ずっとこんな風に所謂覗きのような行為を一生続けていく訳にはいかない。

彼女がどこかに引っ越してしまえばそれもできなくなる。友達や家族を呼んで楽しそうにしている彼女も、仕事で疲れてすぐに眠ってしまう彼女も見ることはできなくなる。

そんな風に終わりがくれば、その時まではと思っていたけど確かにこのままで終わった後に後悔するなら今何かするべきだよな。

小学校のトラウマをいつまでも引きずって生きていく訳にもいかない。同じ場所に居て、同じように絶望していた彼があんなに幸せそうにしているのを見ると、僕もそうなれるんじゃないかと希望が持てた。

僕はセットについてきたワッフルまで食べきり、店を出た。

澤館君の言葉が頭の中をぐるぐる巡る。

「いつも、同じリンゴジュースを飲まれてますよね」

いや、これじゃいつも見てることがわかって絶対気持ち悪がられる。

「あの時は、命を救っていただいてありがとうございました」

いやいや、重すぎる上に昔の話すぎて相手が覚えていなかったときに話が続かない。

「一目見たときから、可愛いなと思っていました。良かったら連絡先を……」

いやいやいや!難易度が高すぎるし、失敗したら今後永久に話す機会を失う。

まぁ『今後』なんてこのまま何もしなければ一生こないものだけど。

僕は話かける練習もそこそこに床に座った。ろくに恋愛をしてこなかった自分が恨めしい。大学時代、女の子の方から告白されたことが2回もあったのに、なぜか2回とも翌日に取り消された。罰ゲームだったのだろうか、いまだにあのことは謎のままだ。

返事を保留にしたのがいけなかったのかもしれない。ちゃんと向き合おうとかいちいち慎重すぎるところは自分でもわかっている。でも、本気で好きになったとき好きになりすぎてこんな風に追いかけまわしてしまう自分を抑えようとすると人との距離の取り方がわからなくなる。

正解ってなんだ、普通ってなんだ、どうすればいいんだ?

焦りが満ちてくると僕はまた、双眼鏡に手を伸ばした。テレビを見て笑っている彼女がやっぱり愛おしい。あの声で名前を呼ばれたら……あの小さな手で触れられたら、そんな風に考えてしまうと今のこの現状には満足できなくなる。

「はぁ、やめた。 コンビニに行こう」

喫茶店のあと、街をぐるっと周り帰ってきてからはすぐに眠ってしまった。

もう21時になるのに晩御飯を食べていなかった僕はお弁当がほとんど残っていないだろうなぁと予想しながらコンビニへ向かう。

予想通りあまり種類のない弁当を眺め、食べなれた牛丼に手を伸ばした。

適当にお菓子売り場でスナック菓子を買い、レジでお会計をしているとさっきまで双眼鏡の先に居た彼女が入店してきた。僕は驚きのあまりお財布を落とし中の小銭をばらまいてしまった。店員さんや横で会計していたお客さんは見ているだけだったけど彼女は走り寄ってきて拾うのを手伝ってくれた。

彼女の小さな手が僕の手のひらに触れた。僕は自分の耳が真っ赤になってるんじゃないかと思うと恥ずかしくてたまらなかった。拾い終わると彼女はすぐに飲み物売り場に行ってしまった。きっとリンゴジュースを買いに来たんだろう。

こんな絶好のチャンス、二度とない。僕は直感的にそう思い、コンビニの出口で彼女が出てくるのを待った。

気持ち悪いって思われるかも、ただ小銭拾っただけで知らない男が待ち伏せしてたら怖いに決まってる。でも、これを逃したら後がない、逃げるな自分。

そう考える間もないうちに彼女はお店から出てきて僕と目が合った。

「あ、あああ、あの!!」

漫画のような喋り方をする僕にちょっと笑ってしまっている彼女。

恥ずかしいなんてもんじゃないし、今すぐ走り出して逃げ出したいけど僕は精一杯の気持ちを込めてありがとうございましたと伝えた。

「え?これくれるんですか?」

僕はさっき買ったスナック菓子を差し出した。

彼女は大げさなくらい嬉しそうにスナック菓子を抱きしめた。

その仕草の可愛さを僕は自分が知っている言葉では言い表せなかった。

彼女はあの日と同じように袖に手を入れて小さく手を振ると歩き出した。

僕も同じ方向で、なんて隣を歩く勇気まではなかった。

しばらくコンビニの前で僕はリンゴジュースを飲んだ。もう飽きてもおかしくないほど飲んでいるのに僕はこのリンゴジュースの独特の甘みに溺れていた。

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