第27話 どちらが強いか
◆
伯爵に呼ばれたのは朝食の後で、書斎で最近のエリアのことを聞かれた。
約束の期日とした日は、明後日になっている。
「腕前は一流ですが、成長には超一流のそれがあります」
何度か話していることを僕が繰り返すのは、伯爵も僕も、その危うさを共有するべきと考えているからだ。
「やはり、経験不足かな」
今はお茶の入ったグラスを揺らしながら、伯爵は開け放たれた窓際の椅子にいる。
風が吹き込むとカーテンが揺れ、伯爵がわずかに眼を細める。
「僕と兄上の二人では限界はありますが、しかし、不足ではないはずです」
「きみが言いたいのは、実力の差がありすぎる、ということかな?」
「並び立てば、高め合うこともできるはずなのですが」
そればっかりは、仕方ないね。
伯爵がグラスの中のお茶を少し飲み、表情を変える。思案から、もっと楽しそうなものに。
「エリアがね、シュバルトの本気とサクの本気を競わせたいから、そういう風に誘導しろ、と私に言ってきた」
「僕と兄上が、ですか?」
「私も大いに興味がある」
この人も、こういう興味を持つものなんだなぁ。
「サクはどう見てる? 勝てるか、勝てないか」
「体術では普通にやれば、おそらく勝てません。剣術は伯仲でしょう」
「剣術でシュバルトに勝つ余地があるのかい?」
賭けになりますが、と僕は答えたけど、伯爵は何も言わずに頷いて、また何かを考え始めたようだ。
沈黙の後に「書見に行きなさい」と伯爵は微笑み、僕は頷いて書斎を出た。
お昼ご飯の後、道場へ行くと、シュバルトさんが構えをとってじっとしていた。
拳が繰り出される。早くも遅くもない、何かを確かめるような動作だった。
それからの一連の動きを、僕はじっと見ていた。
「兄様も意外に、サクに対しては本気じゃないの」
横にエリアが立っているのは知っていたけど、その声が嬉しそうなのには、おもわず笑ってしまう。
「シュバルトさんと僕がぶつかるように仕向けているって聞いたよ、伯爵から」
それはそうよ、と言いながら、エリアが僕の脇腹を肘で小突く。意外に本気で、痛い。
「どちらが本当に強いか、知りたいもの」
「どちらが勝っても姉上は得をしないんじゃない?」
「損得抜きの、力試しが見たいかな」
この子も大概、武闘派である。
僕はわざと足音をさせて、道場の中央へ入っていった。
シュバルトさんが動きを止め、微笑む。
僕が向かい合おうとすると、横をエリアがすり抜けて、シュバルトさんに耳打ちを始める。
何を言っているのやら。
何度かシュバルトさんは首を振ったけど、エリアが何か言い返し、結局、決めたようだ。
エリアが壁際に下がり、僕は一歩だけ、前に出た。
シュバルトさんがいつも通りの真面目な顔で、一礼。僕も一礼する。
「殺すように、と聞きました」
間合いを計りながら、静かな口調でシュバルトさんがそんなことを言うので、僕は危うく、エリアの方を見そうになった。
あの女の子は、殺し合いをさせるつもりか……。
「僕は人を殺したいとは思いません」
そうシュバルトさんが続け、ほんの短い間、唇を緩めた。
「しかし、試したくはなる」
その言葉が実質、開始の合図だった。
二人が同時に踏み込み、すれ違う。
それが繰り返される。拳も蹴りも、相手を捉えようとして、それができない。
決断することは、全くの自然。
成り行きのように、お互いの拳がすれ違い、お互いを打つ。
息が詰まる。それはシュバルトさんもだろう。
しばらくお互いに打ち合い、決着がつかないとなり、膠着し始める。
構えたまま、呼吸と間合い、集中を読み合う。
気が全身に行き渡り、研ぎ澄まされる。
音は消える。
景色さえも。
呼吸が止まり。
踏み込む時、わずかに地面が揺れる。
構わない。
シュバルトさんも飛び込んでくる。
すれ違う。左肩に激痛。しかしそれさえも遠い出来事。
痛みなど、即座に忘れた。
足が床を蹴り、シュバルトさんの方へ跳ねるように踏み出した。
彼もそうしている。
拳が交錯し、弾き合うように離れて、足を送り、もう一度、飛び込む。
わずかな差だった。
僕の腕がシュバルトさんの腕を巻き込み、振る。
足を払われる。その前に投げる。
片足を刈られても、小手に巻いている腕に力を込め、引っこ抜くようにシュバルトさんを浮かせた。
空中で視線がぶつかり、そこには紛れもない殺意があり、逆にそれで僕は落ち着いた。
二人の体がもつれるように倒れ込み、シュバルトさんの左腕を僕はほとんど限界まで捻じ上げていた。
「終わり終わり!」
唐突にエリアの声が響き、僕はハッとしてシュバルトさんの腕を放した。
ちょっとやりすぎたか、と思った時に、咳が出て、胸が激しく痛む。
シュバルトさんは座り込んだ姿勢で、肩を回していた。
危うく大怪我をさせるところだった。
こんなに勝負に熱くなったのは久しぶりだ。
自分の全てを出せるような相手が身近にいるのは、案外、いいことじゃないか。
でも怪我は良くないな。するのも、させるのも。
僕の体では、蹴りを受けた右脇腹、拳を受けた右胸が特に痛む。シュバルトさんも似たようなもののはずだ。僕の打撃を受けているのは、手応えでわかる。
「なんか、デタラメーズ、とでも呼びたくなる光景だったわ」
「それよりも」
シュバルトさんはまだ左肩を気にしている。僕はそれが気になった。
「怪我、しませんでしたか? ちょっとやりすぎました」
「そこ」
急にそう言ってシャバルトさんが僕の方を指差す。左の上腕のあたりだ。
「たぶん、ひびくらい入っている」
「ひび?」
「そう、骨に。そういう手応えだった」
まさか、と思ったけど、次の瞬間に痛み始め、かなりの激痛になった。
結局、勝負には勝っても僕の負けかもしれない。
医者に見せると「若いなぁ」と苦り切った顔でしかし笑われて、塗り薬を渡されたのだった。
もちろん、エリアの腕試しは、延期だった。
(続く)
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