第4話 呪い

 再びカレク湿原に足を踏み入れると、肌にまとわりつくような湿気を感じるものの、辺りは穏やかで、とても呪いなどというおどろおどろしいものとは縁遠いように思えた。



「カレク湿原に来てみたものの……。

本当にここでいいんだろうか。

呪いの効果が出るのが何代も後らしいから、未来ではないんだろうけど

正確な時代もわからないし……。

まあ、探してみるしかないか」



暫く宛てもなく探し歩いていると、藪の辺りに屈みこむ男をみつけた。


「ん、あれは……? 」


思いつめたような表情の男だった。

まだ若いのかもしれないが酷くやつれている。

衣服はぼろぼろでなりふり構っていられない気迫を周囲に振りまいていた。



「なあ、あんた……」


声を掛けると男が振り向いた。

そこでやっと気づいたが前回赤い花の植物について教えてくれた、ぼんやりした男だった。


「なんなんだ?

悪いが、邪魔をしないでほしい」



男はアルドをわずらわしそうに一瞥すると再び作業に戻った。

少しむっとしたが引き下がるわけにもいかない。



「前の植物の時はありがとうな。

本当に助かったよ。

また、ちょっと聞きたいことがあるんだ。

呪いについて心当たりがないか?  」


尋ねると男は手を止め、緩慢な動作で立ち上がるとアルドの方を向き直った。



「なぜそのことを? 」



この男が未来の少女を苦しめることに繋がる呪いを掛けた張本人なのかもしれない。

そう思うと以前の恩があるだけに心苦しいが、もし本当にそうなら彼を止めなくてはならない。

アルドが警戒を強めると幽かにオーガベインが反応したようだった。



「あんたに何の事情があって、誰を呪おうとしているのかは知らないが、

そのことで苦しむ人がいるんだ。

見過ごしてはおけない」


真剣に諭したつもりだったが男は心底鬱陶しそうに顔を歪める。


「何を言われても

誰にも邪魔はさせない」


男がそう言って手を上げると草むらからサファギンが飛び出してきた。

咄嗟にオーガベインを抜き、攻撃を制す。

その反動を利用して距離をとり、体勢を立て直した。

図らずもながらく旅を続けてきたアルドにとって難しい相手ではない。

次の一閃で魔物は露と消えた。



「どうしてこんな、見ず知らずの人間に魔物をけしかけてまで誰かを呪わないといけないんだ

ここまでしないといけないのか? 

誰かを呪うことがあんたにとってそんなに大事なことなのか? 」



胸の内にあるのは怒りではなく、むなしさと憐憫の情だった。

何者かに呪いを掛けることがその者にとって重要だというのはとても悲しい事のように思われた。



「くっ……。

あんただって見ればわかるさ

ついて来い 」


男は苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てるように言うと、アルドに背を向け歩き始めた。

骨っぽく陰気臭い、疲れた背中だった。



 木々を分け入って獣道のような狭い道を歩いていった先に開けた場所があり、そこに一戸の家と小さな庭や畑があった。

決して豪華なたたずまいとは言えないが、穏やかで温かみのある、かわいらしい住処だった。

庭には木でつくられた小さなブランコがあり、幼い子どもの存在と幸せな家庭が目に見えるようだった。


これも手作りらしい、少しいびつな木製のドアを開くと部屋の中は薄暗く肌寒かった。



「……」



か細い声が聞こえたが、何を言っているかまでは聞き取れなかった。

男がついに立ち止まると、アルドを振り返り、見ろと言うように顎をしゃくった。

男の隣に立つと、目に入ったのは病床に就いた女性の姿だった。


「この人は……? 」


アルドが尋ねると、男は女性から目をそらさずに言った。


「妻だ」



想定した通りのこたえだったが胸に冷たく重く沈むのを感じる。



「病気……なのか」


愚かな質問だとはわかっていた。

聞くまでもなく、男の妻は見るからに重い病気で、目を離したすきにでも亡くなってしまいそうだった。

今日明日、目覚めなくてもなんら不思議ではない、それほどひどい様子だ。



「そうだ。

俺が呪いを掛けようとしていたのは彼女だ」


その言葉には目を剥いた。

わけがわからなかった。

なぜ自分の妻に呪いを掛けるのか、呪いを掛けるにしても、そもそも彼女は呪いなど掛ける必要もないほどに衰弱している。

彼女を始末しようと思えば呪いどころか手すら掛ける必要もないだろう。

おそらく数日待つだけで済む。



「なんでそんなことを? 」



問いかけると、男は小馬鹿にしたように顔を歪めた。



「知らないのか?

あの呪い……。

いや、魔法は掛けられた者の苦しみや病を取り除けるんだ」



アルドには彼が何を言っているのかよくわからなかった。

彼は妻を病から救うつもりで呪いを使ったというのだ。

結果的に妻がどうなったかについては定かではないものの、未来の少女が人魚になるのは確かだった。



「そうか……。

なんでわざわざ当事者じゃなくて数代先の人を苦しめる呪いなんだろうって不思議に思ってたけど、

今目の前の人を救う代償に後の誰かを犠牲にするっていう呪いだったのか……」


ようやく理解した呪いの真実にアルドは頭を抱えた。

自分ならどうするだろうか。

眼前に苦しむ人が確かにいて、その人を助ける方法が未来の人間に擦り付けるしかない。

それなら未来では何とかできるようになっているかもしれないという

期待をもって一縷の望みに賭けるのも全く理解できない話ではなかった。

彼も誰かを呪いたくて呪ったわけではない、他にどうしようもなかったのだ。

それが痛いほどにわかってしまった。



「数代先の人間が苦しむ……? 」


男が訝しげに尋ねる。

彼も呪いの全容については理解していないのだ。


「ああ、最初に会ったときに言った苦しむ人がいるっていうことなんだけど……」


言うと、男は何やら考え込んでいるようだった。


「何か呪いの引き換えになるという話はこの魔法について書かれた紙片に描かれていたが、それが何かはわからなかった。

そういう、ことなのか……? 」


ラチェットとのやりとりをを思い出す。

彼女の情報にも呪いを掛けられた張本人が救われる事については触れられていなかった。

どこかで呪いに関する情報が分かたれたのか、実際には救われないのかは今の時点では判然としない。

未来に影響があることは目の当たりにしたため確かだった。

果たして、目の前の女性に呪法を用いて本当に病が癒されるのだろうか。

アルドは手がじっとりと汗ばむのを感じた。



「信じられないかもしれないけど、確かに苦しむ人がいるんだ。

オレたちがカレク湿原に行ってあんたが呪いを使うのを止めようとしたのはそれがきっかけなんだ」


アルドがそう言うと、男は黙りこくり、考え込んでしまった。


「……」



彼がアルドの言葉を信じきれていないのは伝わってくる。

そもそも、最早何も信じられなくなってしまっているのかもしれない。



「そうだな……。

信じなくてもいいよ。

ただあんたが呪いを使うことによって苦しむ人もいるってこと、

そして苦むことになるのはあんた達の子孫にあたる子だっていうことはわかっていてほしい」



アルドは目を閉じ説き伏せるようにいった。



「……。

しかし……。

だからといって俺が止まれば妻は……」


男は項垂れた。

力なく握られた拳は真っ白だった。



「……オレたちには既に掛けられた呪いを解くことは難しいけど……。

病気なら、なんとかできるかもしれない。

リィカ、頼んだ」


リィカに声をかけると、すぐに返事がかえってきた。


「そうくるとオモイマシテ

サーチ済デスノデ

ルート99に薬がノコッテイルトオモワレマス」


振り返りリィカの方をみると、リィカは任せてくれとばかりに胸を叩いた。


「よし、急ごう。

オレたちを信じて待っていてくれるか」


アルドは男の背中に声を掛けると、返事も待たずに家を飛び出した。



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