第13話 殺意

     ◆


 投げ捨てられることを繰り返していると、エリアがクスクス笑っている。

 僕は諦めることなく、シュバルトさんにぶつかっていった。

 こちらの前に出る力どころか、組んだ時の両腕にこもる力、体を支えようとする両脚にある力、そういう全てを受け入れて、シュバルトさんは僕を投げる。

 投げられている自分でも驚くほど、それは鮮やかなものだ。

 受け身を取る余地があるのは、それだけ手加減されているからだろう。

 実際に投げられると、例えば頭や首から墜落させる、殺人的な叩きつけ方ができないわけがない、と思えた。

 僕もそれが、実はできる。

 剣聖候補生として、とにかくそういう技を教えられたんだけど、もちろん、実際に使った場面は滅多にない。

 試す機会は王国軍の武術師範の誰かしらが相手で、その中にも組打ちが得意な師範がいるので、その人で僕は繰り返し試していたものだ。

 ただ、大抵は僕が叩きつけられ、気を失ったのも再三だった。

 回数がわからないほど道場の床にぶつかり、僕は呼吸が乱れきって、脱力した。

「大丈夫? サク。そんなに必死にならなくてもいいのに」

 顔を覗き込んだエリアが、僕の額に手を置く。ひんやりとした手だ。

 上体を起こすと、タオルが手渡され、すぐに水の瓶も来る。勢いよく水を飲み、やっと一息つけた。

 シュバルトさんはどうしているかと思うと、タオルを片手にまっすぐに立ち、こちらを見ている。

 嫌がっているところが少しもない、どことなく柔らかい表情だ。

「少し確認していいですか?」

 僕は勢いをつけて立ち上がり、頷いたシュバルトさんに組み付いて、いくつかの動きの要所を確認した。

 どうすれば自分の力に相手の力を載せられるか、ということが体術の基礎の一要素だと、僕もさすがに知っている。

 でもシュバルトさんの力の働きを支配して逆用する動きは、見たことがないほど精緻で、同時に繊細だ。

 何回投げられても、数回に一度は、自分では想像していないほどに体が振り回される。

 その辺りをこうして後から確認しても、シュバルトさんの身振りとちょっとした動きでの解説も、あまり役に立たない。

 何か、根本的に僕に足りないものがあるのかもしれない。

 下女の一人が夕食を告げに来て、シュバルトさんがさっと僕から手を離した。

 今だ!

 こちらから掴みかかり、投げようとする。

 刹那だった。

 こちらの力が不意に消えた。

 なんだ?

 まるで水面を押そうとして、手が水に沈んだような、そんな手応えの無さだ。

 そう思った次には、その勢いを逆用されて、シュバルトさんの手が僕の稽古着をつかみ、振っている。

 踏ん張ることもできない。

 そういう姿勢じゃない。

 やられた、と考えるより先に、背中から床に叩きつけられ、肺から空気が押し出される。

「まだ甘い」

 珍しく、シュバルトさんが笑みを見せてそういうと、先に道場を出て行った。

 僕はあまりの衝撃に頭がクラクラして、横になったままだった。さっきの声も、勘違いだっただろうか。

 甘いか。

 手加減するな、という意味だろうか。それとも技の練度が足りないか。

 背中、色が変わっているだろうなぁ。

「兄様があんな風に笑うの、久しぶりに見たわ」

 僕のすぐ横にエリアがしゃがみこむ。

「なんか、サクが来てから兄様は少しだけ、心を開いたみたい」

「姉上とは話さないの?」

 やっと呼吸が整い、起き上がる。背中が痛む。受け身が不完全だった。それもまた、甘い、ということなんだろうな。

 僕のすぐ横で、エリアが唸っている。

「私と話をすることはあるけど、ちょっとした話だけね。兄様がアーツっていう体術をやるのは知っていたけど、教えてもらったことはないし。剣の稽古も見てくれなかった」

「頼んだの?」

「体術はね。あの時は、まだ早い、と言われたのよ。それきり、もう体術のことは話さなかった」

「なんで?」

 それは、と少しだけエリアが言いにくそうにした。

 僕もそれほど聞き出す気もないので、話題を変えようとしたけど、その前にエリアが意を決したように言っていた。

「夕食の後、兄様が外へ出て行くのを見たの。だからこっそり、ついて行ってみたわけ。日が暮れていて、外に何の用があるのかなって」

「なにをしていたわけ?」

「兄様は、その、木に向かい合っていた」

 木?

 不意に自分のことが思い出された。

 今でも僕は夜になると、一本の木の前に立って剣を構えていた。

 同じことを、シュバルトさんもやっているのか。

「木と正対して、構えをとって動かないの。本当に、少しも動かなくて、まるでそういう像みたいだった」

「拳を繰り出した?」

「怖くなって、見ないことにしたわよ。今になってみるとわかるけど、あれはサクがいうような、気、に近いけど、本当の殺意が発散されていたんだと思う。それが怖かったのね」

 シュバルトさんと稽古をしていて、殺意を感じたことはない。

 だけど、彼の体術には、ただ技を磨くだけ以上のものがあるのは、気づいていた。

 それは、相手を倒す、という確固たる意志だし、つまり、必要となれば相手を殺す技であるという気配が、滲み出しているようにも思えた。

 僕の剣にもそれがあることは、王都で、朱雀様に教えられた。

 お前の剣には殺意が宿りすぎる。

 そんな風に言われて、僕は自分を制御できていないことを、知ったのだ。

 それからが新しい修練になった。

 気を隠すことを、突き詰めた。

 それがシュバルトさんにはすでにできているということになる。

 まだ学びたい。学ばせて欲しい。

 僕は立ち上がり、「私のことをお忘れなく」などというエリアと一緒に、道場を出た。

 外に出ても、もう冷気はない。

 少しずつ、夏が近づいている。



(続く)

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