第2話 情報収集

次の日から、同じ時間帯にコンビニに行くことが増えた。以前から毎日のようにコンビニは利用していたが、どうせ行くならと時間をみて来るようになっていた。

彼女もまた、基本的に同じくらいの時間帯に店の前を通るか、たまにコンビニへ立ち寄っていた。相変わらずにいつもあのリンゴジュースを買っているなぁ。

この間のお礼です、なんて声をかけるのは今更すぎて気持ち悪がられるような気がする。

今の僕には彼女と接点を持つ方法がわからなかった。もっとイケメンでお金があればなぁ。彼女の背中を見送ってはそんなことを考えていた。

あんな風に見ず知らずの人間にも優しくできるような女性だ、素敵な男性と付き合っているんだろう。左手に指輪をしている様子はなかったけど結婚していないとも言い切れない。

あの笑顔を隣で見たり、抱きしめたりすることができる人がこの世にいるなんて羨ましいなんて言葉じゃ全然足りない。僕は彼女の恋人について考えると胃のあたりが気持ち悪い感覚になった。自分じゃ釣り合わないと結論付ける日は何日も続いた。

それなのに、諦めなければいけないと思えば思うほど、日増しにこの想いは強くなっていく。ずっと楽しいことなんて一つもなかった人生だったから、突然息が吹き込まれたように喜びや切なさを感じる瞬間がやけにキラキラしているように感じられる。

仕事をしている間も、一人でご飯を食べている時も、冷たい布団に入って眠る時も僕は生きている心地がしていなかった。誰からも必要とされていないから、どこにいても孤独がついてまわって離れない。もう何年も、自分がいかに社会に必要とされていないかを考えさせられている。その答えが依然として出ないのは、必要とされていないことを認められない僕のわがままなんだろうな。こんな僕を受け入れて更には愛してくれる人などこれから先に一生かかっても見つけられない、そんな気がしていた。固まりかけたぐちゃぐちゃの墨汁みたいな気持ちが僕の心を染めていく。助けを求めるようにこのキラキラとした眩しい想いにしがみついている僕はやがて少しずつ変わっていった。

いつの間にか、居間の窓の前で何時間も経過しているということもあった。

カーテンの隙間から、たまに見える彼女を見ると生きている実感と安心感がある。

僕の傍らにはコンビニのリンゴジュースの空が散乱していた。

彼女がリンゴジュースを飲むタイミングに合わせて飲むと、一緒に飲んでいるような気持ちになれた。

最近、彼女はアメリカンドッグやヨーグルトを買うことも多いということがわかった。

一見変わらない行動に見えても、お会計で細かい小銭があったら少し嬉しそうにしたり、店員がスプーンをつけ忘れている時にそわそわしていたり日々彼女は愛くるしかった。

本を読むフリをして窓に反射している彼女を見つめている。

こんな自分の行動を気持ち悪い、今日で最後にすると思っていた気持ちも日を追うごとに確実に麻痺していった。

そんな生活が続き、食費を切り詰めて捻出した本当に少ない貯金の中から双眼鏡を買った。売られていたものの中では一番安かったけど、これでより近くで彼女を見ることができると思うと帰るのが楽しみで仕方なかった。

基本的に平日は19時半頃に帰宅することが多い彼女を、まずはコンビニで漫画を読みながら待つ。通り過ぎる彼女を見送って、距離を詰めすぎないように僕は自宅へ戻る。

彼女は3階に住んでいるからか、防犯意識が薄くカーテンを閉めるのが遅かった。僕はレースカーテン越しに双眼鏡で家の中の様子を覗いた。リンゴジュースをコップに注ぎ、テレビを見て笑っている姿がよく見えた。声まで聞こえてきそうな楽しそうな笑顔が僕の心を更に焦がす。

この一連の流れが僕の日常になり、アルバイトが終わってからはこの至福の時間が僕の仕事の疲れを癒した。彼女がコンビニに寄れば、声を聞くこともできたから毎日楽しくてしょうがなかった。

そんなことを繰り返している内に当然、想いは一層強くなってあの笑顔を自分に向けている姿を想像すると自分も笑わずにはいられなかった。

僕の時間は彼女でいっぱいだった。僕の幸せは彼女の笑顔とイコールだった。

ほかに趣味があるわけでも友達がいるわけでもない、時間ならいくらでもあった。

僕は次第にもっと彼女を知りたいと思うようになった。

眠る時間も前より少なくなり、彼女がカーテンを閉めるまでが僕の双眼鏡を覗くタイムリミットだったが、カーテンが閉められた後も双眼鏡で確認しないと気が済まなくなった。

彼女と出会ってから半年ほど経って、彼女の部屋着の種類も網羅したころで僕の行動は彼女を知りたい気持ちに押され続けていた。

高校の時に買った帽子を目深にかぶり、いつもとは違う上着を着た僕は彼女の出勤時間に合わせて準備を終えた。最近、彼女の出勤日などに自分の仕事の時間を合わせるようになり、土日の出勤が減ったため店長には小言を言われたが母親の具合が悪いと言って納得してもらった。今日は水曜日で平日なので本来なら僕も仕事だったのだが、大学生アルバイトが今日だけ変わってほしいと頼んできたので休みになった。

最初は何もすることがなく、彼女も仕事でいないため一日寝ていようかと思ったが、よくよく考えると僕は彼女のことを何も知らなかった。

している仕事もその職場も、人間関係や彼氏がいるのかすら知らない。

さすがにドラマのようにゴミを漁って情報収集するのは気が引ける。だから今日、この空いた時間で彼女の後をつけてみることにした。


彼女はいつも通りの時間帯に家から出てきた。僕は自宅の自転車置き場からその様子を確認し、少し距離ができたところで彼女の後を追った。彼女は徒歩で駅まで向かい、人ごみの中に入っていく。見失いそうになりながら昨日チャージしたICカードを片手に追いかけ、なんとか同じ車両に乗り込んだ。

少しだけ頭が見える。これを見失わないようにずっと見つめていた。2駅ほど乗るとすみませんと彼女の小さな声がして、ドアの方向へ移動していた。人ごみをかき分けて、やっとの思いで電車を降り、既に階段を上り始めている彼女を追いかけた。

到着した駅を出て右に曲がってすぐのビルに彼女は入っていった。そのビルはたくさんの会社が入っていてどこの会社に勤めているのかまではわからなかった。

ただ、新しく知った彼女の情報に胸は躍る。あたりを見回すとなんとなく見覚えがあった。

「ここ、僕が昔勤めていた会社の近くだ」

僕が新卒で入社した会社はとんでもなくブラックだった。定時でなんて帰れたことが一回もないなんてのは序の口で、家に帰れない日の方が多かった。

会社自体はかなりのお金を持っていて、労働環境について訴えた同期や先輩はみんな退職という名目でいなくなった。どういうわけか理由を聞いても、焦点の合わない瞳が泳ぐだけで何も教えてはくれなかった。明らかに普通の状態じゃないところを見て、同じように訴えようとしていた人たちは何も言わなくなり、突然来なくなる人もいた。

そんな劣悪な会社の環境で、僕自身もどうしたらいいのかわからなかった。

間違ってる、転職した方がいい、僕もそう思った。でも、何をされるかわからない恐怖と再就職できるかという心配、そして少しずつその環境に慣れていってしまった僕は家に帰れなくても特に何も思わなくなった。

だけど、一年も経つ頃には親が会社をやめるように言ってきた。実家からたまに様子を見に来る母親は僕の様子を見て、真剣な表情で会社をやめなさいと静かに言った。

僕はネクタイを結び、返事をしなかった。すると母は僕のネクタイを掴み、もう一度同じ言葉を繰り返した。

「あんた、なんで涙を流しながらネクタイ結んでるのよ」

そういわれてようやく自然に流れていた涙に気が付いた。

わかんないと微かに答える僕を母は抱きしめた。

やめるのには予想以上に苦労したけど、精神科の診断書や弁護士も使って無事にやめることができた。

そんな昔の回想が自分の中をめぐり、駅前のベンチに腰を下ろすと数年で駅前はかなり変わっていた。

「あぁ、あそこの酒屋がレストランになってる。随分と歳のいったおじいちゃんがやってたもんなぁ。まだ生きてるのかな。」

僕は誰にも聞こえないであろう声の大きさで独り言をつぶやいた。

そうやって周りを見渡せば、まだまだ店の入れ替えはもちろん、更地になっていたり新しい保育園ができていることにも気が付く。意外と数年前とはいえ覚えているもんだなぁ。

仕事をやめてからはあまり思い返すことがなくなってたから、駅から出るまで忘れていたけど自分もよくこの駅使ってたなぁ。せっかく懐かしい場所に来たついでに密かに気に入っていた喫茶店へ向かった。

「良かった、ここはまだ残ってる」

ドアを開けるとベルが鳴った、この音すら懐かしい。店員に案内されるまま、窓際の席につくと少し硬めのソファもあの頃を呼び起こした。

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