第36話 最後の日
◆
砥石に向かってどれくらいが過ぎたか、下女が呼びに来る。昼食だ。今日は朝から剣を研いでいた。
返事をして、僕は一度、剣を薄汚れてきた布で丁寧にぬぐった。
光の中で見てみると、剣は光を反射するようになったけど、研ぎ上がっているようでもない。汚れが落ちて、磨かれた、という程度だ。
頭の中で剣の素材になる金属の知識を思い返してみても、ここまで強靭な金属は数少ない。
その中でも僕が当たりをつけているのは、真銀、だった。
これは細工をできる技能者が極端に限られる金属で、世間一般に出回ることはないし、すでに加工技術が失われつつある。
はるか神代の時代に神を守護する戦士が、この真銀でできた鎧を着たと言うけど、そんなものはすでに散逸して、残っていない。
ただ真銀は決して腐食せず、高温に耐え、衝撃で割れることはなく、それで作られた鎧は砕けず、それで作られた剣は折れない、という話だ。
イーストエンド王国では王族の持ち物にこの真銀でできたものがある、とは聞いたけど、僕は実物を見たことがないし、どういうものなのか、剣なのか、盾なのか、鎧なのか、もっと別のものか、それすらわからない。
ただやっぱりこの剣は、古びてボロボロでも、折れることはないだろう。
今はその確信がかなり強い。
研いでいる間、触れているとわかるものだ。頑丈で、粘りがあり、どことなく安心感を感じる。
こういう安心できる武器は、あまり出会わない。
エリアに折られてしまった剣は、数少ない例外だったけど、今になってみると、酷使しすぎたとも思う。もう三年は使っていたのだ。それもただ持ち歩くわけではなく、実戦的なやり取りをした。
刃が欠けるのは頻繁だったし、何度も研ぎ直して、鞘を作り直したことさえある。
今、手元にある真銀らしい剣をずっと使うとも思えないから、また剣を探さなくちゃな。
食堂へ行く前に部屋に戻って作業着から平服に着替えた。
食堂では、すでに食事が始まり、伯爵とエリアが何かを話している。僕が入っていくとその二人がこちらを見た。
「エリアがね、剣を与えろというのだよ」
そう伯爵が言って、席に着いた僕の方を困ったように見る。
「剣、ですか?」
「エリアが折ってしまったからね、きみの剣を。折れた剣の代わりを用意して欲しいと、今、泣きつかれていた」
「泣いてませんよ、お父様。適当なことを言わないでください」
この通りさ、と伯爵が笑っている。
エリアが気に病むことはないけど、ここであの古びた剣の話を出すのも憚られて、出世払いでいいよ、と僕はエリアに声をかけた。
「いつか王都で相応の地位に就いたら、いい鍛冶屋の剣を見繕ってよ」
「いい鍛冶屋なんて、そうそういないわよ」
「王都には並の技術者はいないんだ。みんなが超一流と言える。本当に全部がね」
「例えば?」
うーん、などと唸ってしまう僕である。
「剣もそうだし、料理や服も、王都では技術がかなり高くなっている。逆に高価なものしかないから、生活はしづらい。そのはずだけど、通りを行く人はみんな、豪勢な服を着て、精緻な装飾の施された剣を帯びているね」
ふーん、と答えるエリアの瞳には、好奇心しかない。
武挙を目指すのは、ただこの田舎での生活が嫌なだけなのでは……?
でもそれは、僕も同じようなところがあったっけ。
食事を始めて、エリアが伯爵や僕に王都のことを聞いてくるのに、二人で応じる形になった。シュバルトさんは黙っている。
食後のお茶を飲み、エリアとシュバルトさんは道場へ行き、僕は一人で作業部屋へ行くことにした。
部屋に戻って作業着に着替える時、エリアが王都に行ったら、僕はどうするんだろう、と気付いたのだけど、これは答えが出そうにない。
エリアの剣術がどこに辿りつくのか、見てみたい気持ちはある。
一流の使い手で終わるのか。それとも、それを超えて、超一流の、名を轟かすような存在になるのか。
僕は形の上では、エリアに剣を教えるためにここにやってきている。
おかしなことに巻き込まれてはいても、エリアがいなくなれば、僕がここにいる理由とは、何になるのだろう?
作業部屋に入って椅子に腰掛け、少しだけ考えたけど、やめてしまった。
誰かが決めてくれることに慣れてはいけない。
ゆっくりとでも、自分で決めることにしよう。
まずは目の前の剣をどうにかして、そしてあの巨大な火の鳥を、どうにかするのが先だ。
剣はいくら研いでも、変化がない。
夕方になり、汗が流れる額を拭い、ボロ切れで剣を拭う。
やっぱり、変化しない。
ただやっぱり、これしかないだろう。
この一振りだけが唯一、信用できる武器なんじゃないか。
そういう思いが、何か、剣の方から僕の気持ちを染め上げていくように、強くなってくる。
鞘に差し込み、僕は一度、汗を流すことにした。
お風呂から出ると、シュバルトさんがちょうどこちらへやってくる。
「エリアが手に負えない」
シュバルトさんは不機嫌そうで、目を少し怒らせている。
「どういうことですか?」
「限界を試そうとばかりする。あれでは早晩、行き過ぎる」
なるほど、神境を身につけようとしているのか。
「姉上は、どこに?」
「まだ道場にいる」
僕は頷いて、道場の方へ行った。
中に入る前から、床が踏み鳴らされる音が聞こえている。
僕はそっと中をうかがった。
エリアの体が躍動し、汗がキラキラと舞い、床が音を立て、剣が風を切る。
美しい剣じゃないか。
運動はあまりに激しく、淀みがない。つまり、一息なのだ。
神境を誤った方向へ進むと人はあっけなく死ぬ。僕もそういう使い手を実際に二人、知っている。
でも今のエリアは、そこまでではない。
まだどこかで、現実に自分を引き止めている。
それが出来るあたりも、やはり並じゃない。
「エリア」
声をかけると、ピタリと剣を止め、彼女がこちらを見た。
瞳に理性が、冷静さが、感情が、戻ってくる。
「夕飯になる。行こうか」
彼女はちょっと目を細め、僕の背後、屋敷の背景が夕日に染められている様子を見たようだ。
早いなぁ。彼女はそう言って、剣を鞘に戻す。
早いよね。
僕は明日、あの地下遺跡へ行かないといけない。
そして、神獣を鎮める。
できるかはわからなくても、やるしかなかった。
(続く)
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