第38話 対峙

     ◆


 溶岩の川を飛び石で渡り、ついに一番の奥の溶岩の湖にたどり着いた。

 立ち尽くし、溶岩が気泡を上げ、それが弾けて飛び散る、小さな超高熱の雫を目で追い、それから僕は目を閉じた。

 集中する必要がある。

 全身の気が統一され、体に刻まれた火迎えの刻印が、熱を持ち始める。

 熱風が吹き寄せる。

 僕の感覚の中で、気が魔力に還元され、全ての火炎に接続される。

 この灼熱に支配された空間が、はっきりとわかる。

 目の前に、火の鳥がいる。

(なぜ、剣聖は来ない?)

 頭の中で声が響く。

 大きいはずなのに、遠いところで鳴っているような気がする。

(お前が剣聖に足りる器だと?)

 呼吸をすると、喉が、肺が、焼けそうだ。

 すぐ目の前に、火の鳥がいる。皮膚が痛い。

 恐怖で目を開いてしまいそうだった。

 恐怖を、抑え込む。

 朱雀様は、僕に繰り返しおっしゃった。

 恐怖が技を鈍らせ、精神を崩し、死を呼び込む。

 恐怖することなく、恐怖させよ。

 一度、無理矢理に息を吸った。体が内側から熱くなる。

(剣聖はどこにいる?)

 頭の中の声に、悲しげな感情が混ざる。

(私は、剣聖に見捨てられ、もはや不要か?)

「違う」

 反射的に声が出た。

 神獣が、沈黙する。

「あなたを、鎮めるために僕はここにいます」

(命をもって、ということか)

 死ぬわけにはいかない。

 僕を、待っている人がいる。

「僕は、死にたくない」

(では、我を殺すか?)

 思わず目を見開いていた。

 本当に目と鼻の先に、五つの目を持つ巨大な鳥の頭があり、その瞳がじっと僕を見据えている。

(殺すか?)

 背中の剣の柄に手が伸びた。

 気力が瞬間で剣に宿り、それを僕は魔力として開放する。

 剣聖剣技の中でも、灼覇と呼ばれる、長大な超高熱の刃に渾身の力を込める技が、自然と繰り出されていた。

 ボロボロの剣が炎をまとい、巨大な火炎の剣が出来上がった時には、それは走っている。

 神獣は、こちらを見ていた。

 恐怖が、体の芯を、こんなに熱いのに、凍えさせる。

 声を上げて、僕は剣を振った。

 振ったと思うこともなく、振っていた。

 火炎の剣が、火炎の鳥の首を、刎ねる。

 宙に舞い上がった首を僕は目で追った。

 笑うはずがないのに、それが笑った気がした。

 五つの目が、笑ったのだ。

 それが火の粉になって消える。

 目の前では首を失った神獣の体が、緩慢に溶岩の中に落ち、盛大にしぶきが上がる。

 僕はそれをただ見ていた。

 これで良かったのか?

 これで全ては、終わりか?

 一歩、二歩と後ろへ下がった時、激しく溶岩の池がうねり始めた。

 僕のすぐ足元まで溶岩が迫り、僕は背を向けて駆け出した。

 熱が背中を押すようだった。

 壁を流れ、地を這う溶岩も、勢いを増し、川を渡る時、危うく飛び石が飲まれるところだった。僕が渡った直後に、飛び石は溶岩の中に飲まれて消えた。

 遠方に岩の扉がある。

 閉まろうとしている。

 必死で走った。両腕を振り、足を送り、全力だった。

 飛び込むように扉の間を抜け、転がり、起き上がったときには、岩の扉が閉まっていた。

 熱が少しだけ薄くなり、激しく呼吸しながら、思わずしゃがみこんでいた。

 何が起こっているんだ?

 立ち上がろうとすると激しく地面が揺れ始める。

 この分だと、急いで外に出た方が良さそうだ。

 地下遺跡の回廊を駆け足で抜け、縦穴の下へ戻った。

 ロープは無事だ。しかしどんどん砂利が落ちてきていて、僕がここへ降りた時よりも大きな山になっている。

 ロープを手繰ると手応えがある。切れてはいない。

 力を込めて、僕は縦穴を上がっていった。途中からはロープもいらなくなり、両手足を突っ張り、岩から岩へと手足を乗せ、ついに地上へ出た。

「なんだ、これは……」

 地上なのに、風にはまるで冷たさがない。

 僕が見る先、山の頂上のあたりで火が上がり、木々が燃え上がり、その炎が麓の方へと流れていこうとしている。

 スイハさんは、どうした?

 周囲を見ると、石に腰掛けるようにして魔術人形がいるが、動かない。

「スイハさん? スイハさん?」

 声をかけても、返事も反応もない。

「スイハさん!」

(あなたはしくじった)

 頭の中に思念が流れ込んでくる。魔術人形は空っぽなのか。

(神獣は半ば解き放たれ、この山を飲み込もうとしている。私が今、支えている)

「支えている?」

(魔術結界が、自由になろうとする神獣とせめぎ合っているということ。でも私には手に負えない)

 それはつまり、破滅とでも呼ぶべきものが、現実になるということか。

「僕は、何をすればいいんですか?」

(それを私が知っていれば、苦労はしない)

 頭の中に聞こえる声は、切迫していた。

 そうか、この火炎が山を焼くなら、スイハさんを、本当のスイハさんの肉体を助けないといけない。

「スイハさん、今からそっちに行きます!」

(そんなことをする必要はない)

「ありますよ! 行きますから!」

 僕は駆け出した。山の斜面、下草、木の根、全部を踏み分け、踏み越え、掻き分け、進む。

 途中で横手から炎が迫ってきた。溶岩が流れ、木々が燃えている。

 飛び越え、姿勢を整え、また走った。

 スイハさんの牧の裏手に出た。

 その牧では、ぎょっとする光景が展開されていた。

 全ての魔獣が動きを止め、じっと山の頂上の方を見上げているのだ。

 火に怯えているようではない。むしろ何かを待ち構えているかのようだった。

 溶岩の一部が、牧を作る柵に到達し、燃え上がる。

 魔獣がいきなり、動き出した。

 何かに憑かれたように、魔獣が溶岩に向かう。

 見ていることはできなかった。

 彼らが溶岩に飲まれるのは、分かりきっている。

 むしろ彼らは、溶岩の一部になりたいのだとわかった。

 しかしあれは、どういう意味の行動だろう?

 溶岩に飛び込んで、どうなる?

 今は考えるのは後だ。スイハさんを助けないと。

 溶岩より先に、スイハさんの暮らす建物に飛び込んだ。

「スイハさん!」

 彼女が寝台に寝ていた部屋に飛び込み、僕は思わず息を飲んだ。

 スイハさんが宙に浮かび、光を放っている。



(続く)

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