死んだふりに気づかない親友が心配して救急車を呼んでしまった話と死んだふりを知っていながら救急車を呼んでいつ自分から起きてくるのか試している女子高生の話。

渡貫とゐち

第1話 宝と相楽

 響野きょうのたからは動揺しない。


 たとえば授業中――、体育でやっている野球のファールボールが偶然にも、

 まるで意思を持って動いているかのように奇妙な動きでネットを越えて、

 かくんと斜め下方向にベクトルを変え、教室の窓ガラスを割り、

 破片を辺りに散乱させ、それによって教室内に少年少女の悲鳴が響き渡ったところで、

 ――しかし、響野宝は動揺しない。


 たとえば休みの日――、家でのんびりと本を読んでいた途中に、

 母親のミスなのか妹のミスなのかは分からないが、火の消し忘れで家が火事になり、

 消防車がきて火を消し、救助しに部屋に入ってきたとしても、

 そして後々に分かったことだが、自分が逃げ遅れていた、

 そもそもで火事が起こっていたことを知らなかった、と知っても、

 ――しかし、響野宝は動揺しない。


 別に感情がないわけではない。

 喜びはするし怒りもする、哀しむこともあるし楽しむこともある――、

 喜怒哀楽は皆と変わらず標準装備されており、

 誰かと比べなくとも、喜怒哀楽の基本的出力は抜け目なく発揮されている。


 感情はある――ただ、動揺しないだけなのだ。


 現実ではありえないような、自分の許容範囲を越える事態を目の当たりにしても、

 混乱しない、錯乱しない、平常通りに人格を保てるというのは確かに、

 動揺しないという点においてはメリットとして挙げることができるのだが――、


 しかし、動揺しないということは、危険察知能力が周りよりも欠けている、

 ということを意味している。

 さっきの火事の例を使えば、動揺しない……しなさ過ぎていると、

 まずそもそもの、混乱してしまい錯乱してしまうような、

 そういう危険をまともに見れておらず、察知すら――、

 五感以外のもので、察知すらできない……、身の危険をスルーしてしまうのは、

 メリットして挙げるのは、どう足掻いても無理だろう。


 デメリットだ。

 生命として、致命的である。


 そんな響野宝ではあるが、ただひとり、本人の情報であるが、親友と言える人物がいる。

 その人物に限っては、響野宝という、金髪ツインテールの少女は、動揺を示す。


 どうして唯一、動揺を示すのが親友である少女……、彼女なのかは分からない。

 勝手な推測で言えば、紹介を引用して、

 つまりは親友なのだから、動揺を示す――。


 心の奥深くまで見せびらかすことができる間柄なのだから、と言えば簡単なのだが、

 だけどクラスメイト、付け加えてクラスメイト以外の学校関係の誰が見ても、

 彼女と宝の関係を親友と言うのは、なんだか違うな、という感想になってしまう。


 だが本人がそう言っているのだからそうなのではないか。

 結局は精神的な問題で、宝自身が親友だと言っているのならば、

 やはりそうなのだろうが……周りの友人たちも認めてはいるが納得はしていなかった。


 その評価は理不尽とも言える。

 とは言え――、まあ分かる人には分かるのではないか。


 彼女たちの日常を見ていれば――、


 あれが、


 あの毎日が、


 親友と言えるような関係であるかどうか悩むのは、分かるのではないだろうか。


 単純なことで、


 彼女たちのやり取りには、一切の加減や容赦がなく、

 授業中にボールが教室に窓を割って入ってくることや、

 家が火事になって救助隊が部屋に無断で入ってくることが、

 まったく動揺しないくらいに小さく見えてしまうほど、彼女たちの――、

 いや、宝の親友である彼女の仕掛けるものは、全て、許容の枠を越えてしまっている。


 だから。


 響野宝は動揺する。


 親友、桃色ショートヘアの少女、月森つきもり相楽さがらによって。

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