第44話 朱雀の剣聖

      ◆


 二週間ほど、ひたすら溶岩を片付け、その間、大勢の農夫たちと交流した。

 その日も良く晴れていて、太陽は眩しく、等しくみんなが日に焼かれていた。

 馬蹄の響きが聞こえ、そちらを見ると、街道をかけていく馬上の人が目に止まった。

 向こうもこちらを見て、馬の脚を緩めると、少し通り過ぎた所から道を戻ってきた。

 馬を下りる前から、その人が誰なのか、僕にはわかった。

 駆け寄ると、その男性が強く僕を抱きしめた。

「久しぶりだな、サク! 元気そうじゃないか」

 僕をぐいぐい抱きしめた人は、そう言って笑うとやっと僕を解放した。

 頭を下げるけど、興奮が僕の心を揺さぶっているのが、はっきり感じ取れた。

「お久しぶりです、朱雀様」

「伯爵から話は聞いている。しかし、こんなところで何をしている?」

「溶岩で覆われた田畑を、もう一度、使えるようにしようとしています」

 そういう仕事もあるのだな、と朱雀様は頷いた。

 屋敷で会おうと、彼は馬のほうへ行き、身軽に飛び乗ると道を駆けて行った。

「あれ、誰? どことなく覇気のある人だったけど」

 作業へ戻ると、エリアがそんなことを言うから、可笑しかった。たしかに朱雀様は今、平凡な服装をしていた。

「あの方が、朱雀の剣聖様だよ」

「朱雀の剣聖? あなたの師匠ってこと?」

 そうなるね、と言うと、エリアは朱雀様が駈け去った方をじっと見ていた。

 作業が終わって屋敷へ戻ると、トワルさんが玄関で待っていて、風呂で体をきれいにしたら食堂へ行くように、と言った。

「私も行くの?」

「そのように聞いています」

 トワルさんは眉間にしわを寄せて、エリアを見ていた。エリアが肩をすくめ、建物の中に入る。

 自分がその場にいられないのが、トワルさんの怒りの原因かな?

 お風呂で素早く汗を流し、新しい服で食堂へ行く。中に入ると、すでにエリアは自分の席にいて、シュバルトさんもいる。

 そしてトワルさんもいたので、これは予想外だった。険しい顔のままだけれど、確かにトワルさんだ。

 部屋の一番奥に席が二つ並び、伯爵と朱雀様が腰掛けていた。

 二人が僕に気づき、それぞれに個性的な笑みを見せる。

「これで揃ったな」

 伯爵がそう言って、珍しいことに何かに祈りを捧げる祝詞を口にして、それが終わって食事が始まった。時間としては遅い昼食のようなもので、給仕をトワルさんがするのも違和感しかない。

 料理自体は、簡単なもので、その辺りにも本来の食事ではないことを訴えてくる要素がある。ちょっと摘むようなものばかりだった。

 伯爵と朱雀様は、最近の王都の話をしている。陛下の浪費や、官僚の独走、財閥の発言力の強さ、王国軍が貴族の出世の道具にされ、貴族は陰から王国軍の後ろ盾となっている。

 二人の会話には、国を憂うような響きが、頻繁に登場する。

 朱雀様も、シルバイグル党のことを知っているんだ。

 ただ誰も、国を否定しない。二人が話していることは、国という枠組みを残しながら、その国という枠組みの中をどうするか、ということなのだと思う。

「神獣は何と仰せです? 剣聖殿」

 二人の会話が落ち着いた時、伯爵が水を向けると、うん、などと朱雀様が頷いた。

「次なる剣聖は定まった、とのことだよ」

 伯爵が真面目な顔で頷き、そのまま、朱雀様をじっと見据える。

「しかし彼にはまだ、修練が必要ではないかと思いますが」

「それは俺も考えているよ。神獣の言うことなど、限られたものしか聞けん。国王陛下ですら、聞くことはできないのだ」

 神獣という単語が出てくるので、僕は食事を続けながら、常に耳だけは集中していた。

「そういうことだ、サク」

 朱雀様に声をかけられ、僕は顔をテーブルの上からそちらへ向けた。

「神獣は俺に告げたのだ、次なる剣聖は定まった、と」

 僕が黙っていると、朱雀様が笑みを見せる。

 剛毅な笑みだ。

「俺の次は、お前が剣聖となる。これは俺が決めたことじゃないし、国王陛下が決めたことでもない。世界が、神が決められたことだ。お受けするよりない」

「僕は、その……」

 何かを言わなくちゃいけないのに、どうしても、言葉に詰まった。

「僕は、剣聖にふさわしいとは、思えません」

「それはそうだ」

 あっさりと僕の弱気を肯定し、朱雀様が微笑む。

「誰もが最初からふさわしいわけではない。常にふさわしいわけでもない。俺ですら、神獣に小言を言われることがある。もっとも小言に関しては、軍人も官僚も商売人どもも、ひっきりなしに浴びせてくるがね」

 よくわからない冗談で、笑うべきか迷う僕だった。

「神獣の声が聞こえるか?」

 話が先に進んだので、僕は表情を改めて、戸惑いを隠した。

「少しだけです。まだ姿を見てはいません」

「球体は見たな?」

 はい、と頷くと、ならこれからだ、と朱雀様が言う。

「あの卵が割れた時、お前はお前と手を結ぶ神獣と対面できる」

「手を結ぶ?」

「本当に剣聖になる、ということだよ。最初の一歩さ」

 話の内容は、やっぱりあまりわからない。

 僕が剣聖になれば、四人の原則が破れる。でも、そうか、実は僕のような次期剣聖とされる人が、他にもいるのかもしれない。

「神獣とは、いくつもいるものなのですか?」

 率直に疑問をぶつけると、朱雀様は嬉しそうに笑い、しかし疑問への答えではなく「お前の神獣に訊ねてみろ」と言われてしまった。

 食事が終わり、その後、お茶を飲んで、朱雀様は数日はこの屋敷に滞在するつもりだとわかった。南部でのことなので、南部を統括する剣聖としての仕事なのだという。

 もうおおよそ終わっているがね、と笑っている顔は、普段よりどどこか明るい気がした。久しぶりに見るからかもしれないけど。

 食事のタイミングがずれているので、まだ日が暮れかかっている時間に、僕は自由になった。

 剣を抜いて、木の前に立つ。

 この剣はあのボロボロの剣ではなく、新しく物置から出してきて、自分で時間を見つけて研いだ剣だ。

 地下で使った剣は、今、僕の部屋にある。

 何か、触れてはいけない気がして、そこに置き去りにしていた。

 何の変哲もない木の幹を前に、僕はじっと目を閉じ、呼吸を整えた。

 剣聖か……。

 しかも……、僕が?

 考えていては、気は発散するだけだ。

 その日はうまく気持ちを作れないまま、周囲が薄暗くなってしまった。

 そしてその日の夜、僕は自分の部屋で、炎が荒れ狂うのを見ることになった。

 心の準備も、できないままで。




(続く)

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