第37話 約束

     ◆


 朝食の後、伯爵が僕を私室に呼んで、短く言葉をかけてくれた。

「無理はしないでいい。生きて帰ってきなさい」

 そこまで大げさではないですよ、と言いたかったけど、黙って頷いた。

 変にプレッシャーをかけないで欲しいなぁ。後になるとそう思う僕だった。

 部屋を出ると、今度は廊下でシュバルトさんが立っていて、無表情だけど、いつもよりどこか柔らかい。

「気をつけて」

 ぐっと彼が拳を突き出してくるので、僕はそっと自分の拳をそれにぶつけた。

 正面玄関では、エリアが仁王立ちで待ち構えていた。

「一緒に行きたい、ってお願いしたけど、ダメだって」

 そっぽを向きながら、ボソボソとエリアが言う。

「何が起こるか、わからないからって。これでもサクを助けられるはずなんだけど」

「まぁ、そういう言葉で僕はだいぶ、緊張するんだけど」

「ああ、ごめん、余計なことを言った」

 つつっとエリアが歩み寄ってきて、僕を見上げた。

「あなたは私と一緒に王都へ行くのよ、サク。これは約束」

「え? なんで?」

「私が武挙に受かって、王国軍に採用されたら、まずは王都で訓練でしょ。あなたはそれの付き添い」

 とんでもないことを言い出したなぁ、この子は。

「まずは武挙に受からなくちゃね」

「そこは問題にしていない。じゃあ、決まりね」

「うーん、でも僕は、王都から放り出されたというか、逃がしてもらったわけで、また王都に戻るのは、ちょっと……」

「名前を変えればわからないわよ」

 ……そういう問題でもないんだけど。

「剣も作ってあげたいしね。一流の鍛冶屋が鍛えた、名剣を」

 ……どこまでも僕が王都へ行くこと、エリアが王都へ行くことが前提らしい。

 それで僕を励ましているのかもな。

 いい子じゃないか。

「じゃあ、帰ってきたら、武挙について話そうか。実技だけじゃなくて、座学の試験もあるし」

 パッとエリアの表情が明るくなり、素早く手がこちらに突き出される。

 小指だけが伸ばされている。

「指切りして」

 可愛いところもある。

 僕はそっと小指に小指を絡める。どちらも何も言わず、軽く上下させ、そうして小指は離れた。

 僕は一人で屋敷の敷地を抜け、山道に入っていく。

 山に分け入ると、いつかのように魔術人形の女性がひとりきりで立っていた。

 話を聞いた限りでは、スイハさんが僕の手助けをしてくれるという。

「よろしくお願いします、スイハさん」

「あなたも損な人ね」

 そう言うと先導するように魔術人形が先に立って進み始める。

 その背中から声が投げかけられる。

「魔獣たちが、怯えている。それと私の感覚では、この山を中心に魔力が激しく乱れ始めている」

 そう言った途端、地鳴りのような音がして、どこかで鳥の群れが羽ばたくような音と、激しく鳴き交わす声が聞こえた。

 魔術人形は構わずに進んでいく。

「私は伯爵からあなたを守るようには言われているけど、どこまでうまくいくかは、わからない。どう転ぶかは、あなた次第ね」

「迷惑をかけないようにします」

 それはまた、ありがたいわね、と魔術人形が呟く。

 あとは無言で、例の岩場まで進むことができた。また地鳴りがして、体が揺れる。岩場の小さな砂利がコロコロと転がり、斜面を落ちていく。

 前回、シュバルトさんが岩を打ち砕いた、例の縦穴のそばまで行く。

 前に見た時より穴は大きくなり、余裕で入れそうだ。急勾配だけ、見たところ安定しているように思える岩が飛び出していて、手足を突っ張れば、降りられそうだった。

 上がってくるときの心配も、しなくちゃな。

「ロープをあそこの木に結んで、垂らせばいいわ」

 魔術人形が指差すのは、岩場の外縁にある枯れ木だ。折れないだろうけど、やや心もとない気もする。しかし持参したロープの長さからすれば、その木が妥当だ。

 僕は素早くロープを結びつけ、逆の端をもっと縦穴に戻り、そっと穴の底へ投げた。薄暗くて、どこまで届いているかはわからない。

「一応、ここにいますからね。気をつけて」

 魔術人形にそう言われて、僕は頷き、腰に下げていた剣を邪魔にならないように背中に背負って、縦穴に踏み込んだ。

 突き出している小さな岩は揺れることはない。崩れることはなさそうだ。

 足を踏み外さないように、奥へ。

 明かりがないので、魔力を最低限だけ、火に変えて即席の明かりにする。

 急勾配が緩くなり、ゆっくりと降りていくことができた。

 と、いきなり、大きな震動が起こり、足を置いていた地面が崩れ、滑った。

 一瞬だった。

 身構えていても、間に合わない。

 声をあげる余裕もなく、滑り降り、お尻から落っこちた時、自分が地下遺跡に滑り込んでいるのがわかった。

 前と同じように、頭上を見上げる。縦穴がうねうねしているせいで、やっぱり明かりは見えない。

 ただ今回はロープが垂れていて、砂利が降り積もっている横にまで伸びている。

 まだ余裕があるということは、意外に、縦穴は短いし、地下遺跡も浅いところにあるんだ。

 僕は剣の位置を加減し、歩き出す。

 地下遺跡は少しも変化がない。壁画をじっくりと見たいけど、そんな余地もないのだった。

 考古学者ならよだれを垂らして、端から端まで、つぶさに観察するだろうけど。

 実は僕も興味があるんだけど、まさかみんながあんな緊迫した様子で送り出したのに、壁画をぼんやり見るわけにもいかない。

 一番奥で、巨岩の壁に行き当たった。

 じっと見ていると、地響きを立てながら岩壁が二つに割れ、光が漏れてくる。

 開いた扉の向こうには、溶岩の川が無数に流れ、蒸気が充満した部屋。

 一度、深呼吸して、僕はその熱気の中に踏み込んだ。



(続く)

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