第24話 虚剣の技

     ◆


 午後、道場へ行くと、エリアが一人で真剣を素振りしている。

 半月ほど前に物置にあった剣のうちの一振りを、僕がおおよそ研いでから彼女に渡したものだ。

 その剣を見て、エリアは目を輝かせて素早く鞘から抜いたけど、やや愕然とした顔をしていた。

 刃こぼれが酷かったせいだろうけど、そこで、もっとマシなものはないの? と言いたげな顔でこちらを見るものだから、「自分で研ぐんだよ」と答えると、演技過剰な肩の落とし方をされた。

 それから数日で、彼女の剣は見違えるように綺麗になった。

 下男に刃物の研ぎ方を教わり、砥石も借りて、一日に一時間は研ぐようにしたらしい。

 研ぎ上がってみると、元々からして上等な剣であることがわかる。

 長さも重さも、僕の見立て通り、エリアには適当なようだ。

 僕はエリアの剣を振る動きをしばらく確認して、問題ないと判断してから、自分の準備運動を始めた。

 剣術に関しては、エリアはすでに桜花流の剣術を修めつつある。

 これは驚異的な学習速度で、僕が数年をかけて磨いた技を、彼女は数ヶ月で覚えていることになる。

 そういう才能の持ち主が稀にいるけれど、ただ剣術ということを考えると、僕の中には不安もあるのだ。

 剣術は無数の技を体に染み込ませることができるし、技が体に染み込めば、それを様々に組み合わせて、千変万化の筋を繰り出せる。

 それは技の習熟が意味を持つ、という側面に光を当ててみると、正確な認識だ。

 でも剣術は、相手がいることだ。

 相手がいる剣術、実戦的な剣術は、想定が不可能なものである。

 予想した通りに相手が切りつけてくることなんて、天地がひっくり返ってもない。

 自分も相手も、まったく新しい筋に勝機を見出すのが、実戦だ。

 その筋のためには時に習得した技を裏切る、もっと言えば、捨てる必要、忘れる必要さえある。

 その辺りのことを、僕はどうやったらエリアに伝えられるか、ここのところ、考えている。

 彼女は例の宣言の期日を守るつもりらしく、半月後に日付も決めて、そこで勝負、などと言っているのだった。

 僕が負けるとは思えない。

 技もだけど経験値が違う。

 エリアはこの屋敷しか知らないのに、僕は王都で、それこそ無数の技を見てきた。

 人が人を斬り殺すところ、斬り殺されるところさえ、見てきた。

 そういう非情さが、エリアにはないし、むしろ僕としては持ってほしくもなかった。

 剣を取って、そんな甘い考えは通用しないかもしれないけど、僕は頭のどこかで、そういう甘い夢を捨てきれず、考え続けている。

 最強の剣なら、相手を殺さずに済む。

 しかし相手を殺さなければ、最強は証明できない。

 何より、永遠に最強でいることなど、できないのだった。

 道場の床を音もなく踏んで、シュバルトさんがやってきた。僕は運動をやめて立ち上がり、頭を下げた。いつもこうして一礼して、シュバルトさんは僕の相手を始める。

 エリアが素振りを止めて、離れた所からこちらを見ている。

「虚剣の使い手だと、お聞きしました」

 エリアに聞こえないように、僕はシュバルトさんに言ってみた。

 シュバルトさんがわずかに顎を引く。肯定しているのだ。

 それ以上の言葉は、必要なかった。

 僕は滑るように間合いを消し、打撃から入る。手のひら、肘、かかと、膝の連続攻撃。

 一つずつをシュバルトさんが受け流す。

 手応えは普通の武芸者のそれ。

 なら!

 体を加速させる。息が苦しくなる。構うことなく、攻撃をさらに速くする。

 シュバルトさんの表情が真剣なものになる。

 そして反撃が来た。

 彼の肘がこちらの首筋を打つはずだった。

 しかしそれよりも僕の動きのほうが早い。肘を受け止め、返しにこちらも肘を突き出し、それがシュバルトさんの左の鎖骨の辺りを打つ。

 グラリとシュバルトさんが揺らぐところへ、たたみかける。

 ただ、急にシュバルトさんが重くなった。

 こちらの打撃を受け止めても、何か、柔らかいもの、水面を打っているような手応えになる。

 同時に、シュバルトさんが足を捌かなくなった。

 同じところで、ただ僕だけが彼の周りをグルグル回っている。隙を探し、隙を作らせようと誘いをかけているのは僕だけか。

 息ができなくなる。体が重い。

 僕の両手が鮮やかに跳ね上げられた。

 シュバルトさんの両手が脇に引き寄せられるのが目の前で見えた。

 まずは左の拳打で僕を崩し、鋭い踏み込みから、右の拳が鳩尾を強打する。

 分かっていても、防げない。

 巧妙に誘導されたのだ、と遅れて理解できた。

 呼吸が停止して、僕は一瞬、視界が真っ暗になるのを感じた。

 それが急に光を取り戻し、僕は咳き込んでいた。

「それができるものは少ない」

 僕が座り込んで四つん這いで咳を続ける横にしゃがみ、シュバルトさんが言う。

「それは神境でしょう?」

 僕はただ、荒い呼吸をしながら頷いた。

 神境と呼ばれる境地は、虚剣に似た荒唐無稽な空想とされるけど、僕はそれが実際にあることを知っているし、剣聖や剣聖候補生ははっきりと理解している。

 神境と呼ばれる状態は個人によってばらつきがあるが、感覚が鋭敏になり、体の俊敏性がぐっと上がる。

 大抵が限界を超えたときにその状態を迎えるとされるけど、僕が知る限り、朱雀様は自在にその境地に踏み込める。

 シュバルトさんが神境のことを知っていても、僕は不思議には思わなかった。

「見事でした。剣を持って向かい合えば、僕が負けていた」

 囁くような声で、シュバルトさんがそう言って、すっくと立ち上がった。

「まだ動けるなら、稽古をしましょう」

 僕はひときわ強く息を吸い込み、吐いた。意識はそれで少しだけスッキリした。

 立ち上がり、格闘の構えを取る。

 この時は、シュバルトさんも構えを取った。

 僕はまだ、技を知らない。

 前も思ったことだけど、こんなところに、第一級の使い手がいるのだ。

 自分を高める機会に、恵まれた。

 僕はシュバルトさんが動く前に、突っ込んでいった。



(続く)

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