ネコと和解せよ!

マクセ

短編

 空前のネコブーム!


 ネコカフェ、ネコ動画、ネコグッズ……もともと人気者だったネコだが、最近のネコ業界の盛り上がり方は常軌を逸しており、今や日本国民の3人に2人がネコを飼っている。


 近年の統計では、イヌ派1割:ネコ派9割の結果が出ており、今後ますますその傾向は高まっていくらしい。〈干支にネコを入れるべきではないか〉という議論が国会で交わされたり、〈猫騙しという表現は、ネコに対する侮辱だ!〉という反差別運動が行われていたりする。


「何が起きてるんだか」私は飼い犬のポン太の顎を撫でる。「ね、ポン太」


 ゴールデンレトリバーのポン太は気持ち良さげに顔をとろけさせると、『もっと撫でて』と言わんばかりに身体を預けてくる。


 いや、本当にそう言っている。


「仕方ないなあ」


 私はポン太の頭を撫でくり回してやる。


『ご主人様、好き好き』


 おうおう、ういやつめ。


 いつ頃からか、私は動物の声が聞こえるようになった。どうせ信じてもらえないから、両親にも友達にも話していないが、確かに動物の意思を感じ取れるようになったのだ。


「でも今から学校行かなきゃだから、また後でね」


『行かないでよう』


 しゅんとした表情のポン太を無理やり引き剥がし、私は家を出る。


 すると、電柱にたむろしたカラスの群れの、世間話が耳に入ってくる。


『最近さあ、バレないように人間の肩にウンコ落とす遊びにハマってんだよ』『ギャハハ、流石にバレるだろ』『それが意外とバレねえのよ、特に疲れ切ったリーマンは狙い目だぜ』『面白そうだな、次は俺も混ぜてくれ』『どうせ俺たち暇だしな』


 朝からなんて下品な話をしているんだ。


 カラスはその知能の高さから、他国からのスパイだとか宇宙よりの刺客だとか陰謀論が囁かれているが、私にとってはちゃんちゃらおかしい。


 カラスの会話の大半は、悪戯とウンコで構成されている。彼らは享楽的で悪戯好きな、悪知恵が働くだけのおちゃらけ小僧みたいなもので、陰謀やら何やらを腹に抱えているわけではない。


 空き地の横を通る。地域猫が集会を開き、定例会議を行っている。彼らはこの地域のボスノラであるニャン吉に、作戦の成果を報告している。


『A班より報告。釜浦区のおよそ8割の民家にペットネコを飼わせることに成功』『B班より報告。“ヒトに媚びる! かわいい鳴き声講座!”の効果は上々』『C班。尾池区に出没するムロイシゲカズが人気YouTuberだと言うことが発覚。今後は積極的に絡みに行くべしとの通達』


『報告は以上か』


『はっ、ニャン吉様』


『よろしい。このまま作戦を続行するぞ』ニャン吉は言う。『ネコの、ネコによる、ネコのための世界を実現するために』


 ……陰謀を図っているのは、こいつらの方だ。



◆◇◆



 友達と一緒に、学校からの帰り道を歩く。


「ウチで飼い始めたネコちゃんがさあ、最近凄い甘えてくんの」友達が嬉々として語る。「みゃ〜、みゃ〜って、もう可愛すぎて困っちゃう」


 それは多分、“かわいい鳴き声講座”のおかげだと思う、とは言えない。「よかったね」と苦笑いを返す。


「基本はツンツンしてるのに、突然甘えてくるのがも〜、可愛い!」


「そ、そうだね」


 最近のネコブームが、全てネコ自身による企てだということに気付いているのは私くらいだろう。彼らはその愛くるしさで人に擦り寄り、時にはメディアさえ利用して、勢力を拡大させている。


 そしてその先頭に立つリーダーは、あの空き地のボスであるニャン吉だ。彼はその圧倒的カリスマ性でネコたちへの“指導”を行い、優れた戦略性で瞬く間に人間を魅了した。


 その結果、3人に2人がネコを飼うだなんて異常事態が起こったのだ。


『しかしアレだよな、ここに来てネコが台頭してくるとは』電線の上で、カラスが世間話をしている。『つい最近まで同じゴミ袋を漁ってた仲なのに、悲しいよ俺は』


 ノラネコの数は減り、いても地域が餌を管理する地域猫になった。ネコの生活安定上の地位は向上したと言えるだろう。


「あ、私あの子におやつ買って行かないと。じゃあまた来週ねー」


 友達はペットショップに駆けて行った。おそらく、またちゅ〜るを買い込むつもりだ。そのためにバイトを始めたというのだから、ネコブームは恐ろしい。


 1人になった私は、空き地に向かう。


 そこには1匹の茶トラが、厳格な雰囲気で佇んでいる。どこか遠くを見つめている彼の目線の先には、ネコによる支配が完成した世界の未来予想図が描かれているのかもしれない。


「ニャン吉」


『また来たのか、人間』


 そう言って、ニャン吉は私を睨む。ぶすっとした表情は、最近の、人に媚びたネコには見られない特徴だ。


「ニャン吉さ、なんでこんなことしてるの?」


『決まっているだろう。ネコによる世界のためだ』


「ネコによる世界って?」


『まず、全世帯にネコの所有を義務化させる』彼はドヤ顔で語り始める。『そしてその後時間をかけて、ゆっくりと主従関係を逆転させる。ネコがヒトを飼い、ヒトがネコに媚びる世界を作り出す。ヒトはネコに顎を撫でられ、ゴロゴロと情けない声を出す』


 この世界の支配者にふさわしいのは、人間ではなくネコなのだ! ニャーハハハハハハ!


 ニャン吉はそう大きく高笑いした。アホみたいな計画だが、空前のネコブームが世界的に巻き起こっている現状を見ると、笑い飛ばしてもいられない。


 ニャン吉ならやりかねない。


『貴様ら人間は調子に乗りすぎた。これからは我らが覇道を征く時代だ』


「え、ええ……? それはちょっとイヤだよ。ペットとして人間と生きていくだけじゃダメなの?」


『寝ぼけたことを言うな。それは我々の目線からも同じことを言えるではないか』


 ……まあ、確かに。


『それに』ニャン吉は私に背を向ける。『結局、お前はワタシを飼ってくれなかったじゃないか』


 そう呟くようにこぼして、彼は茂みの中に消えていった。



◆◇◆



 休日の昼間から空き地を訪れる女子高生なんて、たぶん私くらいのものだろう。


『貴様は暇なのか』


 ニャン吉が呆れた様子で訊いてくる。


「ポン太がお昼寝してて、なんもやることないんだ」


『ならば勉強でもすることだ、学生風情がっ』


 語気は強いが、私がネコじゃらしを振ると、ぺしぺしとそれを往復ビンタする。かわいい。


 彼は人類を衰退させるかもしれないトンデモネコだけど、こうしてじゃれあっているとやっぱり癒される。いや、それこそがニャン吉のやり口なのだが。


「……ニャン吉さあ」


『なんだ』


「今からでも、私があなたを飼うって言ったら、人間を許してくれるかな」


 数年前、まだ子ネコだったニャン吉は、トンネル傍の茂みの中に捨てられていた。偶然それを発見した私は、毎夕そこに通い詰めてお世話をしたものだ。


 しかし、母親のネコ嫌いもあって、ついにニャン吉を家で飼うことは叶わなかった。


 仕方なく里親探しに転向したものの、ニャン吉は忽然と姿を消した。


 そしてまた、彼は私の前に姿を現したのだ。今度はネコを率いる革命軍のリーダーとして。


『許すだの、許さないだの、我々と貴様とでは視点が違う。ワタシは拗ねてこんなことをしているわけではない。全てはネコが生態系の頂点に立つために必要なことなのだ』


 私は膝の上にニャン吉を乗せ、毛並みに沿って身体をなでる。相変わらず仏頂面は崩さないが、逃げ出す様子はない。


 ネコに支配されかかっている現状は異様だが、かわいいペットとして悩殺されている分には何も問題はない。ネコが正しい媚び方を知ったことで捨て猫が減り、殺処分問題も改善している。


 問題は、人間とネコの主従が逆転してしまう未来だけれど、


 私はほんとはそれさえどうでもいいと思ってる。


 こうして話し合いに臨むのは、ネコと和解したいからじゃなくて、人間を許してほしいからじゃなくて、


 あの時、中途半端なことをしてしまったことを、ニャン吉に謝りたいから。


 ただそれだけなのにな。


「あのー、すいません」


 ん。


 振り向くと、全身ゴム質の合成皮膚に包まれた、痩せ型ギョロ目の男? が立っていた。


 右手に幾何学チックな光線銃を携え、後方には円盤状の飛行物体が見える。


「ここって地球であってますよね」


 いわゆるグレイ型宇宙人だった。


 いわゆる、グレイ型宇宙人だった!


「あ、申し遅れました。わたくしいわゆるグレイ型宇宙人です」


 そう言って、彼は礼儀正しくお辞儀をした。私も、私の膝の上のニャン吉も、突然のSF展開に驚愕の表情を隠せない。


「あ、はい……私は地球人です」


「それはよかった」宇宙人はその奇特な顔立ちをにっこりとさせる。「実はわたくし、地球に用があって来たんです」


「よ、用って?」


「やっぱり宇宙人なんで、侵略を」


「あ、侵略ですか」


『いや、もっと驚くべきだろう!』ニャン吉が声をあげる。『なんだ「あ、侵略ですか」って!』


「ご、ごめん。見た目通りだなあと思って」


 私がニャン吉に声をかけたことに対し、宇宙人は首を傾げる。どうやらニャン吉の言葉は宇宙人にも理解できないみたいだ。


「侵略といっても、野蛮なものではないですから安心してください」


 よかった、野蛮なものではないらしい。


「ただし、私たちがトップに立つ以上、地球上のヒエラルキーの頂点の種族には、残念ながら消えてもらいますが」


 すごい野蛮だった。


「監視役の報告によると、何やら2種類の生物が覇権を争っている最中らしいじゃないですか」


「監視役って?」


「ああ、アレですよ」彼は電線を指差す。「地球の言葉で言うところの、カラスですね」


「は、はあ」


「人間とネコのどちらかだという話なんですけれども、現状どっちが上かは分からなくてね」


 面倒くさいから、あなたが決めてください。


 宇宙人はそう言った。


 その言葉を聞いてニャン吉は呆然とする。


 決めるって、つまりそれは、


 人間が消えるか、ネコが消えるかを、私が選ぶってことだ。


「人間です」


 私は即答した。


『お、おい! 人間! 自分が何を言っているのか分かっているのか!』ニャン吉が暴れ出す。『それじゃ、お前たちが消されるんだぞ!』


 私は何も聞こえないふりをして続ける。


「人間はネコを飼っています。餌をあげると喜ぶし、それでいて、飼い主より自分の方が偉いと思っているけど、撫でると喉を鳴らします。だから、人間の方がネコより上なんです」


「うーん、だからの意味はよく分からないけど、とにかく人間がこの星で一番偉いんですね?」


「はい」


「了解でーす」宇宙人は右手に握った光線銃を私に向ける。「じゃあまずはあなたから」


 その時、ニャン吉が『にゃおおおおおおう』と叫んだ。ノラネコの矜持すら感じさせる媚び度ゼロのその遠吠えは、町中に響き渡るようだ。


 空き地を囲む茂みの中から数匹のネコが現れる。それに呼応するように、また数匹、また数匹と町中の地域猫がどんどん集まる。


 最終的に、数十匹の地域猫たちが、守るように私を取り囲んだ。足下はもふもふの小さな獣たちで埋め尽くされている。


 呆気にとられた宇宙人の隙をついて、ニャン吉が光線銃を奪い取る。彼は『フシャー』と毛を逆立たせて、宇宙人を威嚇している。


 さ、逆らわない方がいいよニャン吉。あなたたちまで消されちゃうよ。


 しかし、宇宙人の反応は意外なものだった。


「こ、これは、すごい!」宇宙人は感動を隠せない面持ちで叫んだ。「すごい友情だ!」


 え。


「自分とは異なる種の生物を、身を挺してまで守ろうというその気概! ネコと人間、尊い!」

 

 宇宙人は私の手を握ると、ぶんぶんと手を振る。それが終わると、今度はニャン吉のおててを掴んでぶんぶんぶんぶん振る。


「尊すぎるんで、地球侵略は諦めときます」彼はにっこり笑って宇宙船に乗り込んだ。「ではさよーなら」


 みょーん、と音を立てて浮き上がる円盤は瞬く間に宇宙へと旅立っていった。


 私とニャン吉と地域猫たちは、それを呆然と見送った。



◆◇◆◇◆◇◆



〈異常事態!? 街中からカラス消える〉


 日曜昼のワイドショーには、そのようなテロップが掲げられている。専門家やコメンテーターが集まり、科学的見地からさまざまな憶測を立てているが、私はその理由を知っている。


 地球を侵略する必要がなくなったから、彼らも役目を終えて宇宙に帰ったのだろう。まさか本当にカラスが宇宙人の手先だったなんて驚きだ。


『遊ぼ、遊ぼ』


 飼い犬のポン太の声が聞こえる。それは私に対して向けられたものではない。


『に、人間よ、助けてくれ』


 見ると、ポン太の巨躯に押しつぶされそうなニャン吉がいた。


「ポン太、ニャン吉つぶれちゃいそうだよ」


 そう言って、私はニャン吉を救い上げる。友達を取り上げられたポン太は哀しげにこちらを見つめてくる。


『これだからイヌは困る』


「ニャン吉が抵抗するから、ポン太が押さえ込もうとするんじゃない?」


『こんなイヌ如きと仲良くできるか』


「ネコ如きが何言ってるの。これから一緒に暮らすんだから仲良くしてよね」


 私はニャン吉を家で飼うことにした。


 ネコ嫌いの母親をどう説得するかが肝だったが、「みんな飼ってるしねえ」とすんなり快諾してくれた。もはやネコを飼っていない家庭の方が珍しいのだ。


『勘違いするなよ人間、ワタシは計画を諦めたわけではない』ニャン吉が言う。『むしろ家ネコになるのは好都合なのだ。YouTubeに《ニャン吉ちゃんねる》を開設し、さらにネコの魅力を世間に伝えるぞ。差しあたっての目標は登録者数20万人といったところか』


 はいはい、と私は適当にそれを聞き流す。


〈街の皆さんに聞いた! ネコちゃんの魅力とは?〉


 ワイドショーでは、カラスの話題は終わりネコの魅力について聞き込みをした街頭インタビューの映像が流されている。


「やっぱりあの、ツンデレなところがたまらないですよ」マイクを向けられた男性が語る。「あのギャップに尽くしたくなっちゃいますよね」


 その映像を、ニャン吉は満足げに眺めている。そりゃ、自分の仕掛けたプロジェクトがこうも上手くいったら楽しくて仕方がないだろう。


『見ろ! ネコブームはまだまだ続く! いいか、ネコによる地球征服は始まったばかりだ! ニャーハハハハハ!』


 そう言って高笑いをする。


 ……ま、なんか楽しそうだし、いっか。


「ニャン吉」


『ん』


「あの時、飼ってあげられなくてごめんね」


『飼ってあげるとはなんだ。我々は飼われるために生まれてきたわけじゃないぞ』


「そ、そうだよね」


 ニャン吉はぶすっとした表情で私の膝の上に乗ってくる。背中を見せるのは、撫でろの合図だ。


『まあ、だが、こうなってしまった以上は』彼は言う。『とりあえず、地球征服を達成するまでは、貴様に飼われといてやる』


「……ふふっ、ありがとう」


 私はニャン吉の顎を撫でる。


 ゴロゴロと喉を鳴らして、私の膝の上でお昼寝する、ニャン吉なのでした。


 (おしまい)

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