第14話 封書
◆
その日は雨で、それでも僕とシュバルトさんは朝から走っていた。
それぞれに雨具を着ているのだ。
山の中で、鉄柵から少し離れる場所にその人がいた。
シュバルトさんが立ち止まるまで、僕は気づかなかった。
「どなたですか」
足を止めたシュバルトさんがそういったのが雨音の中で聞こえ、僕も足を止めて、やっと木の陰にその人がいるのがわかったのだ。
服装は平凡な農夫のそれで、何かを背負っている。
不自然この上ない。
僕は自分が今、剣を帯びていないのを後悔した。
それは、その農民風の人物が一歩二歩と歩き出しただけで、相応の技量の持ち主だとわかったからだ。頰被りをして、顔を伏せているので目が見えない。それも不気味だった。
少しの緩みもない、緊迫した気を発している。
すっとシュバルトさんが僕の前に立ってくれた。
農民体の男性が膝を折り、懐から何かを取り出した。
「朱雀の剣聖様からの文でございます」
ひっそりとした声で、雨に紛れそうだった。
シュバルトさんが何か言おうとしたけど、僕は彼の肩に手を置いて、首を振ってみせた。それでシュバルトさんには通じたらしい。
「ありがとうございます」
僕が封書を受け取ると、男性は頭を下げ、そのまま木立の中へ消えていった。
「行きましょう」
僕は封筒を懐に入れ、シュバルトさんを促した。彼は軽く顎を引いて頷いたようだ。
「この辺りの」
走る前に歩き出しながら、シュバルトさんが言った。
「農民の顔は全て、覚えています」
見知らぬ顔で警戒した、ということらしい。それと同時に、見知らぬ人間がこの辺りにやってくると、自然と領民によそ者と認識され、危険視はされなくても、注目はされる、ということもありそうだ。
「その辺りは抜かりないでしょう。朱雀様の手のものですから」
そう答えると、だといいのですが、と小さな声でシュバルトさんが言った。
どちらからともなく走り出し、結局、いつも通りのコースをいつも通りの時間で走った。
屋敷に入ると、下女が二人待っていて、大きなタオルを出してくれる。この辺りは温泉があるので、お風呂の用意もできているという。
僕は一度、自分の部屋に戻り、着替えを用意した。
受け取った封筒を確認し、封蝋はちゃんと朱雀の剣聖の紋章になっている。
どうするべきかな……。
用心は、しておくか。
僕は封筒をそっとタンスの中に入れ、事前に用意していたまったく同じ封蝋の封書を文机の上に置く。そうして着替えを手にお風呂へ行った。
お風呂は同時に十人は入れるほど多くて、僕が浴場に入ると、もうシュバルトさんが汗を流していた。
僕も体を流し、後を追うように大きすぎる浴槽に入った。
お湯は掛け流しで、どことなくお湯にはザラザラしたものを感じる。
それが変に心地いい。
「それが、火迎え、ですか」
湯気の中で、シュバルトさんが僕の右肩を見ているのがわかる。
そこには幾何学的な模様のあざがあるのだ。
「そうです。どういう由来かは知りませんが」
火迎え、というのは、剣聖候補生になった時に体に刻まれる紋章で、順番としては剣聖候補生の候補になり、その中でこの紋章が体に馴染んだものだけが、本当の剣聖候補生になれる。
その紋章を体に転写する儀式があり、それぞれの剣聖で名称が異なる。
朱雀の剣聖は「火迎え」、青龍の剣聖は「水呼び」、白虎の剣聖は「雪舞い」、黒玄の剣聖は「雷招き」という名称で、この候補生選抜が行われる。
この儀式が、ただの剣士ではない、魔術師に連なる素質の選別を意味した時代があった、とは聞いている。
シュバルトさんはじっとこちらを見ていて、なんとも、恥ずかしい。
「例のものは?」
視線をこちらの顔に向け、小さな声で彼が言った。
「安全だと思います」
そう答えると、シュバルトさんが目を細める。
「お風呂に来る前に目を通せば良いのでは?」
「そうすると、自然と届けてくれた彼が疑われ、そこから手繰られます。どこかの誰かに覗き見させれば、彼は安全でしょう。大丈夫です、僕を信用してください」
もう何も言わず、シュバルトさんは無言で頷いた。
それぞれにゆっくり温まり、お風呂から出た時にはちょうど朝ごはんの前になっている。
部屋に戻ると、封書はまだ机の上にある。
それくらいは用心深くなくちゃな。
誰もいないのをいいことに、ちょっと笑ってしまった。
僕は食堂へ行って、例のごとく、伯爵の横の席で食事をした。演技である手の動きにももう慣れている。こっそり話した感じでは、そろそろ伯爵は僕に飽き始めている、という形に変えていくらしい。
食事の後に部屋に戻り、机に向かって封書の封を切った。
中を見るけど、当たり障りのない、最近の王都の様子と朱雀様の指導する候補生に関する愚痴だった。
便箋を封筒に戻し、席を離れてタンスに向かう。
引き出しを一つ開け、そこにお風呂に入る前の封書があるのを確認することにした。
見えるところでは着替えがそこにあり、それをめくって僕は服の下の底板に触れる。
ちょっとしたコツで、その底板が浮く。
隠してある空間があるのだ。
そこから今度こそ、本物の封書を取り出した。
先ほどの机の上の封書から取り出した便箋の内容は、僕が適当に作ったものだった。
最初から偽物は用意されていて、僕の部屋にこっそりと忍び込んだ誰かは、僕がわざとらしく机に置いたものを本物と思い込み、中を検めたようだ。
封蝋がわずかに前と違う。それに筆跡が朱雀様直伝の偽装防止の癖を真似しきれていない。僕の手法なんて生温いくらいで、朱雀様は字が下手だと言われるほど、様々な手法を駆使して、自分の文字と模写を区別することを実行している。
本物の封書を手に、僕は部屋を出た。
伯爵にも見てもらうべきだと思ったのだ。
(続く)
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