第8話 サーカスの飴

「楽しめたかな?」

 少しして、昨日のようにクラウンがまた僕たちに声をかけに来た。

「はい……」

 楽しい余韻が、まだ消えないで僕の中に残っている。

「ふふ……君に君……2人はとても感動してくれたようだね。でも君は……」

 クラウンの視線が彰くんに向く。

「そろそろ、終わりかもしれないね。君にチケットはあげられない」

「どうしてですか」

 彰くんは驚く様子も怒る気配もなく、ただ聞き返していた。

「このサーカスを見ても、なにも思わなくなっているからだよ。もう少し日を置いて、またもし君にサーカスを楽しめる心が生まれたら、そのとき改めて招待しよう」

 サーカスと、彰くんがぼんやりし出したことに関係があるのなら、彰くんにはこれ以上サーカスに行って欲しくない。

 彰くんにはチケットをあげられないと聞き、僕は少しほっとしていた。

 クラウンは真琴と僕に向き直ると、スティックを振り回す。

 また昨日のように、ひらひらと紙きれが一枚落ちてきた。


 気づくと、僕たちは通学路に立っていた。

 夕日はもう沈みかけている。

「金色のチケットだ」

「ああ、俺のも……」

 いざ僕と真琴だけチケットをもらうと、なんだか彰くんに申し訳ない気持ちになる。

 だけど彰くんは落ち込む様子もなく、あいかわらずぼんやりしたままだった。

 そしてまた昨日感じた違和感を覚える。

 楽しかった余韻がついさっきまであったはずなのに、いまは消えてなくなっている。

 それよりも、扉に入ったことがばれていないか、そのことが気がかりだった。

「……この飴どうしよう」

 僕はポケットに入れておいた飴を取り出す。

 そもそも本当に飴かどうかもわからないけど。

「ちょうど3つあるな」

 そう言ったのは、彰くん。

 ぼんやりしているとはいえ、あれだけサーカスに通っていたわけだし、この飴については気になるようだ。

「彰くんは、チケットをあのオブジェに入れた後、こういう色の飴になったことはある?」

「あるよ。最初のうちはとくにね。でもだいたいいつも赤色だったりオレンジ色だったり……。徐々に薄い色になっていったような気はしたけれど」

 やっぱり青色の飴が、少し珍しいことには違いないようだ。

 僕は彰くんと真琴に、1つずつ飴を手渡す。

「ちょっとだけ舐めてみる?」

 僕の提案に、彰くんは迷うことなくうなずいてくれた。

「舐めてみよう」

「……いつもの兄さんなら、ダメだって注意しそうなのに」

 ぼんやりしていて、怒ったり注意する気にもなれないのだろうか。

 まるでなにも考えていないみたい。

 少し不安になるけれど、この飴がサーカスの秘密を解くヒントになるに違いない。

 よく見ると、飴は透明のフィルムみたいなもので覆われていた。フィルムを剥がした後、つまんだ飴にペロリと舌を這わせてみる。

 彰くんは、口の中に丸ごと飴を入れていた。

 それを見て、真琴も口の中に全部入れてしまう。

「真琴も彰くんも、変だと思ったらすぐに吐き出しなよ」

 僕は警戒したままもう一度、飴を舐めてみる。

 少し酸っぱいような気もしたけれど、とくに変な味ではない。

 おいしくもまずくもない、そんな感じだ。

 ただ、食べていいものなのかわからないせいか、妙にそわそわしてしまう。

 ひとまず毒ではなさそうだけれど。

 手がべたついてきてしまったため、僕も口に飴を含んだ。

 開けてはいけない扉を開けて、勝手に取ってきた飴――

「……僕たち、大丈夫だよね?」

 思わず2人に問いかける。

「わからない。わからないけど……なんだか急に不安になってきたな」

 真琴も僕と同じ気持ちでいるようだ。

 彰くんはどうだろう?

 やっぱりぼんやりしているのだろうか。

 そう思って目を向けると、いまにも泣きそうな表情をしていた。

「……彰くん?」

「はぁ……なんか、変だな……。すごく不安で……怖い……」

 僕と真琴は顔を見合わせ、彰くんに詰め寄る。

 こんな自信のない彰くんを見たのは初めてだ。

 ついさっきまでぼんやりしていただけだったのに。

「こ、怖いってどういうこと? 何が怖いの?」

「わからない。理由はわからないけど、とにかく不安なんだ。どうにかなるような気がして」

 いったいなにに対する不安なのかはわからない。

 けど、僕もどこか不安を感じていた。

 盗んだものを食べてしまっているから?

「兄さん、飴だ。飴を吐き出すんだ!」

 うろたえる彰くんの頬を、真琴が軽く叩く。

 彰くんは、真琴に促されるようにして、一回り小さくなった飴を地面に吐き出した。

 僕も、飴を舐めているのが怖くなって、取り出したハンカチに出す。

 真琴も口から飴を取り出していた。

「真琴、いきなり大きな声出すなよ。なんかすごく怖くなっただろ」

「わ、悪い。この感覚、なんか覚えてるんだ」

「この感覚?」

「いやな感じだよ。不安とか緊張とか、いろいろ混ざってる。昨日、サーカスに初めて行ったときに感じたやつだ」

「飴に不安になる薬でも入ってたのか?」

「わからない。でも昨日、俺は不安な状態でサーカスに行っただろ。そのとき作ってもらったチケットから出来た飴が、この飴とそっくりな色をしていた」

 つまりこの飴は、不安な気持ちが詰まってる飴ということか。

「今日は、俺も悠一と同じでオレンジ色の飴だったけど。というか、同じ色のチケットだったな」

「もしかして……サーカスの直後で楽しい気持ちのときに作ったチケットだったから?」

「おそらく、そういうことだろう。チケットを貰ったから落ち着いてるんじゃない。チケットを作り出された時点で、落ち着いてしまっているんだ。たぶん、金色のチケットは、楽しい感情を奪って出来るチケットなんだろう」

 そんなこと、普通ならありえないけど、僕たちは実感していた。

 ふいに感情が落ち着いてしまうのを。

 真琴と僕で推理を進める中、彰くんは黙ったまま。

 不安なのか、真琴の腕を掴んでいた。

 僕も不安な感情が流れて来たけれど、たぶん彰くんほどじゃない。

「どうして彰くんはこんなに不安なんだろう」

「俺たちと違って、たくさん奪われているからじゃないか?」

「サーカスにたくさん通ったから……?」

 彰くんは、いろんな感情を失ってぼんやりしていた。

 そこに不安という感情だけが、戻ってきてしまったんだ。

 他の感情も持ち合わせている僕たちよりも、影響が強いのかもしれない。

「……真琴。オレンジ色の飴を取ってこよう」

「え……?」

「青色の飴は不安になるんだ。オレンジ色の飴を舐めれば、きっと楽しい気持ちになれるよ!」

「そうだな……。いくつかは兄さんのチケットから出来た飴だろうし、取っても構わないだろう」

「すぐにでも……!」

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