第50話 次の季節
◆
春が来て、エリアとシュバルトさんは旅立っていった。
夏の終わりにあった噴火と溶岩の影響はもう見当たらず、それでも伯爵はまだ税を減免していた。その件で中央とかなり激しくやりあったようだ、というのは、僕のところへこっそりと届けられる書状で、朱雀様が教えてくれたことである。
僕の日常はほぼ変わらない。朝に走り、午前中は書見、午後に剣術の稽古をして、夕食、伯爵と話をして、眠る。
そこに、春になってから僕は自分の意思で屋敷の一角に畑を作り始めたための、農作業の時間が加わってきた。
溶岩の片付けで、農夫たちと交流するうちに、不意に自分の本当の家族のことを思い出したのだ。
僕がイスタル師に見出された時、イスタル師が家族の生活を保障してくれた。今でもそれは続いているはずだし、朱雀様が手を回してくれているようでもある。
農民としての生活、その日々の一端でも、知りたい気持ちになったのは自分でも不思議だった。
畑に関しては農夫たちは自分の仕事があるので、屋敷で働いている下男下女が教えてくれることが多い。彼らは元々が農民で、経験豊富なようだった。
たまに肥料を持ってきてくれて、こんなものは高貴なお方は知りもしません、と呟いた時、そういう農民なりの矜持のようなものもあるのかな、と思ったりもした。
農民なりの卑屈さにも思えるけど、裏を返せば、上流階級の華やかな生活を支えているのは、農民たちなのだ。
それは胸を張って良い、国家の基礎である、ということだと僕は口にこそしないが、胸に刻んだ。
春本番になり、エリアからもシュバルトさんからも封書が何通か送られてきた。
もちろん、伯爵には伯爵に宛てて、手紙は来ている。伯爵は夕食後、僕が私室へ行くと、それを広げていることが多い。
「もう庭の木を折らないでくれよ」
そう言われたのもこの春だった。
昨年の冬、僕が木を当て続けた木が折れたことを言っているのだ。
僕はエリアもシュバルトさんもいなくなると、いよいよ木と向かい合うことが増えた。
道場でも稽古はするけど、気を当てる相手がいない。
なので、日が暮れると敷地内にある木のうちの一本と、真剣を抜いて向かい合う。
「しかしいったい、どうやって折ったのかは気になるがね」
珍しく、日が暮れた頃にやってきた伯爵はそう言って、僕が向かい合っていた木に触れる。まだ折れるには早いだろうけど、木を折るのも、木からすれば気の毒か。
「実は、気になる娘がいる」
屋敷の外で、周りに人気はない。それでも伯爵の声はひそめられていた。
まさか娶るわけではなく、養子にするんだろう。
僕がやってきて以降、新しい養子は迎えていなかった。
「どういう子ですか?」
「年齢は九歳で、両親は健在だが、その両親の商いがうまくいっていない」
「商人の娘ですか」
「こっそりと娘を売る先を探している、ということだよ。噂と言ってもいいが、おそらく現実になるな」
どこからその話が漏れてきたのかはわからないけど、たぶん、シルバイグル党の関係で聞こえてきたんだと思う。
「剣を習わせるべきか、迷っていてね」
伯爵が木に寄りかかり、こちらを見る。
「エリアのような才能はないかもしれないが、いずれ、エリアがそばに置けるような存在になって欲しい、という願望なんだが、無謀かな」
僕は少し考えた。
言葉は、思ったよりも自然と口から出た。
「やる気の問題、などと言いたくはありませんが、興味がないことを押し付けても芽は出ないかと、思います」
「その娘の父親は、元は剣士を志したという。芽は出なかったがね」
「親がどういう存在であろうと、その子はその子として、独立した人格としてみるべきではないでしょうか」
ごもっとも、と伯爵が木の幹を肩で押して姿勢を変え、僕の前に来て、腕を叩いた。
「とにかく、私としては引き取るよりないと思っている、親に売られるよりは、いくらかマシだろう」
僕は自分のことを考えた。
僕は親元からイスタル師の元へ引き取られた時、何を思っただろうか。
悲しいと思っただろうか。あまり記憶にない。もう時間は長すぎるほど、流れている。
でも、親を恨んだこともない。きっと、これからもないと思う。
中に入ろう、と伯爵に促されて、僕は彼に続いて建物に入る。
スイハさんからの知らせは何もない。どこにいるかも知らない。伯爵も彼女のことはあまり話題にしないので、僕はひとりでに、スイハさんのことは安心していた。
どこかで、ちゃんと生きているだろう。
そういう力強さ、芯の強さがあるのは、僕も短い交流の中でもよく知っている。
伯爵から話を聞いた一週間後、朝食の席でトワルさんもいる場面で、はっきりと伯爵は養女を一人迎える、と宣言した。トワルさんは実際的な、両親に払う金額について話題にして、僕はそれをあまり聞かないようにした。
人間に値段なんてつけられないし、つけちゃいけないだろう。
でも、僕たちは人間に、その能力とか才能とか、お金とは別のもので値段をつけてもいるのだから、何も否定できないし、疑えない。
僕は畑を耕し、野菜の世話をして、書見と稽古をこなし、その日を迎えた。
伯爵が養女を迎えに行くと行って屋敷を出て行き、僕はやっぱり畑の世話をした。
太陽がだいぶ高くなり、首にかけた手ぬぐいで顔を拭い、姿勢を変えて、体のコリをほぐす。
お戻りです、と下男が声をかけてくれた。
礼を言って、僕は農具を片付け、屋敷の裏にある水場で両手だけは洗って、手ぬぐいを揉みながら正面玄関に向かう。
伯爵がこちらに気づき、微笑む。
そしてすぐ横にいる少女をそっと促した。
振り返った少女が、丸い大きな目でこちらを見る。
「こんにちは」
そう声をかけても、少女はまだ口を真一文字に引き結んでいる。気の強さが、そこと、視線に現れている。
「僕は、サク・オリバン。きみは?」
少し息を飲んでから、少女が勢い込んだ様子で、名乗った。
僕たちの間を、新しい風が吹き抜けていった。
(了)
真紅の後継者はこうして生まれた 和泉茉樹 @idumimaki
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