第21話 腕試し
◆
クラスナンには昼前に着いた。
比較的、大きな食堂に馬を預け、僕と伯爵は揃って、その食堂ではなく、別の一軒の酒場に入った。
地方によくあるような、低所得者が集まるような店だ。安い酒と、ちょっとした肴、怒鳴り声と罵声、笑い声、そんなものと一緒に濃密な酒気が満ちるような店だった。
だから、伯爵がここに入った時、いつもの演技の一環かな、と思ったのだが、どうだろう。
伯爵は男色であり、酒癖が悪い、という表の顔を作るために、わざとこういう酒場に入ったんだろうか。
中に入ると、フロアでは十人ほどが酒を飲んで盛り上がっている。
伯爵に気づいたらしい中年男性が二人、持っていたグラスを掲げる。伯爵が頷いていた。
伯爵と並んでカウンターに着く。
「何を飲むつもりなのかね、そこの坊やは」
店主らしい初老の男性にからかわれている僕の背中に「ミルクでも頼めばいいぜ、小僧!」という声がかかり、より一層、大きな笑い声が店内に響く。
「じゃあ、ミルクを。ジョッキで」
そう答える僕に、またヤンヤヤンヤの声が上がる。
伯爵は麦酒を注文し、それはミルクと一緒にやってきた。
クラスナンへ降りてくる途中で話をしたので、こういう状況は想定していた。伯爵は大人しくしているように、流れに身をまかせるように、と僕に言ったのだ。
僕は伯爵を真似るように、少しずつミルクを飲んだ。伯爵は文字どおり、舐めるように麦酒を飲んでいるけど、伯爵には常に声をかけてくる客がいる。
今年の麦や野菜の作柄とか、家畜の様子、よそ者の噂や、犯罪者に関する情報。
そういうのを入れ替わり立ち代り、伯爵に客たちが話していく。
僕も気を張り詰めていたけど、その時は、本当に一瞬だった。
急に酒場の中が静かになったと思ったら、伯爵がカウンターから振り返る。酒はほとんど口にしていないので、シラフだ。顔も赤くない。
「諸君、ここにいるのが、剣聖候補生のサク・オリバンだよ。よろしく頼む」
僕はとっさのことに混乱したが、一度の呼吸で気を取り直し、席を立って振り返り、全員を見た。
さっきまで賑やかだった客たちは、その陽気さを取り払って、真剣な顔で僕を見ている。
「まずは腕試しだな」
そういったのは客の中でも比較的若い男で、傍にあった棒を手に取ると、それを構える。
「俺も加わろう」
そう言ったのは別の席にいた四十歳くらいの男性だ。こちらは短い槍を手に取っている。
酒場のフロアの机が退けられ、出来上がった空間で二人が武器を構える形になった。
僕は伯爵が頷くのを待ってから、剣を手に取り、そっと鞘から抜いた。
実戦になる、と教えておいて欲しかったが、それは高望みかな。
いつも覚悟はできているし、そういうものが剣士の常だ。
でも詳細に教えてもらえば、これからのやり口もいくつかあるんだけど、伯爵も人が悪い。
実力を確かめられるだろう、という程度しか、伯爵は教えてくれなかった。それも、こんな作為しかない場ではなく、街では、と言っていた。
僕は剣に気を乗せ、今、無表情にこちらを見る二人と正対した。
彼らもかなり強い気を放ってくる。
武術の腕も超一流だろう。
しかもこちらは一人で、同時に二人を相手にしないといけない。
棒の方の男が飛び込んでくる。
棒を避けたところへ、槍がくる。巧妙だ。
それも避けるが、横薙ぎの棒を剣で受けるよりない。そこへまた槍。
体を捻りながら棒を受け流し、勢いのままに足を送り、槍の間合いを際どく抜ける。
いや、それは誘いか。
本命の棒の一撃が、頭を砕きに来る。
それでも、見えてはいるんだから、対処できる自分がいる。
剣を振り上げる動作で、刃の切っ先が弧を描き、頭上から背後へ。
額の上で、柄頭で打って棒を受け流す。その剣を振り上げた動作が、手首の捻りと合わさり背中側で作用する。
棒を弾くのと同時に、側面の槍をもその刃で受け流す。
あとはほとんど乱戦だった。
僕は徹底的に棒と槍をやり過ごすけど、反撃ができないのは二人が一流の使い手だからだ。
王都でもこれだけ上手く棒や槍を使うものはいない。
と言うより、まるで棒や槍を使っているという気配がない。
彼らが持っている武器は、体の延長のように自然に動く。
武器に頼るところがなく、技で向かってくるのだ。
こうなれば後は、技と技の力比べになり、そのあとは体力勝負だ。
どれくらいをそんな風にしていたのか、槍が僕の頬をかすめた。
それが限界だった。
僕の切っ先が走り、槍の男を仕留めにかかる。
ここまで、受けに徹していたのはそうせざるをえなかったからだけど、今だけは、選ぶことができた。
自分が敗れるか、相手を倒すかだ。
それも槍の方を倒しても、即座に棒が僕を殺すような、無情な状況だった。
でも諦めるわけには行かず、僕は切っ先を突き出したのだ。
鈍い音を立てて、棒が僕の剣を跳ね返したのは、だから予想外だった。
跳んで間合いを取ると、二人の武人もそうしてる。
三人が膠着したのも短い時間で、棒と槍が下げられた。
「凄まじい技量だな。変幻自在の剣だ」
槍を持っている男性がそう言って、額の汗を拭った。棒の方の男性も頷いて、見物していた客が投げた瓶を受け取り、その中身を飲み干している。
僕もさすがに疲労していた。
こんな圧力を感じたのは、王都を離れてからなかったことだ。
「技量はわかりましたよ、伯爵」
そう言ったのは客の中にいた老人で、白い髪の毛を伸ばし、ひとつに結んでいる。服装は商人のように見える。
「同志とするわけですか? どこに置くのです?」
「しばらくはうちに留めておく。この子は王都には戻れまい」
そう伯爵が答え、それから僕の方を見ると「紹介しよう」と微笑んだ。
「ここにいるのは、私と同じ志を持つ、シルバイグル党、とでも呼ぶべき組織のメンバーだ」
不穏な言葉だったけど、僕はこの数ヶ月で伯爵のことを信用していた。
「貴族が私兵を持ってはいけない、などと言わないのかい、サク」
そう伯爵にからかうように言われても、やっぱり僕はそういう正論を口にする気にはなれなかった。
「剣聖候補生と言ってもいいような方がいるのですから、それだけ本気だとわかりました」
僕がそう言うと、伯爵が満面の笑みで拍手した。
他の人たちも拍手をして、誰からともなくまた元の賑やかさを取り戻し始めた。
シルバイグル党のことを知ったのはこの時が初めてだけど、どこかで考えてはいた。
伯爵が、無能で怠惰で、ダメ人間であるふりをする理由が、どこかにあるはずだと。
きっとこれが、その一部なんだろう。
(続く)
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