第23話 国に尽くす
◆
ゆっくりと馬に揺られながら、僕と伯爵は屋敷へ戻った。
「彼らを組織したのは、もう三十年は前になる」
人も通らない畑の間の道を馬で進みながら、伯爵が説明してくれる。
「私はまだ王都にいて、官僚だった。大蔵省でね。その時に、この国の行く末を本当に案じている人間が誰もいないことに気づいた」
「官僚や貴族に、ということですか?」
「全てだよ。官僚も貴族も、軍部も財閥も、国というものを真剣には考えていない。平和であり、危険がなければいい、という考えだ。彼らの生活とは、絢爛豪華な屋敷に住み、大勢の使用人をかしずかせ、美味い食事と酒があり、美しい男や女がいて、演劇が上演され、音楽が奏でられ、それを美しい衣装を着て見に行き、舞踏会でのステップに心血を注ぎ、息子を出世させ、娘を有力者に嫁がせ、そういうことでできている。全てが、自分のためだ」
わからなくはないのは、僕が王都でそれらに身近に接して、当たり前だと思っているからだろう。
ただ、そう、それが本当に間違っていると思ったことはなかった。まさに当たり前だったからだ。
自分とは縁のない、恵まれた人々。
それを伯爵は、間違っているという。
「確かに上に立つものが、それ相応の生活をするのは、義務と言える。しかし、国を食い潰し、国を顧みないのでは、虚しい」
「伯爵は、何をなさるおつもりですか?」
僕の質問に、伯爵は前を見たまま言った。
「何もしないで済むなら、それでいい。むしろそうなって欲しい。ただ、必要とあれば、私たちは国を支える」
「国を支えるというのは、国王陛下をお支えになる、ということですか?」
やっとこちらを見た伯爵の顔は不敵だけど、どこか覇気のない瞳をしている。
「国王陛下は今、遊蕩にばかり関心を向けておられる。きみも知っているだろう?」
それは噂ではなく、ほぼ事実だった。
今の国王陛下は、王都の郊外に屋敷を建て離宮と呼ばせ、それに広大な原野を付属させ、一つの巨大な庭としているし、そこに国中から集めさせた美しい女性を住まわせている。
陛下はそこで、一日の大半を狩りと女性を相手にすることで過ごされる。王都に、すぐそばに王城があるにも関わらず、執務さえもその離宮で行っているという。
また伯爵が前に向き直った。
「あの方がふさわしいと思えれば、私はあの方をお支えする。あの方がふさわしくないとわかれば、新しい方を擁立する」
この発言は、あまりにも過激だった。
つまりいざとなれば、武力で国王の座に就くものを選ぶ、と言っているようなものだ。
大昔の決まりごとである、貴族が武力を持ってはいけない、という条項が生まれたその危機感は、今、こうして見えないところで現実のものになろうとしているのだとも言える。
「まだ動き出す時ではない。それどころか、動き出す時を私たちが決めることはできない。それははっきりさせておこう」
そう言う伯爵の意図は、国が乱れた時にだけ決起し、国が安泰なら、決して剣を取らない、ということか。
「養子を何人も迎えて、方々に送り込んである。やりとりは欠かしていないが、私のこの密かな企みは、いつかどこかで、露見するかもしれないな」
口調がぐっと弱くなり、頼りなげに変わる。
国のためを思っての行動が、国によって潰されるのでは、伯爵としてもやりきれないだろう。
「どなたでも、伯爵の意志を知り、共鳴しているのですから、そんなことはありません」
僕は逆に、強い口調で言っていた。伯爵はまっすぐ前を見ている。
「僕は、伯爵の同志となれたことを嬉しく思います」
そうか、と声だけが返ってきた。
「何年も前だが、同じことを言った若者がいたよ。そして無二の友になった」
馬上で、振り返った伯爵が嬉しそうな笑みを僕に向けた。
「オリバー・エリントン、という若者だよ」
僕は無意識に目を見開いていた。
その名前は、朱雀様の名前。
朱雀様は、剣聖の一人でありながら、伯爵の同志なのか。
そう、だから僕は伯爵に預けられた。
朱雀様は、最初から、僕をシルバイグル党に組み込むつもりだったのかもしれない。
でも騙されたとか、利用されたとか、そういう感じは少しもない。
もし僕が全くの無関係な人間で、何かの拍子に伯爵の志を知ったら、笑い飛ばすどころか、真剣に話を聞いて、最後には同じものを目指しただろう。
それくらい、伯爵の訴えることは、僕に響く。
きっと僕じゃなくても、大勢の人が心を震わせるはずだ。
「またこれから、私たちの考えを話すとしよう。トワルのいないところでね」
そう言った時の伯爵は、いつも通りの様子に戻っていた。
夕方には屋敷に戻り、伯爵がお風呂に入るというので、僕も自然とついていった。男色の噂を作る作業は、まだ継続している。
お風呂に入ると、シュバルトさんが先に湯船に入っていた。
僕が伯爵の体を流し始めると、その伯爵が小さな声で何かを話し出す。どういう内容かと思えば、シュバルトさんに今日、何が話し合われたかを伝えているのだ。
シュバルトさんは、伯爵の右腕なのだとこういう時、よくわかる。
何の返事もしないまま、伯爵が喋り終わるとシュバルトさんが湯船から出て、体を拭うと脱衣所へ行ってしまった。
「あの子は私の全てを知っている。サク、もしもの時は彼を頼りなさい。いいね」
伯爵の言葉に、僕はただ「はい」と答えた。
シュバルトさんの実際の年齢を僕は知らない。伯爵が話してくれたことや、エリアが教えてくれたこと、そんな断片的な内容を繋ぎ合わせれば、もう十年はこの屋敷にいるはずだ。
シュバルトさんの考えることに、急に興味がわいた。
彼は無口だし、自分の意見をはっきりさせることも多くはない。
それだけ、頭の中では様々ものが検討し尽くされ、整理されているんじゃないだろうか。
お風呂から出て、食事の席で僕は時折、シュバルトさんを確認した。
彼はいつも通りに淡々と食事をしていた。
(続く)
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