第45話 孵化

     ◆


 深夜だったと思うけど、僕は熱で目が覚めた。

 目を見開いた時、視界を無数の炎が揺らめき、全てを照らし出す。

 その火炎の中心に、真っ赤な光の玉が浮かんでいる。

「なんだ、これ……」

(目覚めの時が来たんだよ)

 頭の中で少年の声がする。頭が痛み始め、思わず手で押さえて、目を閉じていた。

 目を開いても、火炎は消えていない。

 しかし屋敷自体が燃えているわけではない。

 まるで、概念としての火炎だ。

「どうすればいい?」

(僕に、触れて)

 そう言われて、僕はベッドから降りた。

 炎が吹き荒れても、体が燃えるわけではないし、服も少しも変化しない。

 しかし熱は感じる。汗が流れ、皮膚がピリピリした。

 光の玉は宙に浮かび、僕はそれに手を伸ばした。促されなくても、きっと触れようとしたと思う。

 何か、必然性が僕にはある気がした。

 指先が、玉に触れる。

 急に何かが頭の中に流れ込んでいた。無数の光景は、時代がわからない。

 毛皮しかまとっていない男や女が火を囲って踊っている。

 石の玉座に座るものと、それに平伏する男たち。身なりは兵士に見えた。

 そして鎖で繋がれた十人を超える少年少女が、火山の火口へ放り込まれる光景。

 全ての映像が終わってから、僕は目の前に立っている少年に気づいた。

 透けるように白い肌、髪の毛は長く、火炎のような真紅。瞳は宝石のように見える、透き通った赤。

「過去にあったことを、あなたは受け継いだ。僕が人と歩んできた、長い時代の記憶だよ」

 声は静かで、不思議な響き方をした。

「過去にあった……?」

「この世界の初めから存在する、神に従う獣の記憶。僕は全てを見てきたんだ」

 目の前にいる少年は、朱雀か。

 しかし、地下で見たあの巨大な火の鳥と比べると、人と鳥の差以上に、何かが違う。

 この少年には何かがない。

「僕は、新しい朱雀だよ」

 心を読んだのか、少年が穏やかな表情になる。

「僕たちは常に生まれ変わる。古いものは消え、新しくなり、そしてまた古くなれば消えていく。今は、朱雀は僕ともう一体がいる。これは生まれ変わる過程の、本当に最初期のことだけどね」

「朱雀様は、どうなる?」

「あの人は、まだ長い間、剣聖の座にいることになる。きみも僕も、まだ未熟だ。これから、本当の力を身につけていく」

 安心できるようで、しかし考えるほど、不安しかなかった。

 安心しなよ、と少年が微笑み、僕の方へ歩み寄ってくる。

「大丈夫さ。僕たちはまだ、これからなんだ」

 僕の胸に触れ、その手が指先から炎に変わる。

 その炎が僕を取り巻き、消えた。

 消えた時には、部屋は薄暗くなり、今までの火は一瞬で、少しの火の粉も残さずに消え去っているのには、驚いた。

 思わず周囲を見て、自分で自分の胸に触れていた。

 特に普段通りと変わらない。

 いきなりドアがノックされたので、僕はむしろさっきの一連の幻覚じみた光景より、その音に驚いた。

「サク、起きているよな」

 朱雀様の声だった。

 ドアを開けると、寝巻きの彼が肩をすくめる。

「もしうまくいかなければ、手助けするつもりだったが、朱雀の雛とはうまくやれたらしいな。さすがに俺の弟子の中でも一番の使い手ではある」

 混乱したのは、朱雀の雛と呼ぶあの少年のことをどうやって知ったのか、ということもあるけど、僕を弟子の中で一番、と言ってくれたことが、僕を混乱させた。

 そんな言葉は、初めてだったから。

「明日にでも、技を確認するか。俺は数日で帰らなくちゃいかん」

「技?」

「剣聖剣技の本当の威力をだよ」

 そう言って嬉しそうにする朱雀様を前にして、思わず、僕は王都に戻れるのか、訊ねそうになった。

 違う。そうじゃない。朱雀様は何も言っていない。

 王都に戻れるか、それを聞きたいということは、僕は王都に戻りたいのだ。意識してなかったことが今、口をつきそうになったということだった。

 でも王都へ戻ること、それは、願っちゃいけないことである。

 僕が王都から離れることになったのは、僕から始まったことだ。

 自分の責任は、自分で取る。

 自分の失敗は、自分で跳ね返す。

 それに僕はここへ来て、新しいことを学んだし、王都よりもここの方が、僕は多くの発見に触れることができた。

 僕は、僕の道を自分で選ぶべきなのだと思った。

 広い視野で、本当に定めた道を。

「よく口を閉じていたな、サク」

 ぽんと僕の頭に手において、軽く髪の毛をかき回すと、「また明日な」と朱雀様は廊下を行ってしまった。僕はその背中を見送り、一度、目を閉じた。

 まぶたの裏で、ちらりと光が瞬く。

(よろしくね、サク)

 頭の中で少年の声がする。

 これは、慣れるのに時間が必要そうだなぁ。

「よろしく」

 部屋に戻りながら、声に出して答えた。

 そういえば、あの少年の名前を聞いていない。

(僕の名前は、サクが決めるしかない。僕をはっきりと知ることができるのは、サクだけなんだから)

 名前か。名前をつけた経験が、ほとんどない。仲間内ではあだ名なんかもあったけど、動物を飼育したこともないし。

 ベッドに横になり、僕は天井をじっと見た。

 名前か。

 僕はじっと天井を見ていたけど、何も思い浮かばない。

(ゆっくり考えてよ。誰にだって時間はまだたっぷりある)

 意外に含蓄のありそうなことを言うけど、まぁ、この朱雀は少年の姿でも遥かな過去から今までのことを全部、知っているんだし、この程度の含蓄は当たり前なのかも。

 じっとしているうちに眠りがやってきて、僕は夢の中に沈んでいった。

 様々な光景が見えた気がした。

 人は生きて、死んで、生まれて、また死んで、それでも続いていく。

 命一つ一つが、輝いて、しかし瞬いて、切なく消える。

 そんな瞬きの連続が、世界?

 ひときわ強い光に目を開くと、僕の部屋で、カーテン越しの明かりは薄暗いが、いつもの時間を示している。

 走りに行かなくちゃな。

 昨夜のことは、夢のようだけど、きっと本当だろう。

 不思議とそんな確信があった。



(続く)

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