第28話 役割
◆
腕を怪我した日のその夜、夕食の後に伯爵に呼ばれて書斎へ行くと、珍しいことにスイハさんがいた。
スイハさんが、と言っても、彼女が操る魔術人形だ。
「今日の地震は凄かった」
伯爵が何か言うより前に、魔術人形がそう言う。少年の魔術人形で、だいぶ美しい容姿をしている。ただどこか人間離れした美しさだ。
「それは僕も聞きました。気づきませんでしたけど」
地震があったのは今日の午後で、僕はエリアの口から聞いた。
というか、その時間、僕とエリア、そしてシュバルトさんが道場にいて、僕とシュバルトさんの決着がつく寸前に、地震があったらしいのだ。
思い返せば足場が揺れたのは、間違いない。
でもあの時は、勝負に集中、というか、没頭していて、構う余地がなかった。
だいぶ長い揺れだったようだ。
「この辺りは地震が多いんですか?」
そんなことはないね、と伯爵が手に持つグラスを揺らす。そしてこちらに視線を送る。
「君に話しておくべきなんだろうけど、事情はやや複雑だ」
「どういう事情ですか?」
まさか人間関係ほどでもないだろう、と冗談を言いそうになった。それくらい、僕にとっては地震の頻発よりも、人間同士の表や裏の抗争の方がややこしいものに思えるのだ。
僕を見ながらスイハさんが静かな声で言う。
「イーストエンド王国を守護する存在が、各地に封じられているのは知っているね?」
「神祇官の職掌で、僕はあまり知りませんけど、伝承ではないのですか?」
質問を返しながら、ちょっと僕には事情というのが推測できなかった。
守護する存在、というのは神獣のことだろうけど、僕はもちろん見ていないし、僕だけじゃなく、現代を生きる人の九割九分九厘が見たことがないはずだ。
それ以前に、魔獣と神獣の区別も、僕にはわからなかった。
「南の地を鎮めるのは、朱雀だ」
伯爵が言う。
朱雀?
「火を司るのが朱雀の役割なのだよ、サク。朱雀の剣聖が南部を受け持っているのも、それによるし、むしろ逆に、朱雀に見出された剣聖が、朱雀の剣聖となる」
ちょっと待ってください、と言ったつもりがモゴモゴとした声にならなかった。
冗談や昔話を語ってるようではないけど、僕にも不意に思い出されたことがあった。
剣聖候補生となる時、火迎えの洗礼を受けた時、火炎が、そう、鳥にように見えた気がする。
何も気にしなかったけど、あれが朱雀の、その一端だろうか。
それでも、なんで世間に神獣にまつわる話が広まっていないんだ?
「神獣について知る機会は限られていて、私も神祇官から打ち明けられるまで、知らなかった。伝承だと思っていたし、剣聖剣技もまた、魔術の延長か、亜種だと思っていよ。しかし実際には、神の使いの恩寵だ」
伯爵がゆっくりとそう言っても、僕の中の混乱は少しも落ち着かなかった。
剣聖とは、その戦闘力で人の上に立つと見せながら、もっと別の形で国を支えている、ということだろうか。
「それで」
僕はとりあえず、その奇妙な関係性は脇に置いた。いずれ、じっくり話し合うこともあるだろうし、それは伯爵やスイハさんより、朱雀様を相手にするのが一番早いように思えた。
「地震と、どういう関係が?」
うん、と伯爵が頷く。
「神獣をなだめる必要がある」
「神獣をなだめる……?」
まるでそこに形あるものとして、神獣がいるかのような物言いが、混乱をまた呼び戻した。
「なだめるとは、どういうことですか?」
「認めさせる」
伯爵の即答に、ぐっと何かが詰まって、僕は言葉を返せなかった。
認めさせる?
「スイハには今、神獣との魔力のやりとりで、かろうじてその活性化を減じてもらっている。ただちょっと、サク、きみが引き金になりそうでもある」
慎重な伯爵の口調に、何かが結びついた。
スイハさんは山で、大地から魔力を吸い上げ、それを魔獣に置き換えた上で自分に取り込んでいる。
山の魔力というのがどこから来るのか。
自然と大地に宿るものだと思っていた。
でも、違う。
そう、巨大な魔力を持つものが、山にいるんだ。
「この山に」
僕の口の中はいつになく乾いていた。
「朱雀が封じられているということですか?」
そうなるね、とあっさりと伯爵が頷くので、僕は思わず天を仰ぎ、息を吐いた。
「見ることができるものは限られている」
急にスイハさんが淡々と言った。
「山の中に、妙な洞窟があってね、魔力が渦巻いている。私は何度か中へ入り、朱雀の片鱗を見た」
「朱雀を見たんですか?」
「もちろん、全てではないし、本当の形で顕現してはいないから、幻として、だけど。私はあの通り、目が見えないから、余計に良く見えたかもしれない」
事態は急な展開を迎えている。
僕にこの話をする以上、僕にただ情報を与えて、考えさせる、という程度で終わるわけがなかった。
伯爵は間違い無く、認めさせる、と言ったのだ。
「僕にその朱雀と向き合え、とおっしゃるのですか、伯爵?」
そうだ、と彼は簡単に頷いた。
「朱雀の剣聖殿とは話し合ってある。きみが王都で立場を危うくした時、渡りに船でもあったんだ。ただ、きみの本当の実力を私は知らないし、朱雀の剣聖殿が認めても、あるいは力不足かもしれん、とは思った。ことは剣術ではなく、もっと別のものを必要とするようでもある」
ええ、それは、と答えて、僕は思わず息を吐いた。
「きみの強靭な意志こそ、必要なのだ」
伯爵がそう言うのに、魔術人形も頷く。
そんな、無茶な……。
(続く)
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