真紅の後継者はこうして生まれた
和泉茉樹
第1話 新天地
◆
南のはずれといってもいい新天地、その玄関である街クラスナンで乗合馬車を降りた僕は、このど田舎の空気にいやに実感したのだった。
本当に王都を追い出されたんだなぁ。
いや、そんな簡単に済ます問題でもないけど、今はやりようもない。
馬車の屋根に置かれていたトランクを御者から受け取り、さて、迎えが来ているはずだけれど。
乗合馬車が停まったたまりから待ち合わせをしている食堂の前に行くと、見るからにそれとわかる人物が立っていた、服装はそれほど目立たないけど、背筋がビシッ! とまっすぐなのと、知的な風貌の主張がすごい。
近づくと、その初老の男性が微笑んだ。
「サク・オリバン殿ですね。私は、シルバイグル伯爵にお仕えする、トワルというものでございます」
「僕がサクです、トワルさん。迎えに来ていただいて、ありがとうございます」
「迎えといっても、馬を一頭、引いてきただけでございます」
引いてきた?
不思議に思っていると、食堂の脇に繋がれていた馬が二頭、引き出されてくる。両方に鞍が載っている。
なるほど、馬車なんてない、ということか。
この国、イーストエンド王国では貴族と呼ばれる血筋はごく少数で、ちゃんと定員がある。それも小さすぎる定員だ。
だから伯爵などといっても、貧乏貴族でもおかしくはない。
「では、参りましょう」
いきなりトワルさんが一頭に飛び乗ったのには、さすがに驚いた。年齢の割に身軽だし、危ないところはどこにもない。
僕は一度、自分が乗ることになる馬の首筋を撫でてみた。大人しい。これで馬の気性のおおよそを知ることはできる。
トランクを鞍の後ろにつけ、そっとまたがったのだけど、反射的に軍馬に乗っていたくせで腿で締め付けていた。
またも驚いたのは、自然と馬が歩き出したことだ。軍馬としての調教も受けているのかな。
先導するかたちでトワルさんが馬を並み足で進ませる。
大通りを行くのだけど、方々から視線が向けられた。それも好奇の視線より、哀れむような色の濃い視線が大半だ。
あまり考えないことにして、まっすぐに前を見た。
クラスナンの街を抜けると、途端に周囲には田畑が広がり、しかしそれは森林とのグラデーションを作っている。開墾して田畑にしたのだと誰が見てもわかるが、まだ森林も十分にある。
道は曲がりくねって進み、やがて森の中へ進んでいく。道はほとんど斜面を迂回するように、右へ行ったり左へ行ったりとなった。
途中で巨大な石の門柱があった。ただ、シルバイグル伯爵の屋敷はまだ見えない。
道はいい加減、まっすぐではない。
ただ、僕は何か、落ち着かないものを感じた。
圧力というか、圧迫感がどこからともなく押し寄せてくる。周囲をそれとなく見回すけど、森閑としていて、動物も小動物の気配しかない。
動物の発する気、というには、ちょっと強すぎるか。
今は放っておくことにして、ついに前方に屋敷が見えてきた。周囲をぐるりと鉄柵に囲まれている。屋敷同様、古びていて、柵はほとんどが赤錆にまみれていた。
「こちらでございます」
道中、一言も口をきかなかったトワルさんに促され、彼が下馬したので僕も倣って、轡をとって屋敷の横手へ進む。下男らしい男性が二人、どういう意図があるのかわからない、敷地内に立つ巨大な木の枝葉を整えているのが見えた。
その二人はトワルさんに頷いて見せる。トワルさんも頷いたようだ。
厩舎があり、そこに二頭の馬を入れる。他にも数頭の馬がいて、その中に一頭の白馬がいる。印象に残る、綺麗な馬だった。
「中へどうぞ、旦那様がお待ちでしょう」
馬をよく見たかったけど、トワルさんにそう促され、僕も彼に続いて厩舎を出た。
屋敷の正面に戻り、玄関から中に入るけど、使用人の姿はない。
玄関を入ったところの大きなホールは、綺麗に片付いているけど、どこかひんやりとした沈黙が満ちている。
そのまま奥へ進み、上の階へ向かう。
階段も廊下も、やっぱり綺麗だ。そこはさすがに伯爵ということか。
一つの扉の前で、トワルさんが立ち止まった。彼が扉をノックし、「サク・オリバン殿を連れて参りました」と声をかけた。
そのまま、中に入るのかと思うと、足音の後、ドアがいきなり内側から開いた。
頭ははげ上がり、小太りで、頬を上気させた男が出てきて、ニヤニヤと笑ったかと思うと歩み寄ってくる。
明らかに酒精を漂わせていて、飲酒の最中だったらしい。
まだ昼間なんだけど。
まじまじと僕が見据える先の男の、パンパンに膨らんだ手が、僕の手を握り、揉み始める。
「君がサクだね。こんなところまでよく来たものだ。いい手をしている、柔らかさと固さがちょうどいい。ずっと握っていたい」
言葉の通り、男性は僕の手をしきりに握るというか、まさに揉んでいる。
「まぁ、ゆっくりとしゃべろう。ほら、中へ、ほらほら」
手を引かれて中に入り、そのままトワルさんもついてくる。
部屋の中は結構、年季の入った古びた家具が多く、僕と男性は並んでソファに腰掛け、何が起こるのかと思ったら、男性が僕の手を解放し、自然と僕の太腿を触り始めた。
正直、気持ち悪いどころではない。
ただ、実は事前に聞いていたので、我慢は出来る。
ちょっと過剰な様子で、男性が僕の首筋に鼻を近づけた時は、ゾッとしたけど。
「トワル、何かあったら呼ぶから」
男性の言葉にトワルさんが部屋を出て行った。
男性が嬉しそうな笑みを見せ、すっと顔を僕の首筋から離し、僕の太腿からも手をどけた。
「嫌だったかな、サク」
さっきとはまるで違う口調、違う視線の男性に、僕はソファから立ち上がり、頭を下げた。
「これからお世話になります、シルバイグル伯爵様」
うん、と男性が頷き、話をしよう、と身振りで自分の隣ではなく、一人掛けの椅子を示した。
(続く)
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