第35話 一振りの剣と責務

     ◆


 エリアの相手をした翌日、午前中は地下の書庫で過ごし、午後になると僕は砥石を用意してもらい、例の古い剣を研ぎ始めた。

 研ぎ始めてみると、この剣が普通の金属じゃないものでできているのが、分かってきた。

 とにかく研ぎ上がらないし、水を含ませた砥石の上で刃を滑らせると、水がドロドロとしたものになるが、剣の方ではなく砥石の方がより削れている気がする。

 それよりも、力を入れて研ぐせいで、体力を使うことになり、頻繁に水を飲んだ。

 作業部屋の一つを借りていて、ここには水場もあるので、洗った手で水をすくって飲んでいた。手から漂う匂いは、やはり金属のそれとは違うかも。

 窓は開き放たれて、木々が揺れる音と一緒に風が吹き込んでくる。

 しばらく風を浴びて、また剣を研ぎ始める。

 半日を使っても、切れ味が増したようには見えない。下女が夕食の時間を教えてくれたので、剣を布で拭い、差し込む真っ赤な夕日の光にかざしてみる。

 刃こぼれは酷い。

 でも初めて見たときのような、頼りなさはない。

 意外にいい剣かもしれない。

 夕食の席にはエリアがやってきて、そこで彼女は思い切ったように、武挙を受けたい、と伯爵に言った。

 僕は何も知らないふりで伯爵を見て、伯爵は食事を続けて、まるで聞こえていないようだ。

「お父様」

 エリアの追及に、さっと伯爵が手のひらを向け、口元を拭いながら僕の方を見る。

「サクから見て、どうなると思う?」

「剣術に関しては、問題ありません」

「以前のようにはならないか?」

 思わぬ質問だった。

 それは、五月雨流の剣術が、エリアの中で崩れに崩れ、技の型を失ったことを言っているのか。

 僕が指導をやめた時、エリアの身につけた桜花流が、やはり崩れて、使い物にならなくなる、ということを、伯爵は気にしているのかもしれない。

「どう思っている、サク?」

「今は、技が完璧に身についているのは、間違いないと思います」

 エリアが僕の顔を見ているのはわかるけど、僕は伯爵を見ていた。

「ただ、技は必ず失われ、不完全になります」

「ちょっと、サク!」

 エリアが声を上げても、僕はそちらを見ず、伯爵に語り続けた。

「しかし、剣術とは、そもそも相手を倒すのが至上命題です。中には、美しく剣を振ること、体を運ぶこと、そういう技もあります。むしろ、無駄を極限まで切り詰めた技は、美しいのでしょう。ですが、美しさだけで人は切れません」

 ほう、と伯爵が少し身を乗り出す。

「姉上がこのまま、ずっとこの屋敷にいて、狭い世界の中で、自分だけを相手に技を磨けば、必ず技は劣化し、進歩しません。いずれ、不格好で、目も当てられない技だけが残るでしょう」

「技を磨くために、世に出よ、そういうことか?」

「僕の実体験からしても、そうするべきです」

 僕は下級農民からイスタル師に拾われた後、技を必死で磨いた。

 その僕に新しい発想や、新鮮な気力を与えてくれたのは、道場へやってくる旅の武芸者だったり、他の流派の剣術家たちだった。

 そしてイスタル師の元を離れ、武挙に受かり、王都で朱雀様に見出された後も、やはり新しい剣術、剣技、使い手の存在が、僕を洗練させたような気がする。

 剣を極めることは一人ではできない。

 それが僕が、王都で見出した結論だった。

 僕が口を閉じていると、伯爵は何度か頷いて、考えよう、と言ってエリアに笑みを見せた。

「よくここまで努力した。それは認めるし、褒めるよ、エリア」

「褒めてもらうために、続けたわけではありません、父上」

「では、何のために?」

 僕はエリアの方を思わず見た。シュバルトさんも、エリアを見ている。

「私が、やりたいからです。剣術を」

「自分のために、かい?」

「そうです」

 まったく、と伯爵が笑いながら言った。

「いつの間にか、エリアも成長したのだな。武挙のことは考えておく。止めようとは思わないが、周りとの兼ね合いもある」

「お父様の不都合があるというなら、私をこの屋敷から放り出してください」

 そんなことはないよ、と伯爵は笑い、食事を再開した。僕はホッとして、目の前に料理に戻った。シュバルトさんが微かに息を吐いたのも聞こえて、みんながみんな、緊張していたのだ。

 食事が終わり、僕は地下の書庫で古文書を確認した。

 その時、微かな揺れを感じた、と思った後には大きな揺れが襲ってきて、天井からパラパラと埃が落ち始める。明かりさえもが揺らめく。

 地震だ。

 それほど余裕はないのかもしれない。

 地震は二分ほど続く、長いものだった。少しだけ、この書庫が崩落するかと不安になったけど、大丈夫そうだ。

 本に元に戻し、集中が続かなくなったところで、階段を上がって屋敷の中へ戻った。

「余裕じゃないの、サク」

 待ち構えていたのは、少年の魔術人形である。スイハさんだ。どうやって忍び込んでいるのだろう。

「あまり余裕もないですよ」

 そう答えると「その言葉が余裕ね」と魔術人形が応じる。

「期日を伯爵から聞いた。明後日ね。ギリギリの期限だと思う」

「それを過ぎるとどうなるんですか?」

「神獣が解き放たれると思う。うちの魔獣たちもここのところ、落ち着きがなくてね、何かを感じ取っているらしい」

 スイハさんの言葉に、興味がわいた。

「あなたは、どこまでをご存知なのですか?」

「神獣がここにいることは、知っている。それを朱雀の剣聖が制御すべきなのも知っている。そして、制御がきかなくなれば、破滅がやってくるのも、知っている」

「どこで知ったのですか?」

 魔術人形が黙り込み、まさか、スイハさんが意識を魔術人形から抜いたのか、と思っていると、わずかに魔術人形の口角が持ち上がった。

「知識を持つものは、意外に多いのね。でも知識があっても、神獣は抑えきれない」

 ゆっくりと、魔術人形が僕の前を横切る。

「できる限りのことはするけど、やるのはあなたよ」

 そんな言葉を残して、魔術人形は背中を向けて去っていく。廊下の角を曲がり、見えなくなった。

 僕にはどうやら、重すぎる責務があるらしい。

 破滅なんて、想像もできないけど、歓迎できるものでも、ないな。



(続く)

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