第48話 光の筋

     ◆


 エリアが伯爵から直接、武挙の座学に関する指導を受け始めた。

 僕は復習するつもりで、シュバルトさんはちょうどいい学習の機会と捉えたのか、三人揃ってを相手に伯爵がいろいろなことを話す場面が増えた。

 書見の時間が半分になり、その後にすぐに剣術の稽古があり、昼食を挟んで、午後が教授の時間だ。

「ちゃんとした教師を招くべきでは」

 ある日の夕食の席、珍しくトワルさんがそう言うと、伯爵は「これでも耄碌していないよ」と笑って答えていた。

 伯爵が元は官僚だったことを考えれば、伯爵の教えることはおおよそ正しいはずだ。

 もっとも、最新の情報や理論などは知らないようでもある。

 その辺りを指摘すると、敵わんな、と伯爵は苦り切った顔になり、しかし三日後には四人分の、その伯爵が知らない何かを解説する書籍が届き、四人でそれを読んだり議論したりするのだ。

 伯爵もどこか、楽しそうである。剣術よりは学問、という人でもある。

 それに、自由気ままに過ごす、だらしない宦官の男色家、という仮面は、結構、この人には負担なんだろうと僕は思っていた。

 そうして季節は秋になった頃、夜、ふと目が覚めた。

(感じた?)

 頭の中で声がする。レッタの声だ。

(まあね)

 慣れてきた思念での返事をして、僕はベッドを出た。

 寝間着のままで廊下に出て、一階へ降りる。いつかのように、温室へ通じる扉が開いている。

 外へ出ると、月が美しい。

 月光を温室のガラスがきらきらと反射している。

 中に入り、変わらずに生い茂る木々の間を抜ける。ここは溶岩の被害を受けなかったのだ。

 木々に間に、椅子が見え、老婆が座っている。

「スイハさん」

 声をかけても老婆の魔術人形は返事をしない。

 正面に立つと、老婆がこちらを見上げて、微笑む。

「無事で何より。おかしな存在を引き連れているじゃないか」

「ええ、その、神獣に認められました」

「私が溶岩を食い止めて、それが功を奏したわけだ」

 そのスイハさんの言葉に、いくつかの疑問が解消された気がした。

 溶岩が無差別に流れなかったことを、僕は少し不思議に思ってもいたのだ。

 山には緑が残っているし、集落の中で全てが飲み込まれた場所はない。

 奇跡的、と農夫たちが言っていたけど、奇跡じゃなかったんだ。

 やはり、手を貸してくれた人がいる。

 ちゃんと、奇跡を現実にした人がいるということだ。

「スイハさんは、今、どこにいるのですか?」

 それが一番、気になっていた。老婆が穏やかな笑みを見せる。

「ここにいるじゃないか」

「本当のスイハさんです」

 今は少し疲れてね。

 そんな風に、老婆の魔術人形がかすれるような声で言う。

 急に不安になった。

 スイハさんは、消耗しているのは間違いない。

 もしくはそれが、深刻なのかもしれない。

「何かできますか? 僕に」

 そう訊ねると、あなたにできることはないな、と魔術人形が笑う。

「私は魔力がないと生きていけないからね、今のこの山から魔力を取り出すのは難しい」

「え? 何故ですか?」

「前よりもだいぶ、魔力の量が減っているのだよ。君のそばにいる子に聞いてごらん」

 僕は反射的に横を見るけど、レッタがそこにいるわけではない。

(僕が新しい体に生まれ変わった時、魔力を消費したからね)

「新しい体?」

(朱雀は死んでは生まれるを繰り返す。そのたび、魔力を解き放ち、また一から生み出していくことになるんだよ)

 つまり、この山は、スイハさんには暮らしづらい場所になったのか。

「同じことを聞きますが、スイハさんは、今、どこに?」

 もう一度、繰り返して問いかけてしまった。

 僕にはスイハさんが、ものすごく遠くにいるような気がしたのだ。

 魔術人形が目の前にいても、彼女は想像もつかないほど遠くにいるんじゃないか。

 老婆が顔を上げ、そのまま頭上を見上げるようにした。

「生きていれば、いつかは出会える。そうじゃないかな、サク」

「直接、お礼を言えないのを、心苦しく思います」

「私はどこにでもいることを、伝えておこうかしらね。距離も時間も、私にはもしかしたら、超越できるかもしれないから」

 その言葉には納得する一方、驚きもした。

 距離と時間は、魔術師たちが支配しようとして、未だに完全な制御が不可能な分野だ。

 スイハさんはやっぱり、並の使い手じゃない。

「もう行くとしましょうか。伯爵には話してある」

「ではまた、いつか」

「ありがとう、サク。きみの栄光を願うよ」

 緩慢な動作で魔術人形が視線を下げていき、うつむき、そして脱力した。

 本当にスイハさんは去っていったようだ。

(僕にできることがあるけど、どうする、サク?)

「何ができるの?」

(魔力を少しだけ、この人形との接続から、送れると思う)

 どうするか迷ったけど、僕はレッタに任せた。

 僕の体が熱くなり、周囲でチカチカと火花が散ったかと思うと、光の筋が空に向かって走った。

 その光は温室を壊すことなく、透過したようだ。

 僕はそれが消えるまで、じっと立ち尽くしていた。

 少しでもスイハさんが楽になればいいんだけど。

 しばらくそこにいると、扉が開く音と足音がした。

 植物の群れの中から進み出てきたのは、伯爵だった。

「さっきの光はなんだい?」

 特に伯爵は僕がここにいることを咎めないし、気にもしていないようだ。

「スイハさんへの、お礼です」

 伯爵が僕の横に立ち、椅子に腰掛けて動かない魔術人形を見る。

 その瞳が開いているので、そっと伯爵の手が閉じさせた。

 僕たちはしばらく、その魔術人形を見て、「行きましょう」という僕の言葉で、揃って温室を出た。

 温室の外へ出ると、少しだけ肌寒い。

 時間は流れているのだ。

「大勢が去っていくものだ」

 建物に入る寸前、小さな声で伯爵がそう言った。

 その声の力のなさが、夜の空気の中ではっきりと感じ取れた。



(続く)

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