第9話 知らないこと

     ◆


 毎日、夕食の後は自由時間で、僕は剣の稽古をすることもあれば、伯爵と話をすることもある。

 伯爵の興味はもちろん僕の体ではなく、朱雀様の動向らしい。

「まぁ、文通くらいはしなさい」

 最初の頃にそう言われて、僕は朱雀様に何度か手紙を書いた。その返事が来ると、数日の間に伯爵が僕を呼ばれて、話をする。

 そんな話し合いの最初の頃、驚いたことがあった。

「この蝋は偽物だな」

 封筒ごと僕の手から手紙を手渡された伯爵が、朱雀の剣聖の紋章がある封蝋をじっと見て、そう言った場面だ。

 思わず僕が伯爵を見ると、平然と「中身を見られているね」と笑うじゃないか。

 朱雀様の私信に誰かが目を通す理由があるとすれば、僕がまだ王都の連中から警戒されている、ということなのかな。

 別に何かをしようという気もなく、今はただ剣と技を究めたいだけなんだけど。

「封蝋の件は剣聖殿に伝えないようにね、サク。どこかの誰かには、何もバレていないと思わせておくんだ」

 そんなことを嬉しそうに、伯爵は口にしていた。

 話をする書斎にはトワルさんはいないので、僕たちは忌憚のない意見交換ができた。

 国王陛下の浪費癖、そして女性を頻繁に後宮に入れることを嘆いたり、貴族と役人が結託して私腹を肥やすことを嘆いたりして、一方で、王国軍は一部の軍人の私兵に近い、という裏事情を確認したりもした。

「何人か、息のかかったものは中央にいるのだけどね」

 伯爵はそんなことを呟いて、葡萄酒の入ったグラスを揺らす。時によっては麦酒の時もあるけど、伯爵は実際にはあまり酒を口にはしないで、何かの演技のようにグラスを持っていることが多い。

 男色と同様、酒癖が悪いというのも演技かもしれない。

 そういう計らせないところのある人なのだ。

「地震があったけれど」

 その問いかけはさりげなかったので、僕も特に注意を払わなかった。

 例の、道場でエリアに剣聖剣技の一部を見せた時の地震だろう。

「きみが何かをしたのかい、サク」

 何かの冗談らしい。

「地震を起こすような技は、それこそ第一級の魔術師でもない限り、できないと思いますが」

「そうかい。朱雀の剣聖殿から何も聞いていないのかな」

 ここに至って、さすがに関心を持つ僕である。

「地震が起こる理由が何か、あるのですか?」

「きみは剣聖剣技を修めているんだろう?」

 質問に質問で返されても、どう答えたらいいか、僕としてはよくわからないんだけど……。

「朱雀様に、技を伝授されたのは事実です」

「朱雀といえば、火炎だよね。違うかい?」

「はい、そうです」

 剣聖は四人がいて、それぞれに極める属性がある。

 朱雀の剣聖は火炎、青龍の剣聖は水、白虎の剣聖は氷、黒玄の剣聖は雷だ。

 その中で朱雀と黒玄は技が近いし、青龍と白虎は相性がいいとか、そういう組み合わせがあったりする。

 ちなみに、どういうわけか、今はそれぞれの剣聖が別の種類の武器に精通するようになっている。朱雀の剣聖は剣である。

「剣聖剣技の本当の意味は教えてもらった?」

 本当の意味?

「神を鎮める、ということだけど」

 伯爵の言葉には、疑問符しか浮かばなかった。

 神なんてものは、とっくの昔に存在しなくなっていると思ったけど、違うのだろうか。

「そこまではまだ、教えてないんだね。いいだろう、サク、私の方でも剣聖殿と打ち合わせておこう」

「えっと、なんの話ですか?」

 何もわかっていない僕を前に、嬉しそうに伯爵が笑う。

「きみを引き取った理由の一つだよ。もちろん、他のことも重要だけどね。例えば、エリアを育てるとか。彼女の上達ぶりはどういう感じだい?」

 急に話題が変わって、どうやらそれはもう、先ほどの神がどうこうという話は終わり、ということらしかった。

 僕はここ一ヶ月と少しのエリアへの指導の結論を、手短に伝えた。

 もう僕がやたらめったに打ち据えられるほどの隙はなくなって、気もいいものを返すようになった。

 ただ、まだ落ち着きや冷静さはない。

 そこで隙が生まれ、結局は僕に打たれる。

「女の子なんだから、体を大事にしてやっておくれよ、サク」

「顔だけは狙っていません」

 そういうことじゃないんだけどね、と伯爵が苦笑した。僕も冗談で言ったので、笑いを返すことができた。

「しかし、姉上の上達は並ではありません。ああいうのを、砂地に水が染み込むように、というのでしょうね」

「それは彼女に最初に技を教えたものも言っていた。不思議な素質だよ」

 それは、五月雨流を教えた人だろうか。

 もしそうなら、悔しかったことだろう。自分の技の全てを教え切る前に、エリアを手放して、結果、エリアは不完全な技を身につけたんだから。

 剣術家は、全てを受け継ぐ弟子が現れることを願望するけど、それ以上に、自分を超える存在も欲しがる傾向にある。

 だからこそ、技を教え、術を教えるということになる。

 自分を倒すものを育てるのだから、矛盾している。

 でもそれは僕自身、朱雀様と接していて、言外に朱雀様が同じことを望んでいる気配を何度も感じた。

 剣聖になっても、強い相手を求めて、自らの手で育てさえする。

 そこに剣術の面白さと矛盾があるし、残酷さもあるんだろうな。

 伯爵がやっと一口、葡萄酒を口にして、僕に何か不足しているものがあるか、確認してくれた。今のところ、生活に必要なもので足りないものはない。

 伯爵は何度か頷いて、その時にはもう、顔が真っ赤になっていた。



(続く)

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