第49話 新しい場所へ

     ◆


 エリアは僕との稽古を欠かすことなく、同時に座学の勉強も進め、冬も間近という頃に試験を受けに王都へ向かった。

 僕はその間も普段通りに過ごしたけれど、いつも通りのシュバルトさんとの稽古になった時、彼が組み合った姿勢で急に喋り始めた。

「父上に、王都へ行くように言われた」

 思わず、え、と声が漏れた時には、僕はシュバルトさんに投げられていた。

 床に叩きつけられるのを受け身で衝撃を逃す。間をおかずに素早く起き上がり、組みついて、組手の駆け引きを始める。

「王都へ、というのは、それは、どういう意味ですか?」

「形としては、エリアの世話係ということになる」

 なるほど、そういうことか。

「シュバルトさんが適任だと思いますけど」

 ぐっと手を伸ばし奥襟を掴んだ時には、シュバルトさんの投げが来る。

 打ち返す余地はない。

 話しながらでも、シュバルトさんの技は鮮やかだ。

 床に落ちて、またすぐに立ち上がる。

 もう一回、組み合うか、というところでどちらからともなく打撃の姿勢をとる。

 拳を繰り出し、それを払い、逆襲、反撃、また払い除け、打ち込みが届かず、受けの構えを取り、それが目まぐるしく続く。

「父上のところにおいて欲しい。そう頼み込んだが、無理だとおっしゃられた」

「シュバルトさんの知らない技が、王都にはありますよ」

「僕は技なんて、欲しくない」

 打撃を払いのけたはずが袖を掴まれる。

 即座に組んで、僕が投げようとしても、器用にシュバルトさんは振り払う。もう一回、拳と足が交錯し、そして組み合う。

「シュバルトさんの技は、伯爵のためにあると?」

「あの方のお役に立ちたい」

 ぐっと僕が投げるそぶりを見せると、シュバルトさんが振りほどこうとする。

 狙っていた場面だ。

 こちらも姿勢を変え、無理やりに投げを打つ。

 不完全でシュバルトさんと一緒に倒れ込んだ時には、彼は素早くこちらの腕を極めていた。

 手で叩いて降参を伝え、解放される。

「伯爵の言葉に従うことも、役に立つということだと思いますが」

「あの方もそうおっしゃった」

 シュバルトさんがまっすぐに立っている。

 その表情は、いつになく頼りなげだった。

「別に伯爵はシュバルトさんを追い出したいわけではないと思います」

「それは、わかる。わかっている」

「僕があなたの代わりでは不満ですか?」

 半ばは冗談だったけど、効果はあった。

 珍しく、シュバルトさんが眉間に皺を寄せる。

 そういう顔もできるのだ。

「不満だよ。こうして僕に投げ捨てられている使い手には、不満しかない」

 大きく出たな、と言う前に、なんとなく嬉しくなって、僕は跳ねるように立ち上がり、組みついていく。

 少しは認められたいし、やり返したい。

 それから一時間は二人で打ち合い、投げ合いしていた。

 僕がシュバルトさんを投げることができたのは三回だけで他は全部、僕が倒された。

「エリアを助けるのも大きなことだ」

 屋敷へ戻り、水場で顔を洗ってから、シュバルトさんが言う。

「それに、父上には大勢の同志がおられる。それを結びつけることに、僕も加われると思えば、やりがいはあるし、意義もある」

「ええ、それは、その通りです」

「サクはエリアが心配だろう?」

 難しい質問なので、反射的に笑ってしまった。笑って誤魔化す癖が、いつからか身についている自分が、どこか不自然でもあるけど、癖は癖だ。

「心配といえば、まぁ、心配ですが、うまくやるでしょう」

「技の心配か?」

「いえ、人としても、魅力的です。それはシュバルトさんもそうですが」

 何も答えずに、しかし、褒められても困る、という表情になったシュバルトさんだけど、先ほどとは少し違って見える。

 理解した、とまではいかなくても、理解するべき、とは思っているようだ。

 伯爵の気持ちを察してみて欲しい、と危うく口から言葉が出そうになった。

 この屋敷からエリアもシュバルトさんもいなくなったら、だいぶ寂しくなる。

 伯爵は決して、自分のために養子を集めているわけではないのだ。

 才能を開花させ、鍛え上げ、そして国のために送り出す。

 いつかの夜のことが思い出された。

 伯爵は何度も何度も、自分を傷つけているようなものじゃないか。

 家族を送り出すのは、切ないものだろう。

 話を聞いてくれてありがとう、と珍しくシュバルトさんが頭を下げ、話はそれきりになった。

 四週間ほどでエリアは帰ってきたけど、開口一番に言ったのは試験の内容や王都で見たことについてではなく、山に雪が積もっていた、ということだった。

 時期としては、北部ではもう雪が降るだろう。

 エリアが見たのは、そんな王国北部の大山脈のことで、王都には雪は降っていないようだ。南部では雪が降ることは稀と聞いていた。

 食事の席でもエリアは話を続けて、お茶の時間も彼女は嬉しそうに話をする。王都で見た服装の流行や、食べ物の流行の話になっている。

 伯爵はだいぶ遅くなってから彼女に、シュバルトさんを世話役としてつける、と言った。

 エリアは少しの沈黙の後、「でもお父様、まだ合格すると決まっていないけど」と控えめに言った。

 そんなことはないさ、と伯爵は笑っている。

 この日から、エリアは何かを考えている時が長くなり、僕はあえて、何も言わなかった。

 ただ稽古でぼうっとしている時は、しっかりと打ち据え、投げ捨てた。そうすると自分の気が散漫になっていることに、エリアも気づく。

 そうこうしているうちに、年が改まる時期になった。

 年始の挨拶の場でエリアは、全員が見ている前で、はっきりと言った。

「もし王都へ行くことになれば、シュバルトお兄様を私のそばへ置いていただけますか、お父様」

 伯爵は少しの間の後、「認める」と頷き、それからシュバルトさんの方を見た。

「僕も、エリアのそばにいたいと思います」

 そう頭をさげる青年に、伯爵は「任せた」とだけ言った。

 王都から書状が届き、エリアが武挙に合格したことを告げられた時、不思議と屋敷は静かで、淡々としたものだった。

 王都行きの支度が始まり、エリアとシュバルトさんは忙しくなった。

 僕は一人で道場にいる時間が増え、剣を抜いた姿勢で、何時間もそのまま、真冬の冷気が満ちるそこで、動かずにいた。

 沈黙が僕を取り巻いている。

 しかし修練は、終わることのないものだ。

 剣は手にあり、技は体にあり、自分はここにいる。

 切っ先は、動かない。




(続く)

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