第2話 追放

    ◆


 ミキニ・シルバイグル伯爵は自分でお茶を用意して、僕にカップを差し出してくる。

「何もないところだが、まぁ、退屈はすまい」

「よろしくお願い致します」

「かしこまることはない。形の上では、きみは私の養子なのだから。こういうとき、宦官という立場は役に立つものさ」

 先ほどのような粘っこい、まさに粘着質そのものな様子は少しも見せず、伯爵はお茶をすすっている。酒精もまた、演技のための演出だったらしい。今、手が届くところに酒の類はない。

「ガリバー、朱雀の剣聖殿は達者だったかな、サク」

「朱雀様は、ますます技のキレを増していると見えました」

 ガリバー、というのは、ガリバー・エリントンという男性で、イーストエンド王国における最高位の武人であり、四人の剣聖の中の一人だ。

 そして僕はその人の弟子の一人だった。

 あんなに強いのになぁ、と伯爵は苦笑いしている。

「きみの不遇に同情はしないけど、ただ、きみの経歴には同情するよ」

 そんなことを言われて、思わず首を傾げていた。

 こんな地方に放り出される不遇より、経歴の方が不憫だろうか。

 自分では、それほど自分の進んだ道が悲惨とも思えなかった。以前も、今もだ。

 苦労はしたけど、努力は報われたはずなんだけど。

 この目の前の小男の伯爵には、僕と違う感覚があるのかな。

「史上最年少で武挙に受かるなんて、まったく、やり過ぎってものさ」

 そう言ってニコニコしている伯爵は、ちゃんと僕の経歴を知っているらしい。それもそうか、養父になるんだし。

 イーストエンド王国における軍人への登竜門は武挙と呼ばれていて、これに受かると下級将校候補生として訓練を受け、それ以降もとんとん拍子で出世できる。

 それに僕は十三歳で合格してしまい、もちろん、軍としてもそんな少年を指揮官にはできない。

 僕の知らないところで議論があったようだけど、思わぬことに、当時、剣聖の座についたばかりだったガリバー・エリントンが僕を引き取った。

 こうして異例の上に異例が重なり、僕は十三歳の段階から、いくつかの関門はあったものの、剣聖候補生として、剣聖その人の薫陶を受ける機会に恵まれたのだった。

 もちろん、下級将校、ゆくゆくは上級将校やそれ以上の立場になる訓練をしながら、剣の技を磨いた。

 あっという間の五年が過ぎて、僕は十八歳になり、それはそのまま軍務につける年齢に達したことを意味して、僕は自分の小隊程度は持てるようになるはずだった。

 まさに、そのはずだった、というしかない。

 現実には、どういう圧力が加わったのか、シルバイグル伯爵家で起居するように、という指示が来たのだった。それも駐屯兵の指揮官になるとかではないし、そもそも駐屯兵にも加えられず、伯爵家に直接、従うようにということである。

 そんなデタラメな指令、他にはないだろう。

 僕は初めにそれを聞いた時、怒りのあまり、僕に口頭で伝えてきた王国軍の将校を気をぶつけることで、昏倒させていた。

 内実を教えてくれたのは、朱雀様だった。

 僕はどうやら、貴族、高級軍人、高等文官、財閥にさえも疎まれて、彼らはこの、剣だけが使える少年が、国の中心に座を占めることを良しとしなかったらしい。

 そこで誰が決めたか知らないが、僕は、地方に領地を持ち、元は宦官で、何の権威もない独り身の初老の男に、養子として引き取られた。抵抗したせいかどうかは知らないけど、仕官ですらない。

「僕はこれから、何をすればよろしいですか?」

 伯爵を見やると、うん、とその伯爵が気軽に頷く。

「剣を教えてやって欲しいかな」

「え? 誰にですか?」

 その質問に答えが来るより先に、扉が激しくノックされた。

「お父様! 新しい方はもう来ているんでしょ!」

 少女の声だ。養子の一人かな。

 伯爵が「入っておいで」と声をかけると、ドアが勢いよく開き、後手に叩きつけるように閉められた。

 小柄な女の子で、年齢は十四、五というところだろう。長い髪の毛をひとつに結んでいる。

 表情は凛々しくて、毅然としたものがある。

 目がギラギラと光っていて、口元には嬉しさが隠しきれていない。

「あなたが新しく来た方ね!」

 言いながらずかずかと少女が歩み寄ってくる。僕は反射的に立ち上がった。

 少女が目の前に来ると、身長差がよくわかった。彼女の頭の先は僕の肩にも届かない。

 こちらを強気な視線が見上げてくる。

「私はエリア・フォルタ。あなたの名前は?」

「サク・オリバンです」

「じゃあ、サク、あなたは今日から私の弟よ。この家ではそういう決まりなの。年齢じゃなくて、屋敷にやってきた順番で、先にいるのが兄か姉、後から来たのは弟か妹よ。私のことは、姉上とか、姉様とか、呼ぶように」

 思わず救いを求めるように、僕は伯爵の方を見ていた。

 彼は先ほどとはちょっと違う、柔らかい視線でこちらを見やっている。僕と視線がぶつかると、言う通りにしなさい、というような意思が垣間見えた。

 エリアは話を続けている。

「掃除も洗濯も下男と下女がやるから、気を使う必要はないわ。でも彼らは奴隷じゃないから、虐げないように。家族だと思って接してね。トワルは放っておくように。彼はスパイみたいなものだから。この屋敷にはお父様の子供として、私ともう一人がいるわ。食事の時間は朝は七時半、昼は十二時、夕方は十八時よ。調理場に行けば何か食べれるけど、食事を残すのは絶対にダメ。他の予定は午前中に一時間は必ず書見をするのと、午後に武術の訓練をする。最低でも一時間ね。お父様、剣術の先生はいつ来るの?」

 一息にしゃべったエリアの視線を受け、伯爵は苦笑いしながら、こちらを指差す。

「きみが弟にした彼が、先生だよ、エリア」

 ぽかんとしてから少女がこちらの顔を見上げる。僕はやはり笑うしかない。

「こんな弱そうな人が?」

 ……遠慮のない女の子だなぁ。



(続く)

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