第3話 修正不可能?

(……ヤベー)


 声には出さずに、そう心の中でわりと本気で焦りながら言ったのは、月森相楽だった。

 彼女はいつも通りに、例の通りに響野宝を脅かそうと、

 つまりは動揺させようと策を練って、今日、下級生が階下に溜まっていることを操作し、

 となればそれを見た宝が、『じゃあ他の道を通ろう』と思い、

 ここにやってくることを予測して――この脅かし決行した。


 予定通りに宝がここにきて、自分を見つけてくれるところまでは現段階では成功している。

 そして、加えて言えば、最大目的である動揺させるところまでも達成していて、

 これ以上することはなにもないのだが……、


 だが、ここで『本当は死んでませんーっ! 騙されてやんのー!』と、

 ネタ晴らしをできるような雰囲気ではなかった。

 宝は涙を流して、本気で自分の死を悲しんでくれている。

 ここでネタ晴らしをすれば、恥ずかしくなるのは宝である。


 もしかしたら、いままでにないような違った宝を見れるかもしれない――、

 そういう面も見たいな、とちらりと思ったが、

 しかし宝との今後の関係を考えれば、とてもネタ晴らしなどできない。


 というか、宝は本気で相楽が死んだと思っているらしい。


(えぇー……、なんで……、

 なんでこんなにも嘘だと分かるようなことに引っかかるの、この子はっ!?)


 純粋? だったっけ? と、心の中の相楽は首を傾げながら、

 いままでの宝を見返してみるが、とても純粋と言えるような一面は見られなかった。

 ならば、今回のこれが初ということになるのだが、

 まさか、この場面で出るとは思わなかった。


 予想外の事態は相楽の方が動揺してしまう。

 そしてこの、どうすればいいのか、どうすれば正しいのか分からない事態、これはまずい。


「う、っう、心臓が、止まって、う――」


(嘘でしょう!? 心臓なんて止まってないよ!? しっかり見て、触ってっ!)


 相楽は必死に声をかける――ことはできないので、念を送るように必死に叫ぶ。

 心臓は左胸にあり、『しっかり触って』というのは、

 そこから先の承諾後の行動としては、『胸を触られる』ということである。


 もしも念が通じて宝がしっかりと胸を触ってきた場合、

 相楽は触られた胸の感触に、揉まれた感触に、声を押し殺すことができないだろう。


 だから、『通じるな』という願いと、

『通じてから触られて、揉まれて、そのまま仕方なく声を出してしまえばいい!』

 という願いが平行に存在していた。


 交差することも螺旋することもない、二つの選択肢は、

 結局のところ結果として、『通じるな』の方が勝利をもぎ取った。


 嬉しいような悲しいような、分からない感情がふわふわしている心の中で、

 あらためて意識を外に向けた相楽は、重要なことに気づいた――、


 それは、そう、宝の手が触れている胸……、

 心臓が動いているかどうか確かめている手は、相楽から見て右にあった。


 右――。

 心臓は、左。


 心音など、聞こえるはずもない。


(そりゃないよ! あるはずないよっ、聞こえないはずだよ天然が入ってるの!?)


 思わず飛び起きそうになった相楽は、しかし、寸前で止まった。

 今日だけは非常に遅い自分の脊髄反射を褒めた。


 だが、反応して止められるほど遅い脊髄反射は、

 反射として機能していないのではないかと思ってしまうが、それはともかく。


(いつ、起きればいいんだろう? いや、ここまできたら、意地でも起きない!)


 正確には、宝の前では起きないということであって、

 宝が少しでも席をはずした隙に、相楽は起きる予定である。


 そして、姿を消して後日、ネタ晴らしをする方向で――、と、

 予定を組んで、いまは体を脱力させる。

 力が入っていると怪しまれる。いまは、自然体が重要だ。


(動くな。私は空気、酸素、存在しているのは当たり前だが、視認されないもの)


 呪文のような文を脳内でリピートさせながら、宝が去るのを待つ――。


 放課後、帰宅時間。


 響野宝のことだ、自分の死体など、先生に預けてさっさと帰るだろう。


 そうだろうと、思っていた。


 しかし、響野宝は予想外にも、お姫様抱っこで相楽を持ち上げて、


「大丈夫! まだ死んでない! 希望はある! 救急車! 救急車――――ッ!」


(えええええええええええええええええええええええええええええええええ!?)


 原始的な呼び方で救急車を呼びながら――というか叫びながら、

 そのまま校舎を駆けて、響野宝は職員室へ向かっていった。

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