第2話 悪戯騒乱

 響野宝は、帰りのホームルームが終わった後、すぐに席を立った。

 別に急ぐ理由と言うのは、これと言ってないのだが、

 教室にいるだけで他の女子に声をかけられそうで嫌だったのだ。


 会話が嫌なわけではないが、かと言って、好きでもない。

 クラス内で嫌われていない位置にいる彼女に声をかけるクラスメイトは、わりといる。

 だから避けるように教室を出たのだった。


 掃除当番ではない、それは確認した。

 もしも掃除当番だったらそれはそれでもちろん、当然のようにやってから帰るが。

 ともかく学校にもう用がないので、すぐに家に帰ろうと思った。

 家に帰ればやることがたくさんある。

 大抵はテレビを見るという、怠惰な生活というラインの上を走るようなことであるのだが。


 教室からいちばん近い階段を降りようと思った。

 しかし、そこには顔が青ざめてしまうほどの人混みがあった。

 何事かと思ってちらりと階段の隙間から階下を見てみると、

 どうやら他の学年の生徒が帰らずに溜まっているらしい。


 下級生である。

 さすがにクラス内で良い位置にいるとは言っても、

 下級生にまでは手を伸ばしていない宝である。

 だから仕方なく、玄関までは遠回りになってしまうが、他の階段を使おうと帰り道を変える。


 せっかくなのであまり人が通らない道を通ってみる。本当に、宝しか生徒がいない。


 のんびりと帰る時は、人がまったくいないこの道を通って帰ろうかな、と、

 今後の予定にそう食い込ませたところで、宝が見つける。


 見つける。

 

 親友、月森相楽が――、


 道の真ん中で、仰向けで倒れているところを。


「…………」


 宝はなにも言わずに、そこを素通りしようとした。

 どうせいつもの悪ふざけだ。ここでスルーしようとすれば、


「――ちょ、ちょっと待ってよ!」

 と、叫びながらすがりついてくるはずである。


 馬鹿馬鹿しい、と心の中で吐き捨ててから、実際に素通りした――、

 したのだが、彼女はぴたりと止まり、数歩、下がってから、

 屈んで相楽の頭を、こつん、と拳で優しく突いて、


「おい」


 と声をかけた。


「…………」


 予想外に、返ってくる言葉はなく、ただの屍のように――沈黙だった。


「ちょっと、相楽ー? 

 こんなところで寝てないで、さっさと起きなさいって……ば――」


 いつものクラスメイトと話す時と同じノリで、

 同じ笑い方で語りかけていた宝の言葉が詰まり、笑顔が消えた。


 遠くから見ただけでは分からなかったこと、近くにきたからこそ分かったのが、匂い……、

 そして、足裏を染める、その赤。


 赤い血。

 鉄臭い血。


 死んだように眠っている相楽を見て、響野宝は、動揺した。



 動揺した、というのが宝にとっては動揺しないでいられたきっかけになった。


 相楽は宝を動揺させるために、様々なあの手この手を使ってくる――、

 だから何十と、何百とやられている宝としては、飽きもくるし慣れもする。


 今回のこれも、どうせ自分を動揺させるためのものなのだろう、

 そう思って取り乱すことはなかったが。


 しかし、それにしたって、リアル過ぎないか?


 血が、出ている。

 赤く、輝いている。


 相楽の体をふるふると前後に揺すっても、彼女はまったく起きない。


 死んだようにまぶたをおろしたまま、動きはなく。

 心臓に手を当てても、彼女の、相楽の心臓は、動いていなかった。


 体は徐々に徐々に、冷たく、冷えて、

 まさか、このまま凍ってしまうのかと思ってしまうほどに、

 冷たく、体温が消失していく。


 嘘じゃ、ない?

 いつもの、例によっての、脅かしじゃ、ない?


「あ、う、……あ――」


 宝の瞳から大きなしずくがこぼれてくる。

 ぽたぽたと、しずくは相楽の頬に落ち、そのまま流れて、顎にまで辿り着く。

 相楽までもが、泣いているように見える。


 そんなはずはないのに。

 相楽が泣くなんて、ないはずなのに――。


 もう彼女は、起き上がることがないのだから。

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