第47話 立ち合い
◆
朱雀様が去っていき、僕とエリアはやっぱり集落で田畑の回復を手伝った。
そのうちに猛暑は去っていき、過ごしやすくなった。
溶岩を除かれた畑で作物が作られ始める。各集落を結ぶ道も整えられた。
その日は珍しくエリアが言葉数少なで、僕は彼女が何か、覚悟を決めようとしているのが、何も聞かずともわかった。
屋敷へ戻り、汗を流し、夕食の食堂に全員が集まった。朱雀様が去ってからは、トワルさんは席を外す形に戻っている。
「お父様、お願いがあります」
食事が終わろうかという頃、エリアが鋭い視線で伯爵を見て、言った。
伯爵が食器を置いて、養女の方をじっと見た。
「何かな」
「私に、武挙を受けさせてください」
しばらくの沈黙の後、「恥をかかせないでくれよ」と伯爵が微笑んで、嬉しそうにそう答えた。
エリアは目を見開き、表情を改めて「決して」と答えたけど、それでも顔を伏せて無言で目元を拭った。
食事が終わり、お茶の時間になり、シュバルトさんが先に退室し、エリアも部屋を出た。
僕と二人きりになると、伯爵がカップを両手で包むように持ちながら、しみじみと言った。
「自分の子供ではないとはいえ、成長していくのを見るのは嬉しい。だが、羽ばたいていくとなると、それはそれで寂しい」
それは伯爵の本音のようだった。
「僕にはよくわかりませんが、二度と会えないわけではありません」
それもそうだね、と伯爵は口元を緩める。
「明日にでも、私も稽古に立ち会わせてくれ。きみとエリアがどれくらい剣術を使うのか、よく知りたい」
「ええ、それは、構いません」
「真剣をもって向き合うのだろう? 私の方が気に当てられて気を失うんじゃないかと、不安だよ」
そう言ってから、伯爵が何かを吹っ切るように声に出して笑う。
翌日の朝食の席で、エリアには伯爵の口から、稽古のことが伝えられた。エリアは「はい」と短く答えて、頷いただけだ。
その日は早めに作業を切り上げて屋敷に戻り、昼食の後、僕は道場でエリアを待った。
僕はただ足を組んで座り、呼吸を意識して、気を静めていた。
興奮するような場面じゃない。
いつもとは少し違うだけの、ただの稽古だ。
でも僕は今、エリアのことを倒すべき相手と思っているらしい。無意識にだ。
あんな女の子に本気になるなんて、可笑しいけど、それでも負けたくない気持ちは本物だ。
あの子に負けたことはない。それは間違いない。
僕の方が高い技量を持っている。それも間違いはずだ。
なのに、どうしてもギリギリのところに立っている気がする。
負けるのが怖いのか、自分に問いかけても、返事はない。
道場の床が軋む音がする。
僕は目を開けて、立ち上がった。
エリアが進み出てきて、その背後に伯爵がいる。
僕とエリアが向かい合い、それぞれに一礼する。
どちらもなかなか、剣を抜こうとしない。
緊張だけが高まっていく。糸は張り詰め、切れるのを待つのみ。
その時は、なんの予兆もなく、しかし二人ともが時を理解していた。
飛び込んで剣を抜き打ち、すれ違い、構えをとる。
お互いに剣は触れていない。わずかな姿勢の変化で、それぞれが切っ先を避けていた。
道場に気が満ちていき、音が消えるような錯覚。
ここと決めずに、僕はエリアの全てを取り込むように、理解を進める。
呼吸を読ませることはない。
動きもほとんどない。誘いもないが、隙もない。
どこから打ち込んでくる?
数え切れないほどの筋を剣が走る夢想。
対処できるものと、それが困難なもの。
思わず剣の位置を変える。エリアもすっと同時に変えた。
また剣の筋を、思い描く。
勝つも、負けるもない。
切るか、切られるか。
生きるか死ぬかよりも、技の証明だけが優先される。
全くの不自然。
非合理な世界じゃないか。
いや、極端な合理性の先を見ようとしているのか。
僕は一歩、前に出た。
エリアは動かない。
間合いは近すぎる。
気がぶつかり合う。
ふっとエリアが一歩二歩、下がる。
そのままエリアの腰が砕けそうになるが、ぐっと持ちこたえ、姿勢を取り直す。
気が盛り返し、僕は足を止めた。
エリアの気迫が、一層、強くなる。僕は逆に、一点に集中し、それに対抗する。
バッとエリアが飛び出した。
僕も踏み込む。
すれ違い、剣が振り抜かれる。
立つ位置を変えて、向き合う。
どちらからともなく、一歩後退し、息を吐く。
「参りました」
エリアがそう言って頭を下げ、鞘に剣を戻した。
ふぅっと細く息を吐いたのは僕じゃなくて、伯爵だった。
僕も一礼して、剣を鞘に戻し、その伯爵の方を見る。
「これがエリアの実力です」
「凄まじいものを見た、と言うしかないな」
伯爵がそう言いながら手の甲で額を拭い、顎も拭う。見ていただけの伯爵が汗まみれなのに、僕はやっと気づいた。
エリアがこちらに背中を向け、剣を抜き、一人で稽古を始める。きっとさっきの立ち合いの反省を、確認しているんだろう。
僕は伯爵と並んで、彼女の様子を眺めていた。
稽古を終えて、エリアは僕たちに頭を下げる。そして先に道場を出て行った。
「よくあそこまで、鍛え上げてくれた。礼を言うよ、サク」
伯爵がそういうのに、僕は首を横に振った。
「僕の方こそ、勉強になりました。エリアはきっと、一流か、それより上をいく使い手になります。それに、伯爵の助けがあれば、と僕は思います。彼女のためになることを、していただけますか?」
もちろんだ、と伯爵が頷いた。
屋敷へ戻り、汗を流して、それから全員が食堂で顔を合わせた。
普段通りの会話が伯爵とエリアの間で交わされ、僕もそこにたまに加わる。シュバルトさんは無言を通して、でも周りのおしゃべりが不快なようではない。
食事が終わり、僕は建物を出て、木の一本を前にした。
剣を抜いて、息を詰め、細く吐き、止める。
息を吐いて、体の力を抜いた。
木に歩み寄り、その幹に触れてみる。
手応えが軽い。
それからバリバリと幹が裂け、木は重い音を伴って倒れた。
木を倒したところで、意味はないんだよなぁ。
僕はエリアに負けない剣士でいよう、と強く思った。
(続く)
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