第10話 稽古

     ◆


 エリアと道場で向かい合って、僕は棒をほとんどぶら下げるようにしていた。

 一方のエリアは隙のない構えをとって、立っている。

 二人の間合いは一足で潰せる距離でもエリアは飛び込めないだろう。

 そうすることで隙が生まれることを、彼女は理解している。

 今は、どうすれば隙を最小限にして打ち込めるかを、考えさせていた。

 当然、こうして向かい合っていても、僕は気を放って、常に圧迫している。

 そのせいだろう、エリアはほとんど動いていないのに、汗にまみれて、ぽつぽつとこめかみから伝った汗が、顎で一度、雫になって、それから床に落ちている。

 僕はわずかに棒の位置を変える。

 ピクリと、エリアの棒の先が揺れる。

 すっと踏み込んだ。

 エリアは動かない。棒はお互いに届く。

 僕が一歩、二歩と下がると、エリアがやっと棒を下げた。肩で息をして、服の袖で額を拭い、一度、深呼吸をした。

「まぁ、上出来じゃないのかな」

 そう評価すると「まるで岩と向かい合っているみたい」とエリアが呟く。

「打てるはずなのに、打っても意味がないような気がしたわよ」

「それは、確かに僕は姉上の棒を払って逆に打ち据えただろうけど、そういう時に気というものが意味を持つんだよ」

「殺気、ということ?」

「うーん、殺す必要はない。ただ、威圧するというかね」

 わからないなぁ、とエリアがぼやくように言ってから、何度か棒を素振りして、構え直した。

「じゃあ、今度は技を教えて」

 切り替えが早いのは、いいことだ。水を飲む間も惜しい、って感じかな。

 それから僕は時間をかけて、桜花流にある技を教え始めた。

 エリアは僕がいない時に確認しているようで、練度が高いものと、わずかに勘違いしているものがある。毎日の午後の稽古では、その勘違いを訂正して、何度も正しい動きを確認する時間をちゃんと設けている。

 実際の剣術には正しいも間違いもないんだけれど、それはあくまでも結果論に過ぎない。

 剣術とは最小限の動きで最大限の効果を生む技術だから、勝敗とは関係ない。

 不完全な技で勝てることもあれば、万全の技でも逆に負けることもある。

 技を身につけるのは、ちょっとした保険のようなもので、だから、より技を正確に身につけたほうが、安全ではある。

 最後の結果云々ではなく、その結果を導き出す安全な道筋が、剣術の筋だ。

 桜花流の技の中でも花嵐という技と、天華という技を僕はエリアに指導していた。

 花嵐は連続攻撃の技で、これは剣を振りながら両脚を巧みに捌くことで、小さな腕の振りに体の動きを加えることで、振りかぶる動作を最小限にしながら、強い攻撃を間を置かず繋げることができる技だ。

 天華というのは三段突きで、これにも足の捌きが求められる。

 どちらの技も、まずは足から、と決めているので、僕は何度も繰り返してエリアの足の位置を指摘し、修正した。

 そのうちにエリアの足元がおぼつかなくなり、座り込んだところで、小休止だ。足に疲労が溜まるのは、僕もよくわかる。

「体力作りを続けるしかないね」

 僕はほとんど汗もかいていないので、それが恨めしいのか、僕が手渡した水の入った小瓶を受け取りながら、エリアが顔をしかめる。

「相手を一撃で倒せば、体力なんてそんなに必要ないでしょ」

「集団戦なら、半日くらいは戦い続けるだろうし、一人で複数を相手にすれば、体力が必要だよ」

「集団戦って、イーストエンド王国がどこかと戦争するなんてこと、ある?」

 ないだろうね、と僕は笑うしかない。

 イーストエンド王国が、国境を接するランドロイド王国と戦争状態になったのは、もう五十年以上は前のことだ。この五十年は対外戦争も、国内紛争も起きてはいない。

 剣術や魔術が必要とされない時代ということなんだけど、ただそれらが丸ごとなくなるほどには、まだ誰もが平和に浸りきってもいないわけだ。

「でもね、姉上」

 僕は真剣な顔を作って見せた。

「朱雀様が言うには、あの方は一人で十人を同時に相手にしたらしい」

「えぇー? それって、作り話じゃないの?」

 不遜と言ってもいいけど、僕も初めてその噂を聞いた時は、同じような気持ちだった。

「本当の朱雀様を見ればね、やりかねないな、と思うよ」

 そういう僕に疑問を見せつつ、私には剣聖の顔を見る機会はないもんね、とエリアは結論を先送りにした。

 休憩が終わり、また花嵐の足の使い方を徹底的に教え、その後に締めくくりとして乱取りになる。

 この時だけ、エリアは自由に僕に打ち掛かれる。

 エリアはどういうわけか、髪飾りが欲しいと言っていて、僕が一撃でも棒に打たれたら、僕が彼女に髪飾りを買う約束になっていた。

 ただ、今のところ、エリアが棒で打たれることはあっても、僕が打たれることはない。

 何度も打ち込みを避け、逆に打ち据えて、また避け、打ち込む。

 こんなことをしているから、伯爵にやりすぎるなと言われるんだろうな。

 ただ、これは僕が通ってきた道だし、間違った道とも思えない。

 肩を打ち据えられて、エリアの右膝が床につく。

 踏み込もうとする左足を僕が棒で払って、ついにエリアが倒れこんだ。

「これまで」

 そう言うと、エリアが仰向けになり、胸をふいごのように上下させる。

 僕がタオルと水の小瓶を手渡すと、彼女はほとんど顔にかけるように水を補給した。

 自分も昔、似たようなことをしていたから、微笑ましい。

「絶対に一ヶ月以内に、髪飾りを買わせる」

 射抜くような視線でそういう弟子に、僕は頷いて見せる。

 馬鹿にして。そんな風に言って、エリアが勢いよくタオルで顔を拭った。



(続く)

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