第6話 日常

     ◆


 毎日、午前中に書見の時間がある。

 と言っても、大きな書斎のような部屋で、それぞれに本を読んでいくだけなんだけど。

 シルバイグル伯爵が集めた書籍は膨大で、書斎は壁の三面が全て本棚で埋まっているような形で、その間に窓が切られている、というすごい空間だ。ほとんど図書館である。

 その部屋には机が三つ、用意され、それぞれに僕とエリア、そしてシュバルトさんが向かって、本を黙って読む。

 シュバルトさんとは屋敷に来た翌日に、自己紹介ができた。けど彼は、自分の名前以外は、何も言わなかった。僕が問いかけると、頷くか、首を横に振るだけだ。

 自分の名前をただ「シュバルト」と名乗っただけだけど、しゃべることはできる。

 頭を動かす様子からすれば、会話が絶対に嫌だ、人と接したくない、という感じじゃないんだけど、口を開く気はないらしい。

 初見の間は無言が決まりらしいので、書斎では僕もエリアも口をきかない。

 僕はイーストエンド王国の古代史に関する文献を読んでいた。

 大昔の神代の時代から始まり、祝福された種族が国を作り、それが割れて、イーストエンド王国が出来上がる。そんな内容だ。

 実はこの古代史の内容を同じように扱った書籍を、王都で読んだことがあった。ただ筆者が違うので、どういう違いがあるかが、気になったのだ。出版された年代もやや開きがある。

 読んでみると、内容に大差はないけど、魔術師に関する記述には差がある。

 僕が王都で読んだ本は比較的新しく、魔術師をいずれ消える、失われつつある神秘の使い手、と表現されていた。それは神代から続く異能力であり、現代では血が薄まり、いずれ素質を持つものは消える、というのだった。

 ただ、このシルバイグル伯爵の屋敷にある三十年以上前の書籍では、魔術師の存在は、神が認めた人間世界の守護者の象徴であり、その中でも剣聖こそがその守護者の代表である、となっている。

 これは面白い解釈だった。

 魔術師という職業は、僕が知る限りでは、ほとんどは研究者と同義だ。

 隣国に魔術師会議という魔術師の組合のようなものの本部があって、支部はイーストエンド王国にもある。

 そこでは魔術に関する情報がやり取りされ、研究や発展が試みられているらしい。

 ただ、実際の生活で魔術が幅を利かせる場面はすでに少ない。

 イーストエンド王国の王国軍には魔術師中隊があり、これがほぼ唯一の、戦闘を前提とした魔術の使い手の集団になる。

 民間の魔術師は、市井ではほとんどが家庭教師と同義になっていて、それも魔術を教えるというより、知識を共有するような感じに僕には見える。

 三十年で、だいぶ魔術に対する印象も変化したらしい。

 一時間が過ぎると、下女が二人、お茶を運んでくる。それで、時計のない書斎に時間が来たことを教えてくれる。

 この時には伯爵その人もやってきて、短い時間だけど、お茶を飲んでいく。

 話の内容は、その日に読んだ本の内容とその感想で、伯爵はどうやら僕たちが適当に本を眺めているポーズだけを取らないようにしているらしい。

 シュバルトさんはそんなことをしないだろうけど、エリアはやりそうだった。

 実際、エリアは本の内容を説明するように言われても、言葉がつかえることが多い。

 こういう得手不得手は、往々にしてあることだけど、ただ、伯爵は叱りつけることもなく、優しい眼差しをしている。

 ちなみに、その場にトワルさんがいると、伯爵は僕のすぐ横に椅子を引っ張ってきて、常に僕の体に触れている。慣れていかなくちゃいけないんだけど、まだ難しいかな。

 書見が終わると自由時間になる。

 僕は屋敷の外へ出て、木立の中に立って剣を構えていることが多かった。

 剣は王都で手に入れたもので、朱雀様なんかは「もっとマシな剣を使え」と言っていた。

 剣を構え、じっとまず目を閉じる。

 周囲の音がはっきり聞こえて、次にはその中でも些細な音が輪郭を持ち始める。

 自分の呼吸が曖昧になり、全身の動きがピタリと止まる。

 気というものを最初に教えてくれたのは、養父のイスタル師だった。

 その教え方も、真剣を抜いてこちらに突きつけ、本気の気をぶつけるというやり方だった。

 しかも五歳や六歳の子供にそれをやるのだから、とんでもない。

 最初は恐怖のあまり、失禁したり、昏倒したものだ。

 この気を叩きつける訓練と同時に、イスタル師は僕を木刀で打つこともした。

 木刀は手加減をされても、あざくらいはできる。全身があざだらけで、皮膚がまだらになっているのを自分で見て、自分自身を笑ったことさえあった。

 そんな具合で、僕は心と体を同時に鍛えられた。

 イスタル師の気に圧倒されることは無くなり、やがては拮抗した。

 懐かしい話である。

 ピンと張り詰めた心のまま、僕は今、一本の木と対峙している。

 これはだいぶ後になって、朱雀様から冗談のように聞いたことだけど、かつての剣聖には、触れずとも気だけで相手を切ったものがいるらしい。

 忘れられた技だな、と朱雀様は笑っていた。

 しかし、そう、あの古代史の本にあったように、昔には魔術があり、三十年も前なら、その片鱗が残っていたかもしれないのだ。

 例えば、気で物体を切る技が。

 瞬間、僕は剣の気を解き放った。

 どこかで鳥の群れが鳴いた。複雑に重なる羽ばたく音、梢が揺れる音がそれに重なる。

 僕は一度、開いた目を改めて閉じ、頭を振っていつの間にかびっしょりかいている汗を振り払った。

 目を開けると、目の前にはさっきと変わらない木の幹がある。

 剣を鞘に戻して、屋敷へ戻ろうとすると、昼食を知らせに来たんだろう、下男が唖然とした顔でこちらを見ている。

「お昼ご飯ですか?」

 声をかけても聞こえる場所まで進むと、下男が真っ青な顔をしているのがわかった。

 そんなに怯えなくてもいいのになぁ。

 下男はぎこちない様子で、僕の先に立って歩き始めた。



(続く)

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