第30話 深奥部

     ◆


 エリアは自分でも体に痛みがないことと、動けることを確認して、立ち上がった。

 僕は火の粉を操って、仔細に壁画を見ていた。

 人間が魔獣と戦っているような描写が多い。そして多く目につくのは、真っ赤な鳥である。サイズ感がつかめないけど、かなり大きいように見えた。

 その鳥が火炎を吐いている場面もやはり多い。

「これからどうするつもり?」

 そうエリアに言われても、僕には答える言葉がない。

 スイハさんと伯爵は僕をあの縦穴に案内したわけで、それはそのまま、ここへ来ることを意味したはずだけど、こんな地下遺跡で何をするつもりだったんだろう。

「まぁ、奥へ行ってみよう」

 僕がそういうと、エリアが頷いて、先へ歩き始める。僕は最低限の火の玉を伴って、その後ろに続く。

 今はエリアも剣を腰に差しているし、僕も剣は持っていた。

 まさかこんなところで何かに襲われるわけもないのに、真っ暗闇というのは、何が潜んでいるかわからないので、どうしても警戒してしまう。

 いないはずのものもそこにいるような錯覚。不思議な気配もあるけど、気のせいなのか。

 地下遺跡は壁画に彩られ、半ばは崩壊している石柱が天井を支えているように見える。

 それにしても、暑い。日の光なんて届かないのに、昼日中に太陽にあぶられているようだ。

 エリアも同様らしく、埃まみれの服の袖をめくり上げている。僕も彼女も、頻繁に水を飲んでいたけど、汗は止まることがない。服が体に張り付く。

 急に石造りの回廊が終わり、巨大な岩が前方を塞いでいる。いや、この岩は手がつけられていないだけで、もともとの岩壁のようだ。

「逆方向だったかな」

 エリアが何かを確認するようにこちらを見る。

 その途端、また地震がやってくる。

 やめてよぉ、と泣きそうな声で言いながら、エリアが這うようにしてこちらへやってくる。

「そこまでの揺れじゃないよ」

 まじまじとエリアがこちらを見て、立ち上がる。本当に些細な揺れだから。恥ずかしそうに、エリアはそっぽを向いた。

 実際、今の地震はほんの少しの微動だ。音が大きなだけで、揺れ自体は大したことはない。

 ただ、この地震は長い時間、続いた。

 急に目の前の岩に切れ目ができたのがわかった。

 あまりにもぴたりとくっついていたので、一枚に見えただけだ。

 その切れ間は見る間に広くなり、その奥から光も漏れてくる。

 橙から赤に変わっていく光の中で、エリアがよろよろと僕の横へ来て、そのまま背後に隠れた。

 僕が見ている前で、岩の扉は開いて、地震は終わった。

「この先にもついてくる?」

 エリアに確認してみると「ここへ置いていくつもり?」と真剣な顔で言われてしまった。

 それもそうか。

「僕も何が起こるかわかっていないけど、命が危ないかもしれない」

「でも一人でここにいても、きっと出られないでしょ」

 先へ進めば出られる、というわけでもないと思うけど。

「じゃあ、行こうか」

「手」

 踏み出そうとすると、エリアが言った。

「手?」

「手、つないで」

 珍しいこともあるものだ。

 僕は素早く彼女の手を取り、今度こそ岩の扉の奥へ進んだ。少しだけ、エリアの手が震えている。

 光が何から発せらているかと思えば、その空間のそこここで真っ赤に溶けて煮えたぎっている液体が流れているからで、それは岩か土が超高熱で溶けているせいらしい。溶岩という奴か。

 触れたら火傷程度では済まないだろう。皮膚や肉どころか、骨も燃やすかもしれないな。

 溶岩の明かりの中で、僕たちはその何の手も入っていないむき出しの洞窟を進み、途中には溶岩の川さえもあり、そこは飛び石のように岩が飛び出していて、やっと渡って先へ進むことができた。

 手を離そうとしないエリアが、危うく落ちそうになった時は、肝が冷えたけど。

 そんな具合でさらに奥へ進むと、突き当たりは溶岩の湖だった。ふつふつと煮えて、気泡が上がっている。蒸気が立ち込めていて、蒸し風呂みたいなものだ。

 僕もエリアも何も言えず、ただ前を見ていた。

 ボコリ、と気泡が大きな音を立てた時、そこから何かが浮かび上がってきた。

 溶岩を押しのけるようにして、まず頭が、次に首が、そして巨大な四枚の翼が、溶岩を滴らせて持ち上がる。

 広がった四枚の翼から溶岩が飛び散り、壁や床、天井で煙を上げる。

「信じられない……」

 エリアが呟いて、へたり込む。僕はまだ彼女の手を握っていた。その手が震えている。

 それは、僕の手の震えかもしれなかった。

(朱雀の剣聖は何をしている?)

 頭の中で大音量が響き、空いている手で思わず頭を押さえた。

(朱雀の剣聖はどこにいる?)

 頭が痛む。

「僕は」

(お前は剣聖ではない)

「小さな声で話して欲しい」

 そう答えると、異形にして火炎がそのまま形作ったような巨鳥は、目のようなものを細めた。その目は、頭部に五つある。

(剣聖の技を使うものが、いた)

 声は少しだけ小さくなった。エリアは呆然としているだけで、手はいよいよ激しく震えていた。だから僕はそれを握って力づけ、同時に自分自身を力づけた。

「僕のことだと思います。剣聖候補生です」

(我が剣聖の弟子か)

「あなたが、朱雀と呼ばれる存在なら」

 巨鳥が翼を一度、大きく広げ、折りたたんだ。

(我が力を、引き受けられるか?)

「事情を何も知らないのです」

(……人間も愚かなものだ)

 すっと巨鳥がこちらに首を伸ばし、嘴が目の前に来た。

 熱風に肌が焦げそうだ。息が吸えない。

(我は、我の使い手を探している。朱雀の剣聖はどこだ?)

 答えずにいると、頭の中に笑い声が響く。一人ではなく、同時に十人以上がそれぞれに笑ったような、入り組んだ響きのする笑声。

(王都を焼くことになるやもしれん)

 なんだって?

 巨鳥の口が開き、甲高い鳴き声に思わず目を閉じた。

 いきなり、熱が消えて、涼しい風が吹く。

「サク! エリア!」

 声に顔を上げると、シュバルトさんが駆け寄ってくる。

 地下じゃない、地上、あの岩場だ。魔術人形もいる。

 僕はエリアを見て、エリアも僕を見ている。

 そうして、気づいた。

 僕とエリアの周囲だけ、岩場の砂利が、溶けて煙を上げていた。



(続く)

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