第41話 目覚め

     ◆


 熱が、僕の中で波打っている。

 ぬくもりという強さではなく、自分の心臓が燃えてるようだ。

 全身が熱い。

 唐突に視界が開いた。

 顔を覗き込んでいるのは、伯爵の屋敷にいた医者だ。

 何か言っているけど、声は聞こえない。

(僕のことを感じている?)

 頭の中で誰かが喋る。僕は何か、答えたようだけど、やっぱり自分の声が聞こえない。

 声が出ていないのかもしれない。

 視界が揺らぐ。

 像が曖昧になり、そこに炎が重なる。

 世界が燃え上がっている。

 視界が急に真っ暗になる。

 誰かが肩をゆすっている。不意に気づいた。

 まぶたが重い。

 目元に力込め、必死に眼を開く。

「サク!」

 うっすらと見えたのは、エリアの顔だった。

「……ここは」

 自分の声とは思えないほど、かすれている。声帯がもつれて、うまく声が出ない。

「屋敷よ。騒動は一応、収まったの」

 そういうエリアの目元が潤んでいる。

 僕はどうしても眼を開いていられず、どこからやってくるかわからない力に屈服し、眼を閉じた。エリアが僕の名前を呼んでいる中で、眠りの中に沈んでいった。

 誰かが呼びかけてくる。

 ぼんやりとした声。そして熱さが、すぐそばにある。

 僕の心の周りを熱の塊がゆっくりと通り過ぎ、戻ってきて、またすぐそばを通る。

「誰だ?」

 声が出た。

 ハッとして眼を開くと、部屋は薄暗い。いつの間にか、夜になったようだ。首を捻ると、ささやかな明かりが部屋を照らしている。

 地下での溶岩の激流に比べれば、優しいとしか言えない明るさだ。あの光は真っ白だったから。

 ベッドに寝かされている自分を理解し、軽く体を動かして、体の状態を確認した。

 どこも決定的な傷はないようで、安心した。倦怠感は、あの地下で神境へ深く踏み入ったせいだろう。あれは今になってみると、だいぶ危うい。

 ベッドから起き上がり、ここが屋敷の医務室だとわかった。医者の気配はないけど、部屋の隅の机の上を見ると、薬の調合の最中のようで、道具が置きっ放しだ。医者がすぐに戻ってくるのかな。

 周囲を僕はもう一度、確認した。

 誰もいない。気配もない。

 でも何かがどこかからこちらを、じっと見据えている。

「姿を現せないのかい?」

 誰もいないところに、僕は声をかけた。

 何もないところが揺らめき、そこから真っ赤な光の球体がにじみ出てきたのに、僕はさほど、驚かなかった。

「それが、本当の姿?」

(今はね)

 少年のような声が頭の中で響く。

「君は、誰?」

(君を守るものだよ)

「守る?」

(朱雀の剣聖の証でもある)

 朱雀の剣聖?

 まじまじと光の玉を見ると、その玉はガラスよりも透き通り、その名部では炎が止まることなく翻り、溶け合い、爆ぜる。

「僕は剣聖ではない、と思うけど」

(不規則な事態ではあるよ。今、朱雀の剣聖は二人いて、一人は熟達した技の使い手で、もう一人は、まだなりたての初心者さ)

 僕がどうやら、その初心者らしい。

「剣聖が二人なんて、聞いたことがないよ」

(過去を振り返れば、あったことだから、気にしない方がいいよ。それにまだ、僕がこの姿でいる以上、きみも今は剣聖のなりそこないなんだから)

 剣聖の初心者、剣聖のなりそこない。

 喜んでいいのか、それとも謙虚でいるべきか、ちょっと迷うな。

 いずれは剣聖になりたいと思わないわけでもないのは、僕が剣聖候補生だからだろうけど、事態は唐突に動き出している。

「何か、僕にはするべきことがある?」

(僕を失望させないこと)

 この光の玉が失望するというのは、どういう場面なんだろうなぁ。

 もっと正確に、細かく教えて欲しいけど、そういう要望はダメなのかな。

「とりあえず、休むことにするよ。きみは普段は、どこにいる?」

(僕はすぐそばにいるよ。まだ孵化するまで、時間がかかる)

 孵化?

 なるほど、この球体は卵っているわけか。

 そうなれば、ちょっとは状況が理解できる。

「じゃあ、また話をしよう」

(またね)

 一度、輪郭が震えて、光の玉は消えた。

 ベッドに横になろうとすると、計ったかのように医者が戻ってきた。

 意識がはっきりしてる僕を前にして慌てた様子で、いくつかのことを質問され、その時になって、僕が三日も眠りこけていたことがわかった。

 驚いたけど、体が普段より軽い気がして、なるほど、三日くらい寝ればこれくらいに体も整うかな、などと思った僕だ。

 医者は山の噴火についても教えてくれた。

 溶岩は森をだいぶ焼いて、しかし今は鎮火しているらしい。

 それもある瞬間に、唐突に火勢が衰え、そのまま炎は消えたという。

「伯爵がすぐに動かれたのでね、麓に住むものは避難して、転ぶかして怪我をしたものはいるが、死んだものはいない。火が焼いた集落も二カ所だけで、他はそのままだ。ただ、畑や田は溶岩に覆われているところもある」

 それは農民たちにとっては悔しく、絶望さえもするかもしれない事態だ。僕も元は下級農民だから、よくわかる。

 医者は、伯爵が税を減免するつもりだ、と言って、いい領主だな、と笑った。

 医者は作りかけの薬を仕上げて、それを戻ってきた時に持っていたビンから出したお湯に溶いて、僕に差し出した。

「これを飲めば、もう何も心配はいらん」

 すでに体に異常はないけど、まぁ、念のために飲んでおこう。

 器を受け取り、薬湯を飲み下した。

 とんでもなくまずい。息が詰まり、咳き込みそうになるけど、咳き込んだら薬湯を吐き出しそうだ。

 横になれ、と医者が平然というので、文句を言いたいけど、それもまた、声と一緒にあれこれが口から逆流し、悲惨なことになりそうだった。本当に、全てが溢れそう……。

 ベッドに横になり、僕は目を閉じた。

 薬湯が染み込んでくる、というか、全身が痺れる。

 まさか毒を盛られたか、などと考えたけど、そうする理由がない。

 思考が支離滅裂だ。

 でも何か、毒を飲ませる理由があるか、と考えているうちに頭の中がふやけたようになり、意識が曖昧になる。

 薬と毒は紙一重と、どこかで聞いた、気がする。

 何も考えられない。

 眠りよりも深い闇に僕は沈没していった。



(続く)

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