第43話 夢を与える

     ◆


 僕は回復した翌日には、エリアとシュバルトさんと一緒に、周辺の集落の復旧の手伝いに行った。

 季節が真夏を幾らか過ぎた頃で、作物は多くがダメになっていて、それで農夫たちは揃って気落ちしていた。

 伯爵は正式に税を免除することを伝えて、ただそれでも、農夫たちの生活が本来のものになるのは、秋を待たなくてはいけないはずだ。

 僕は伯爵の屋敷に来てから初めて、こんなに大勢の農夫が働いていると知ったけれど、驚いたのは下級農民などと呼ばれる、小作人の中でも一番、位が低いとされる農民がほぼいないことだ。

 下級農民は俗称で、彼らは他の農夫より多くの税を取られ、さらに地主にも吸い上げられ、何より、姓を持つことすら許されない。

 ほとんど奴隷と同義で、中にはあけすけに農奴と呼ぶ人もいる。

 それがシルバイグル伯爵領では、少ないようだ。

「お父様は特に、気にしておられたわ」

 畑に流れ込んで固まりつつある溶岩をどうにか脇へどける作業の途中で、エリアが言う。僕も彼女も、太陽の日照り以上に、溶岩がまだ熱を発するので、汗みずくだった。

「全ての人間に希望と可能性を与える、ということらしいけど、まぁ、お父様は簡単に「夢を与える」とだけおっしゃったわ」

「夢を」

 僕は下級農民から、偶然に素質を見つけてもらえて、こうして贅沢な立場にいる。

 生まれた家、生まれた場所、そういうもので本来の能力を発揮できない人は大勢いるのだろう。

 でもそれを是正するなんて、並のことではない。

 まず誰もが富むこと、不自由をしなくなること、そんなことが必要だろうけど、その次に来るのは、その人が何を望むか、その人にどのような才能があるか、それらを擦り合せることで、意図的に行うのは困難の極みだ。

 仮にエリアは、剣術を極めたいように見える。

 実際に彼女にはそれだけの才能があるのを、僕は認めている。

 エリアに関しては、願望と才能は同じ方向に向いているから、きっと彼女は恵まれているんだろう。

 そんな幸運が誰もに降り注ぐことは、きっとない。

 神様じゃなきゃ、幸運を与えられないはずだ。

 ただ、挫折と絶望しかなくても、それでも人はきっと夢を見るし、伯爵はその夢こそを、大事にしているんじゃないかな。

 蹉跌さえ、何かの糧になる。

 昼過ぎまで溶岩を片付け、農民の一家のところで昼食をもらった。

 固いパンですみませんと若い娘が前置きしたけど、僕はむしろ懐かしかった。生まれた家では、固いパンどころか、パンとも言えないようなものを食べていたのだ。

 僕たち家族はその保存がきくようにしたパンもどきを、スープで溶かしですすっていたものだ。

 ふと思い立ってそれをやってみると、農家の娘が驚いた顔で、まあ、と声をあげた。

「よくご存知ですね、そんな食べ方」

 変に感心されてしまって、逆に恥ずかしかった。

 ドロドロのスープを飲み干して、エリアと一緒に屋敷へ戻る。

 この集落から屋敷に通じる道は、途中を溶岩が横切ったので、やや道筋が変わっている。

 道に関しては、僕とエリアは各集落を巡って作業を手伝いながら、集落同士を結ぶ道や屋敷とを結ぶ道の状態を確認し、元のように往来できるように考える仕事を、伯爵に任されていた。

 噴火の後、溶岩は激しく流れ出し、森林を焼き、田畑を覆ったわけだけど、その熱はすでに大半が失われている。だから片付ける作業ができるわけだけど、不思議ではある。

 伯爵が言うには、本来の溶岩では起こらない現象が、何らかの力で起こった、ということらしい。

 それはきっと、神獣と無関係じゃないだろう。

 屋敷へ戻って、僕とエリアはそれぞれにお風呂で汗を流した。この屋敷には男女それぞれの浴場があるのだから、さすがに田舎でも伯爵の屋敷ではある。

 二人で新しい服に着替え、揃って伯爵に報告し、道路の状態などを地図を前に説明した。それで僕たちはとりあえず、一日の仕事は終わる。

 夕方には早く、僕とエリアは稽古着に着替えて道場へ行くことが多い。書見は復旧作業が終わるまでの期間は休みと伯爵が言っているので、エリアとしては嬉しいことだろう。

 道場では、僕とエリアは真剣を持って向かい合う。

 どちらも動かないまま、そうして長い時間、対峙してる。

 すっとエリアが剣の構えを変える。堂々としている。

 気の乱れがない。前のような駆け引きは、もう二人の間では無意味だった。

 気を高め、込め、放射し、そして動じなくなる。

 エリアに人が切れるかは僕にはわからない。

 ただ技は一流の剣士のそれを使えるだろう。

 真剣を向けられているにも関わらず、僕は初めて人を切った時のことを思い出した。

 あれはイスタル師のところにいた時で、僕は十歳かそこらだった。

 使いを頼まれ、街道を歩いていた時、盗賊に襲われた。盗賊と言っても二人だけだったし、襲ったと言っても、今になってみれば恫喝という程度だ。ただし、剣を抜いていた。

 僕が持っている金銭は少しだったから、僕は、金目のものは持っていない、と言った。

 嘘というほどでもないはずが、男の一人が剣を動かして、こちらに突き付けようとした。

 それだけのことなら、今は平然と見ていられる。

 当時の僕の体が動いたのは、本能に刻まれた何かだったか。

 僕は腰にあった短剣を抜きざま、間合いを詰め、一突きでその男を刺し殺していた。

 一人が倒れこみ、動かなくなると、もう一人が悲鳴をあげて逃げていった。やはりその程度の悪党だったのだ。盗賊ではない。

 あの後、何があったかはあまり覚えていない。一度、イスタル師の元へ戻り、門人とともに残してきた死体の元へ戻り、どこかへ埋めた。門人たちがどこの誰かを調べたが、わからなかったらしい。結局、流れ者ということで、それだけだ。

 逃げた方の男とは、あれ以来、会うこともない。

 すっとエリアが剣の筋を変える。

 僕は少しだけ、打ち込める筋を作った。

 エリアがわずかに目を細め、やはり動かない。

 僕の剣が、わずかに動く。これで隙は消える。

 二人は黙ったまま、道場の真ん中で、彫像のようになっていた。



(続く)

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