第29話 山へ
◆
朱雀に関しての古書はここにある、と伯爵は今まで僕が入ったことのない書庫に連れて行ってくれた。地下にあって、明かりは薄暗い。
書籍はここから出さないように、とのことだったので、僕はその夜、遅くまで古書を確認したけれど、僕が王都で学んだ知識では、読み解けない単語もあるし、表現や文法が飲み込めない部分もあった。
ただ、朱雀という存在が南部を鎮めるために封じられ、それは四剣聖のうちの一人の力となりながら、剣聖は朱雀の意思を守ることが約束されているようだ。
そんな剣聖と超常存在の関係、契約なんて、僕が知る限り、火迎え以外にはない。
あの通過儀礼を受け入れられたということが、朱雀との契約の第一歩らしい。
翌日も書庫に入るつもりが、朝食の席で伯爵が「スイハのところへ三人で行ってきなさい」と言いだした。シュバルトさんは明らかな嫌悪を示しながら、黙っている。それよりも露骨に、エリアは拒否しようとしたけど、スイハにはもう伝えてあると言われてしまい、反論を諦めたようだ。
書見は休みになり、朝食の後、支度をして三人で屋敷を出た。
昼食はそれぞれに持っている。水もだ。
山の中の道をたどっていく。僕は一回しか通ったことはないけれど、道を覚えるのは得意だ。
周囲の景色を見ながら、道筋が前と同じなのを確認して進んだ。
と、前方に若い女性が立っている。しかし立ち方があまりにまっすぐで人間じゃない。
「ようこそ、こちらへ」
女性が流麗な声と華やかな微笑みとともに、身振りで道筋を外れていく。
先頭を歩いているシュバルトさんは何も言わずに、それについていく。エリアがこちらを振り返って、肩をすくめる。シュバルトさんが珍しく腹立たしげなのに呆れているらしい。
先頭の女性の魔術人形は鉈を持っていて、それで時折、張り出した枝葉を切り落とし、もうなくなっている道筋を進んでいく。
斜面はいよいよ急になり、木々がまばらになった、と思うと、急に岩場に出た。
「こんなところがあったとはねぇ」
周囲を見ながらエリアが感心している。僕も同じようにしていた。
斜面の一角のこの部分だけ、木々がないのは不自然だった。山岳地帯では一定の高さまで行くと気温のせいなのか、途端に植物がなくなることはある。
しかしここより上にもまた木々が生えている。
岩場の真ん中で、魔術人形が待っている。シュバルトさんはすぐそばにいて、こちらに手招きをした。
エリアと一緒にそこへ行くと、どうやらそこに縦穴があるらしい。実際には洞窟のようなものかもしれないけど、あまりにも急角度で下へ通じている。
通じているはずなんだけど、人が一人だけ降りていける程度のその穴は、崩落でもあったのか、一抱えはある岩で半分ほどふさがっていた。
当然、人が通る余地はない。
「どういうことですか?」
なんとなくシュバルトさんを見ると、彼はじっと剣呑な視線で魔術人形を見ている。その魔術人形が首を振る。
「この前の地震で崩れたみたいね。まぁ、協力してどけましょうか」
そんなことを言う魔術人形に、「必要ない」とシュバルトさんがすぐに答える。
彼は不自然な姿勢で縦穴に片足を入れ、拳を振り上げた。
おいおい、と思う間もなく、シュバルトさんが呼吸を整え、止めた、時には拳が繰り出されていた。
岩が鈍い音を立てる。
何も起こらないかと思った。
岩が急に震えたかと思うと、甲高い音ともに亀裂が入る。三つほどに割れたようだ。
「さすがですね」
僕は何気なく、穴の方へ近寄った。岩をどけよう、という程度の意思だったけど、待て、とシュバルトさんが言ったと思うと、地面が震え始めた。
立っていられないほどの揺れで、僕は片膝をついた。シュバルトさんと魔術人形は数歩後退し、腰を屈めている。エリアはしゃがんでいた。
いきなりだった。
地面が縦穴に吸い込まれる。
違う、穴の方へ岩場が崩れているのだ。
「サク!」
叫んだのは、誰だったか。
僕が一番、穴に近い。
体が宙に浮いたような気がした。
手を伸ばす。触れるものは、さっきシュバルトさんが割った大岩の欠片。
指がかかる、ぐっと姿勢を取り戻そうと力を込める、けど、岩が、浮く。
最悪だ、と思った時には僕の体は土砂とともに再び落下を始め、何かが手に触れたような気がしたけど、結局、周囲は真っ暗になり、ひたすら、僕は落ちていった。
右へ左へ翻弄され、方向感覚も上下の感覚も混乱し、どこかに放り出された時、自分の体が土砂に埋まっていないのは奇跡以外の何者でもない。
起き上がる時、砂利を大量に押しのけた。
真っ暗だ。
剣聖剣技をこんな風に使うのも稀だけど、僕は魔力を練り上げ、火に変換する。
周囲で小さな炎の玉がいくつか揺らめき、安定する。
洞窟のようだ。どれくらい、流されたんだろう?
頭上を見ても、もちろん、光はない。
周囲を見て、ぎょっとした。
すぐそばにある砂利の山から人の足が突き出している。靴からして、エリアだ。
一緒に落ちたのかと考える間もなく、僕は慌てて土砂をかき分け、彼女を掘り出した。
生きているので、活を入れてみると、咳き込みながら彼女が目を見開く。
「うわ! 火の玉!」
……そこじゃないだろ。
僕はエリアの体を素早く確認し、大怪我はないのがわかった。彼女は僕よりも周囲に気を取られている。
それにしては、あまりにも僕に無関心だな。
「すごい……」
そうエリアが呟いたので、彼女が見ている方へ視線を送り、僕はやっと周囲を見て、頭上にあるものを振り仰いだ。
そこには一面の壁画が描かれている。
(続く)
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