第17話 嫌悪と恐怖
◆
夕食後の書斎で、スイハのことを伯爵に聞くと、驚きで体を揺らした伯爵が危うく椅子から転げ落ちそうになった。
「スイハ? 彼女がここへ来たのか?」
そう言われても、僕はあまり事情を知らない。
「老婆がそう名乗ったんですけど、どういう方ですか?」
「老婆? どこで?」
「温室です」
そう答えると、ああ、と漏らすように伯爵が言って、それきり、口を閉じて顔を伏せてしまった。
何か、触れちゃいけないことに触れたかもしれないな……。
かといって変に取り繕うわけにもいかず、僕も黙っていた。
「スイハは、私の娘の一人だよ」
やっと伯爵がそう言った。
「過度な負担を負わせてしまってね、私にはどうしようもなかった」
まさか、僕は幽霊でも目撃したのか?
怖くなって、今度はそれが理由で口を閉じることになった。
「もう手遅れなんだと言い聞かせたものだけど、こればっかりは、どうしようもない。後味が悪いし、後悔ばかりさ」
「心中、お察しします」
やっとの思いでそう答える僕に、伯爵が顔を上げ、そして首を傾げた。
「何か勘違いしていないか、サク?」
「え? スイハさんは、その、亡くなられた、のでは?」
うん、と伯爵が頷き、それから噴き出すように笑い出した。
「いやいや、生きているはずだよ。少なくとも、死んだとは聞いていない」
「なんだ、死んでいるようではないと思っていましたけど、深刻な様子だったので、勘違いしました」
「まぁ、人としては死んでいるようなものかな」
今度は本当の驚きだった。
死んでいる? なのに生きている?
僕が真剣な目で見たからだろう、なだめるような身振りをして、伯爵が教えてくれる。
「いろいろと事情のある子でね。今は屋敷にはいない。使用人たちが怖がるしね。何せ、しゃべらないし、食べ物も食べない」
「食べ物を食べない?」
それでどうやって、生きていくんだろう?
答えを教えてもらえるとばかり思ったけど、本人に聞けばいいよ、と伯爵は教えてくれなかった。
「それで、何かスイハから話を聞いたかい?」
そう話を振られて、昨夜のことを思い出そうとした。寝ぼけていたのか細部が曖昧で、すぐに言葉にならない。確か、そう……。
「役目、と言っていました。あとは、会いに来れば歓迎すると」
「役目か。あの子も意外に、耳ざとい」
「兄上が、魔女と呼んでいたのが、スイハさんですか?」
兄上、という言葉を解釈するような間の後、そうだよ、と簡単に伯爵が頷く。
「シュバルトとあの子は馬が合わないんだよ。取っ組み合いの喧嘩、というのは、ありえないけど、まぁ、水と油みたいなものだよ」
「魔女というと、スイハさんは、やはり魔術師ですか?」
これは僕としてはだいぶ踏み込んだ質問のつもりだった。
伯爵は無言で頷き、「でも悪い子じゃない」と取り繕うように言った。
でもそれが本心なんだともわかった。
魔術師に対する偏見は王都にいても繰り返し接した事象だ。
魔術師は超常の力で無限に生きるとまことしやかに口に登るし、人間を洗脳して操ることができるとか、記憶を改竄できるとか、そんなことも囁かれる。
僕は剣聖候補生として、幾人かの魔術師、それも高位の使い手に接した経験があるけど、変人ではあっても、ちゃんと分を弁えているし、人間らしい人間だった。
むしろ僕からすれば、実力を隠す超一流の剣術家の方が怖いと思ったほどだ。
魔術師もその素養や能力を隠すけど、僕からすれば火を操ったり雷撃を放つより、一振りの剣の方が怖かった。
それは今でも変わらない。
「歓迎するというんだから、会いに行けばいい。そうだな、明後日にでも、エリアと行ってきなさい」
「そばに住んでいるのですか?」
「山のほとんど反対側だな。片道で三時間ほどか。私は久しく行っていないが、それはエリアもだろう。シュバルトも行かないし、人に会いたいんだと思う」
はあ、としか言えない。
三時間で行けるんだから、伯爵も行けばいいのに。
僕の内心を読んだように、膝と腰が痛くてね、などと初老の伯爵は誰にともなく弁明した。部屋には僕しかいないわけだけど、まるで僕に言っているように聞こえない辺りの説得力のようなものは、さすがの年の功というべきか。
剣を持って行ったほうがいいよ、と伯爵はアドバイスしてくれた。まさかスイハと斬り合いにはならないだろうけど、素直に頷いておいた。
その翌日の朝食の席で、伯爵はエリアに「明日、サクに山を案内してあげなさい」と言った。エリアは手に持っていたフォークを取り落とし、真っ青な顔で、「私がですか?」と問い返している。
伯爵が頷くのに、エリアは助けを求めるようにシュバルトさんの方を見るけど、いつになく厳しい表情で、シュバルトさんはエリアを無視した。
なにやら、スイハという人物は、恐れられ、恨まれているらしい。
食事が終わり、道場で稽古をしている間に、エリアは色々と教えてくれて、そこでおおよそのことは把握できた。
確かに奇抜な魔術師ではあるけど、僕はやっぱり、それほど怖い人には思えなかった。
ここまでくれば、エリアやシュバルトさんは魔術師というものを知らなすぎるんだと思うよりない。
僕が知っている中では、老魔術師が生きている人間から輸血してもらいながら生をつないでいるのが、一番の恐怖だった。輸血元の人間は、奴隷だった。
そこまでして生きる理由を問いたかったけど、僕もあの時は、恐怖と嫌悪が強くて、早くその場を去りたいと思ったものだ。
スイハを訪ねる当日になり、僕とエリアはお昼ご飯と水の瓶を持って屋敷を出た。
正面玄関で、シュバルトさんが待ち構えていて、いつになく険しい顔で「気を許すな」と言っていた。
僕は真面目な顔で頷いて、内心を押し隠したのだった。
エリアはまだぶつぶつと文句を言いながら、山に分け入るようにして、かなり前に作られたのが今はほとんど消えかけてる道を進み始めた。
すぐに屋敷は見えなくなり、景色の変化しない森の中を、歩いていく。
嫌だなぁ、とエリアが繰り返していた。
(続く)
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