第5話 読み合い

「響野さん……ちょっと――」


 そう呼ばれて視線を相楽から上げた宝は、担任教師の小朽を見る。

 彼女は見て分かるほどに汗をかいており、

 ぷつぷつと水滴がおでこから始まり、顔全体に広がっている。


 服の上からでは分からないが、きっと服の下も同じことになっているのだろう。

 うわあ、嫌だ嫌だ――と、他人事のように、まあ実際、他人事なのだが――、

 そう思いながら、「はい」と返事をしてから、宝は立ち上がる。


 本当ならば、相楽から視線をはずすことは、一瞬でもしたくはないのだが――、

 と言ってしまうと、瞬きですらできない極限の制限をしなくてはいけなくなり、

 だから一瞬などと言うことはしないが……、

 一瞬に限りなく近い時間、目を離したくないのは本音で、本当だった。


 目を少し離した隙に、相楽が、もしかしたらなにか、しでかすかもしれないのだから。


 だが、まあ――と、視線を部屋の扉に向ける。

 廊下側から入るような部屋ではない、この部屋のシステムを考えれば、

 扉の鍵は閉まっているはずである。

 となれば、相楽が起きて勝手に外に出ることも、外部からの干渉があることもないだろう。


 大丈夫。


 そう結論を出して、宝は小朽のあとをついていく。


 彼女は言った。


「……いま、救急車を呼んだのですが……、救急隊員の方から、

 倒れていた時の詳しい情報を教えてほしいと言われて――、

 こういうのは第一発見者である、響野さんがいいと思いまして……」


 小朽は言いにくそうに、申し訳なさそうに、自信なさげに、声小さく言う。

 友人が死んだ――、決まったわけではないが、ほぼ死んだと思っている教師としては、

 友人の死を目の当たりにしている、いちばんの親友である宝に、

 発見した時のことを聞くというのは、あまりしたくないらしい。

 そういう気遣いをされてもらったこっち側が、なんだか申し訳なくなってしまうほどに、

 宝は落ち着いていた。


 精神的に、安定。

 取り乱すことはない。


 動揺はなく――、ただ、友人が死んで動揺していないのを、教師に知られて、

 そんな自分の異常性をアピールする気はないし、

 それに、変な誤解をされたくないので宝も声小さく、


「わかり、ました……」


 と、青白くさせた表情を作り、電話を受け取った。


 電話の先からは、男の人の声が聞こえてくる。

 ああ、長くなりそうだなと思いながら、友人が死んで、

 心のダメージを負っている生徒を演じながら、電話の声に答えていく。


 そして。


 数十分、続いた電話も終わり、受話器を小朽に渡して部屋に戻った宝は――、


「…………」


 少しだけ、目を見開いた。


 だが、反応のわりにはしかし、あまり驚いてはいない。

 意外ではなかったし、もしも自分が相楽だとすれば、

 動くとしたら、宝が席をはずした、いましかないと思っていたからこそ――、


 ベッドの上から相楽がいなくなって、扉が開いているこの状態に、驚くことはなかった。


 にやりと、唇を歪ませて。


 宝は扉を閉めた――、ついでに鍵も閉めた。


 そして、普段ならば絶対に出さない、出す機会などない、

 というか、ない方がいいだろう、女の子らしく、高い声を全力で出した。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 その声は、職員室だけでなく、廊下にも響き。


 遠方にいた生徒たちにも伝わっていた。



 職員室だけを蹂躙じゅうりんしていた混乱は、


 次は校舎の中、全域に拡大した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る