第15話 剣聖剣技
◆
伯爵は自分だけの書斎で、何かの本を読んでいた。
僕が部屋に入ると、何か言うより先に、伯爵が机の上にあった封書を一通、掲げて見せた。
「私のところにも届いた。そちらにも無事に届いたかな」
「ええ、こっそりと朱雀様の手のものが」
「その様子だと、誰かに覗かれたか?」
そのようです、と応じると、伯爵は真面目な顔で眉間にしわを寄せた。
「私はこれでも、まともな領主のつもりだったが、内通者がいるとは、不甲斐ない」
「これくらいの駆け引きは、今は王国のどこにでもあります」
心しよう、と言って伯爵が空いている椅子を示す。
僕は腰掛けて、「封書を確認していないのです」と告げた。伯爵はすっとペーパーナイフを差し出してくれる。素早く封を開けて、返却する。
取り出した便箋の字は、やはり汚いように見える。ただ、その全てが朱雀様の筆致なので、僕には不快ではない。むしろ安心した。
文章の内容は、とりあえずはエリアという少女を鍛え、シルバイグル伯爵の元で時を待て、ということだった。いずれ中央に戻れるようにはするが、確証はないし、確約はとてもできない、とあった。
最後に、剣聖剣技を役立てることを命じる、とあった。
剣聖剣技を役立てる?
「何が書いてあった?」
顔を上げると、伯爵が首を傾げている。
「いえ、剣聖剣技を役立てろ、とありました」
「剣聖剣技を守り通せ、ではなく?」
「はい」
剣聖剣技について詳しく知っているものは限られる。
市井の剣術家の大半は剣聖という存在を、武術に優れたものが超常の力を振るう、と解釈する。剣聖剣技も、それほど重視されず、技の一つとされるのだ。
魔術に近いとされても、それほどの力は持っていないと見なされている。
でも僕のような立場や、王国で中枢に近い場所に立った人間は、剣聖剣技が、ある種の秘伝であり、つまり秘するべきものと考える。
魔術師は自分で生み出した魔術や、強力すぎる魔術を、他人に教えたりしないし、共同で研究もしないという。
それに似たものが、剣聖剣技にはある。
そもそもからして使えるものが限られるけれど、使う場面など無いに等しい。
そこは市井の剣術家の認識に限りなく近い形で、剣聖が手加減した技を使うからだ。
剣聖は、剣聖剣技などを使わなくても、超一流の剣術を使うため誰にも敗れることがないこともあり、剣聖剣技の評価をどことなく曖昧にしている。
僕がエリアに剣聖剣技を見せたのは、だから、邪道というか、おふざけが過ぎた、と言えるかもしれない。
「私には、剣聖殿から、サクを自由に使って良いというお達しがあった」
「どういう意味でしょうか」
「剣聖殿がきみを私の元へ寄越したのには、いろいろと理由があるということだよ。今はまだ、早いかもしれないな。まずはエリアを一人前にして、それでやっと、考えるとしよう」
早い? エリアが一人前になったら、何か変わるのだろうか?
「そろそろ夏になるが、エリアはどんな様子かな」
「夏の盛りには、真剣を持たせたいのですが、何か、この屋敷にありますか?」
真剣のことは、エリアにはまだ話していなかった。
桜花流の技をおおよそ、習得しつつあるけれど、まだ木の棒を使っているので、どことなく安心がある様子なのだ。
剣術はこの平和な時代でも、殺人術であるという原則からは解放されていない。
今のエリアが、いきなり真剣を持って、同じように真剣を持った剣士と向き合った時、きっと精神的に負け、その負けは死を意味する。
相手に傷つけられること、相手を傷つけること、それにまずは慣れる必要がある。
「前にいた養子たちが使っていた武具がある。トワルに聞けば、教えてくれるだろう。手入れなどはしていないから、そこからだな」
「それも修練になると思います。自由に選んでよろしいですか?」
「構わないよ。エリアに合ったものを、選んでやってくれ」
わかりました、と僕が頷くと、伯爵が壁掛け時計を見て、「書見だね」と立ち上がった。そうか、もうそんな時間か。
封書を懐に入れて、僕と伯爵は並んで廊下へ出た。
「剣聖剣技について、調べていたようだが」
そう言われて、これまでの書見のことだとわかった。
ここ一週間、僕は屋敷にある古文書の中でも、剣聖に関する伝承をまとめた書籍を紐解いていて、それは伯爵にも書見の後のお茶の席で触れられて、はっきりと剣聖剣技について調べていると自分で言ったのだ。
「剣聖剣技とは、魔術なのかな」
伯爵の質問に、僕は答える知識がない。それでも、実際に使う身としての意見を口にした。
「最初、というか初期の剣聖の技は魔術に限りなく近かったと思います。万能で、多岐に渡ったようです。しかし今は、大半が失われています。僕が知っている剣聖剣技は、最初の剣聖の能力のほんの一割ほどではないかと」
「知識とは、失われるものなのだねぇ」
「それは、神がこの世界から消えたのと同じだと思います」
神か、と伯爵がこちらを見る。
「きみは神を信じるかい、サク?」
「最初に世界を作った存在が、そう呼ばれるはずです。ただ、今はいませんね」
「朱雀の剣聖殿も、きみからすれば神ではないのかな?」
冗談混じりの口調だったので、僕も笑みを浮かべてしまった。
「朱雀様は人間です。使う技は、人間のそれですから」
そうか、という返事以上のことを伯爵は口にしなかった。
図書室について、僕が先に中へ入った。すでにシュバトさんが席について本を開いている。
僕が席に着くと、遅れてエリアが駆け込んできた。
「お行儀良く、エリア」
そう伯爵がいうと、エリアはバツが悪そうに「はい、お父様」と姿勢を正し、ゆっくりと自分の席についた。
部屋の中がしんとして、時折、ページがくられる音だけになった。
その向こうで、カチカチと、時計が動いている。
僕は本の中の、原始の剣聖の伝承に没頭した。
(続く)
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