第20話 魔力
◆
建物に戻った僕を見て、「言わんこっちゃない」とエリアが肩をすくめた。
あの後、はっきり言って見るに堪えない惨状が展開され、魔獣は完全に腐りきって腐臭というか悪臭が立ち込めた。その魔獣だったものは最後には塵になったけど、腐乱した光景は、頭から消えそうにない。
「嘔吐しないのは立派、立派」
そんな風に魔術人形には言われた。
魔術人形が魔獣から吸い上げた大量の光の粒、純粋な魔力は、そのまま宙を渡って屋敷の方へ飛んだのだった。
あの魔力がそのままスイハさんの本当の肉体に浸透し、それで生きていける、ということのようだ。
「でも、おかしくないですか?」
席について、魔術人形がまたお茶を用意してくれるところを見ながら、疑問を確認する気になった。
「魔獣を召喚する時、魔力を消費しますよね。魔力と魔獣が置き換わるとすれば、スイハさんが魔獣を召喚した時に消費される魔力と、同等程度の魔力しか魔獣にはないことになる。それじゃあ、減ることはあっても、増えることはありませんよ」
そうそう、と魔術人形が頷く。
「そこにトリックがあるのよね。お屋敷に温泉があるでしょう」
いきなり話が変わったので、より一層、僕は集中した。
「あの温泉がどうして湧いているか、不思議じゃない?」
「山間には、温泉が湧いていることは多い気がしますけど」
「大地の下に燃えたぎる土があってね、それがたまに山から吹き出したりする。火山という奴よ。その火山のそばでは、温泉が湧く。土が溶けるほどの熱が、地下の水を温めるわけ」
何の話だろう?
「でも、この山は、本来、火山ではないのよ」
「えっと、じゃあ、何で温泉が湧いているのですか?」
「この山には、膨大な魔力があるの」
魔力?
僕も知識として知っているけど、魔術師は自分の体に宿る魔力の他に、大気に宿る魔力などを引用する。
同種のものが、地面、大地にあるということか。
「じゃあスイハさんは、地面の魔力で生きているんですね?」
「そういうこと」
「でもだったらなんで、魔獣に置き換えているんです? 地面から直接に魔力を吸い上げればいいのでは?」
ちょっと待った、と急にエリアが声を発した。
「魔力とか魔獣とかよりも、純粋に、なんで食事をしないかということを気にするべきじゃないの?」
そうだけど、僕はあまりそこは気にならなかった。
「まあ、食事が面倒なこともあるしね」
反射的にそういう僕を、ジロリとエリアが見る。
「どういう意味?」
「食事の時間も訓練に当てたい、っていうか」
似た者同士じゃないの、とエリアは呆れたようだった。
「私の体は、もうボロボロよ」
魔術人形を介して、スイハさんの方から話を始めた。
「だいぶ前に、体を弄くり回されてね。一応、人の形ではあるけど、本当の私だったものはほんの少しよ。歩き回ることとかもできないし、食事もできないし、本当の意味で眠ることもできないし、声で話すこともできない。かわいそうよねぇ」
自分でそういうことを言うんだから、と小さな声でエリアが言ったけど、途端、彼女が体を震わせ、唐突に倒れこんだ。
「え? どうしたんです?」
「罰を与えただけよ」
ば、罰……。
「この山の魔力に関しては、あなたにも関係することだから、いずれ詳細に話しましょうね。朱雀の剣聖も、ちゃんと状況を把握しているようで、感心するわ。お父様も、抜かりがないし」
この山の魔力が、僕と関係する?
唐突にエリアが跳ね起き、「暴力反対!」と叫んだので、話題がうやむやになってしまった。
エリアと二人で建物を出るとき、魔術人形が見送ってくれた。
「この山の魔力って、僕と関係するの?」
帰り道でそう確認すると、エリアは「知らないわ」と答えた。意地悪で隠しているわけではなく、本当にエリアは知らないらしい。
それ以上、確認する方法もなく、歩きながらエリアが剣術の話をするのに付き合った。
屋敷には夕方に戻ることができて、僕はすぐに伯爵に呼ばれた。書斎の一つで、トワルさんはやっぱりいない。
「魔力のことは聞いたね?」
「ええ、うかがいました」
「きみの剣聖剣技を頼ることになる。何か、欲しいものはあるかい?」
頼ると言われても、詳細を知らない。ただ、剣聖剣技が魔術に近いということが、何か、意味を持つのだろうか。
僕は少し考え、
「剣聖剣技をおいそれと使うわけにもいかないのです」
と、答えた。
伯爵は鷹揚に頷く。
「朱雀の剣聖殿は承知しておられる。気にする必要はないよ、サク」
それは、以前の手紙にもあったけど、あまり明確な表現じゃなかったような……。
「これもまた経験だ。それはそうと、来週、クラスナンへ行こうか」
伯爵の意図が読めないまま、トワルさんがやってきて夕食の時間を告げた。
その日の夜も、僕は夜中に目が覚めた。
トイレに行って、部屋に戻る前に、ふと温室が気になった。
廊下を進み、階段を下り、例の扉が見える位置にくる。
今日は扉は閉まっている。
でももしかしたら、温室にはスイハさんの分身の魔術人形がいるのではないか。
そう考えたけど、結局、僕は元来た方に戻り、階段を上っていった。
誰にだって一人になりたい時がある。
誰にだって、邪魔されたくない時が、あるはずだ。
あの温室にいる時、きっとスイハさんは本当の肉体では感じ取れない何かを実感しているはずで、それは間違い無く、大事な時間だ。
それを邪魔するのは野暮というものだろう。
部屋に戻ってベッドに横になる前に、カーテンを開けて窓の外を見た。
どこまでも続くような木々の群れがそこにある。その上に夜空があり、無数の星と一つの月がある。
僕は今、それを自分の目で見ているけど、それができなくなった時、何が見えるんだろうか。
翌日の朝、朝食の席で伯爵はトワルさんに、次の週にクラスナンに行くこと、それに僕を伴うことを話した。
トワルさんは小さくうなずき、了解したようだ。
僕は食事を前にして、昨日の魔獣のことを思い出し、ちょっと、いや、だいぶ、食欲がわかないのだった。
(続く)
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